乾杯

 ツナギメより帰った次の日。メッサーシュミットで飲んでいると、白い身体がうとうとと目を覚ました。


「あれ……、ここは?」


「起きたか、眠り姫?」


 俺はそう言って寝ぼけたニコの前に、水の入った容器を置いた。


「お前が酒豪なのは身に染みて分かっているが、よりによってジュエルワスプに手を出すとはな」


「じゅえ……、何それ? 何か聞き覚えがある気がするんだけど?」


「マスターの新作だよ。飲めば激しい陶酔感に呑み込まれて、大抵の奴は三日と起き上がれん。一日で目覚めたお前は新記録だ」


「そう……。でも、何だか頭がぼんやりするわ」


 頭がしっくりときていない彼女を傍目に、俺はマスターの出したカクテルを煽った。


 アグイは約束通り捕らえていた全てのゴキブリ達を解放し、そのまま行方をくらませた。ツナギメにあったアジトはもぬけの殻となり、アグニ共々ドレスにある棲み処にも帰っていないらしい。


 コギタはその後意識を取り戻した友と再会し、また二匹で嫁探しに励んでいるという。ただ皮肉な事に怪物ベムと共にツナギメを親し気に歩き回っていたという噂が地下中に広がったせいで、コギタの元にはワイルド好みな肉食的女性が多数現れているようだ。


 俺はマスターから出されたカクテルをじっと睨み付け、自分の瞳を写した。どこにでもいるゴキブリが写っているだけで、ぼやけた水面では種族すら分かりにくい。


 人間は俺達を一括りにゴキブリとし、業火のような敵意で焼き殺そうとする。その炎にアグニは焼かれ、アグイは火種ごと消そうとしているのかもしれない。


「ベルム、どうかしたの?」


「ん、どうって何がだ?」


「何だかアナタ、怖い目をしているわよ」


 ニコの言葉に俺は返せなかった。一つ気がかりな事があったからだ。


 アグイは最初の嘘以外に、もう一つ嘘を隠していた。奴は宝石蜂ジュエルワスプの毒の事を語った時に、僅かだが左の触角を揺らしていた。


 今はそれが何を意味するかは分からないが、少なくとも彼にはまだ〝切り札〟のような物があるのに間違いは無い。


「ほらベルム。考え過ぎは毒よ?」


 そう言ってニコは俺の目の前に、ジャパニーズゲッコーを差し出した。


「これ飲んで、頭冷やしましょう」


「飲んだら冷えるどころかぼやけちまう。それに、こいつの代金は誰が払うんだ?」


「言ったでしょう? また喧嘩を止めればいいのよ」


「……ったく。あのまま一月くらい寝かしとけばよかったよ」


 今日もメッサーシュミットは騒がしい。この少女の秘密も知ってしまったし、かつての友は俺や人間と敵対する道を選んだ。


 だが今は、今だけは俺もこの酔いに身を任せるとしよう。


 少女が生きて助かった事と、コギタと友の恋路に乾杯するとしよう。


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