落ちてやれる

 中心地で探してみると、目的のチャバは直ぐに見つかった。多くの同胞が行き交う場で話しかけにいく姿は際立って目立ち、レディの言葉の通り頭に生えている触角が不揃いに揺れている。


「間違いない。あの女だ」


 女性は身体から醸し出す色香で、チャバの男を片っ端から骨抜きにしていた。中には種族が違う奴すらも骨抜かれ、相手が乗り気でないと分かると笑顔のままそそくさと退散し、別の奴に話しかけていく。一つ一つの動作がかなり手慣れている。


 見れば話しかけるのはツナギメに来たばかりと思われる、田舎者丸出しの新参者ばかりだ。ツナギメに長く居座っている連中には目もくれず、今は俺と別れたダンゴムシモドキの一匹に色香を使っていた。


 周囲には彼女を見たチャバの、クスクスとした笑い声が漏れていた。チャバは色香に惑わされる同胞に手を差し伸べる事も無く、不憫そうな目や嘲笑を浮かべるだけだった。


 俺はそれを見てつい、口をキリキリと鳴らす。


「つくづく思うが、どうしてチャバの連中はああも性格が捻じくれてるんだ?」


「俺に訊くなよ……」


「お前だから訊いたんだよ。一等賞はお前のものだ」


 あの様子ではコギタを囮に使っても、顔に覚えがあれば直ぐに退散するに違いない。俺は一息つくと、止めようとするコギタを置いて真っ直ぐに女性の方へ向かって行った。


 地上から逃げてきた田舎者臭く、挙動不審な様子で俺は彼女にポンとぶつかった。それでいてダンゴムシモドキに目配せをし、そっと逃がす。


「あ、ああ! すいません」


 女性は俺の風貌を見た瞬間は怪訝な顔を浮かべたが、直ぐに慈愛に満ちた作り物の笑みを浮かべた。


「大丈夫ですよ。お怪我はありませんか?」


「ええ、ありがとうございます。お忙しい所に失礼をした上、ご心配までして頂き申し訳ありません」


「いえいえ。……ご丁寧な方なんですね」


「いやいや、藁にも縋る思いで慌てふためいているだけです。本当にどうしたものか……」


 愛想笑いを振り撒く彼女に、俺はわざとらしく身体を横に振る。


「あの失礼ですが、貴女はここら辺のお住まいの方ですか?」


「はぁ、そうですが?」


「申し訳ないですがここらに、ワモンのお友達などはいませんか? 私は昨日地上からこちらに越して来た者なのですが、頼れる者がいなくて住まいどころか、明日食う食事すら見つけられないのです……」


「まぁ……」


 そう言って女性は憐れんだ表情を浮かべたので、俺はふわふわした物の中から固形物を掴み取ったような感触がした。


 宗教だろうが組織だろうが、勧誘は心に不安を持つ者を狙うのが定石だ。ネズミ穴のようにポッカリと空いた不安の洞に優しい言葉を詰め込ませ、共感をしてやるのが一番早く落ちる。


 第一段階はクリアだ。今回はこちらから共感してやったので、後は彼女が俺に優しい言葉をかければ、俺は


 最初は相手が小汚いワモンである事から興味を失っていた女性の目も、俺が助けを求めた途端に輝きを持ち始めた。


「でしたら私にも一匹、ワモンのお友達がいるのです。すぐ傍にいますので、暫くここで待って頂けますか?」


「ああ、ありがたい! 是非ともお待ちしています」


 そう言うと女性はそそくさと去って行った。去り際に女性の身体から、クラリとする香りが漂った気がした。甘く優しい、溺れてしまいそうな程の陶酔感がした。


 暫くして現れたのは、気持ち悪い程ににこやかな笑みを浮かべたワモンの男だった。メトロ程ではないがガタイも良く、年頃は120から50といったところだろうか。どう見繕っても、見目麗しきチャバの女性とお友達と言えるような風貌では無い。


「やぁ、こんちには!」


 中心地にいる全ての者らが目を向ける程の響き渡る挨拶に、俺は呆気に取られた。


「彼女から聞いたよ。昨日ここに逃げて来たんだって? 私が来たからにはもう安心だぞ!」


 どこで行き違いがあったのか、俺は地上から逃げ出してきた住人という事になっていた。実際今の俺の見た目はみすぼらしさの極致のようなものなので、俺が言い出せなかったのだと彼女なりに気を使ったつもりなのかもしれない。


「早速だが、君はここがどういう所か知っているかい?」


「あ、ええと……。地下の繁華街か何かですか?」


「半分正解だ。ここはツナギメという町でね。言ってはなんだが危険な場所でもあるんだ」


 俺はその言葉に、鼻で嗤うのを堪える。ツナギメが危険区など、地下に住む者が聞けばネズミだって笑い転げるだろう。ネズミも逃げ出すドレスに比べれば遥かに安全だ。


 だが俺はそんな様子をおくびにも出さず、慌てふためいたフリをした。


「そ、そんな恐ろしい場所だったんですか?」


「ああ、実に嘆かわしい事だ!」


「そんな所で一夜を明かしてしまうとは……。確かに最近はゴキブリの誘拐事件が多発していると聞きましたが……」


 俺の言葉に、にこやかな男の表情が一瞬変わるのを俺は見逃さない。


「だが心配するな! ここから少し離れると、温和な同胞達で築いた集落がある。そこでは争い事も全く無いし、死者を食べるというおぞましき事すらしない。君も来てみないか?」


「え、本当ですか?」


「丁度一匹、空きが出てね。部屋を持て余してるんだよ」


 男は俺の発言を待たずに、背中を押して行った。少しでも脚をずらそうものなら、男は巧に俺の行先を調整する。こちらもまた手慣れたものだ。


 俺は抵抗を止めて、男のされるがままとなった。コギタや周囲の連中が俺に対し、憐れみのような視線を送るのを俺は見逃さなかった。


 なるほどと、俺は思った。通りで白昼堂々と誘拐事件が起きても、誰も助けようとしない筈だ。


 連中は内心では誘拐事件と宗教団体を結び付けていても、自ら関わる事を拒否しているのだ。面倒事は当事者同士で済ませてもらい、火の粉が来なければそれでいいという訳だ。まさに臆病の極致のような考えだが、それはそれでゴキブリらしい思考だ。


 されるがままになりながら、俺は考えていた。男はこれから向かう場所は争い事も無いと言っていたが、そもそもゴキブリは争い事自体を好まない。太古より生き延びる為に、遺伝子には臆病さが嫌という程刻み込まれている。


 俺は小さくなっていくツナギメの景色を振り切り、暗闇に広がるパイプ群へと目を向けた。

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