初心なレディ
「最初の男は20日近く前かしら? 周りの同年代は次々と子供を産んでいくし、90にもなって独り身なのは嫌だから片っ端から見合いの募集をかけたのよ」
レディが指定した店は、ツナギメの中心から少し離れた場所にある隠れ家的な店だった。ネズミが齧って開けたと思われる横穴から続いており、所々にドブのような香りが漂っている。
レディは店主と顔馴染みだと言ったが、店主どころか客も皆チャバしかいない。おススメだと出されたカクテルの味も妙に水っぽく、俺の口には合わなかった。
水っぽいカクテルを飲みながらようやくレディが語り出したのは、一時間近く彼女の愚痴を聞かされた後だった。
「これでも私
「それは災難だったな。その男は女性が出掛けに時間をかけるのが、どれだけ重要か理解してなかったらしい」
「でしょう、でしょう? 貴方ワモンなのに、話が分かるじゃない!」
そう言ってレディは俺の肩をコンコンと軽く頭突いた。痛みは無いので、これは彼女なりの親愛の印のようだ。
「それで二匹目は?」
「二匹目は15日くらい前ね。最初の出会いが冷やかしだったのかもしれないと思って沈んでいた私も、5日経ってからもう一度やってみようと思ったの」
「逞しいね。それで、相手は来たのかい?」
「いえ、こっちもダメだった。何時間待っても、それこそ今度は丸1日近く佇んでいたけど、それらしい男には会わなかったわ。さすがに二匹連続ともなれば、質の悪い悪戯だったと思って当然でしょう?」
「心底同情するよ。だがそうなると、これには何か事情があるのかもしれないぞ」
「え? どうしてよ?」
俺の言葉に、レディは初めて表情を変える。
「だって質の悪い悪戯なら、近くに君を見て嘲る連中が居てもおかしくないだろう? そういう碌でもない連中には会わなかったのかい?」
「言われればそうね……。でもあの時はそんなの居なかったわ。初めて出会えたのは、そこのボウヤが初めてよ」
そう言って睨むレディにコギタは身を竦ませ、触角で頭を防御するように縮こませた。彼女の方はからかい半分といったところだったが、コギタはレディの目を直視出来ていない。
「あの時はごめんなさいね。また私を小馬鹿にしに来たのかと、気が立っていたのよ。今思うと待ち合わせ場所に居た分、前の二匹よりも十分立派なのにね」
「だが残念な事にコイツは君が見合う相手では無く、むしろ君と同じ奴を待っていた。コギタの友は見目麗しいチャバの女に篭絡されて、ふらふらと付いて行ってしまった」
俺がそう言うと、レディは何で染めたのかも分からない紫のカクテルをクイと吞み干した。
「男ってのは、皆勝手なものよね」
「それを正させるのが女性の役目さ。無事に婿殿を見つけたら、存分尻に敷いてやるといい」
そう言って俺は水っぽいカクテルを一気に呑み込んだ。一気に呑み込んでも味は薄く、全く酔いが回る気がしない。
「ところでこいつの言う、大層綺麗なチャバの女性ってのに覚えはあるか? 君の花婿候補を横から掻っ攫っていった泥棒猫だ」
そう尋ねるとレディは少し考えたが、静かに頭を振った。
「ツナギメは地下最大の歓楽街よ? チャバだろうとワモンだろうと、美男美女は吐いて捨てる程いるわ。さすがに綺麗ってだけじゃ情報が足りないわね」
「そうか……」
俺はそう呟きながら薄味のカクテルを流し込むと、ふいにコギタがぼそりと呟いた。
「トゲ……」
「トゲ?」
「俺の友を連れて行った女だが、前脚に棘が生えていた。そこに濡らしたような光沢があったのを覚えている」
そう言うコギタに対し、俺とレディは小さく息を漏らした。
「そんなもん、俺達の脚にはみんな生えてるだろう?」
「そうよ。それに光沢なんて、ただの油の照りでしょう? もしくは身の汚れを落としたくて、本当に水を被っていたのかもしれないじゃない」
「そうじゃねえ! それによく思い出せばあれは棘というよりももっと長い、鋭い針のようなモノだった」
「針だと?」
俺の言葉を皮切りにコギタの記憶が蘇ったらしく、鮮明に事を話し始めた。
「そうだ、思い出した! あの女はそれを持ちながら、あいつの背を叩いたんだ。その途端奴は一瞬痺れたような身震いを起こした後、俺の話も聞かずに行っちまったんだ」
「お前の友は綺麗なチャバの嬢さんに一目惚れし、ふらふらと付いて行ったんじゃなかったのか?」
「あの時は本当にそう感じたんだよ。何と言うかクラクラっとするような、ふわふわした感じがしたんだ」
「ふらふらとかクラクラとかふわふわとか、まさしく今の貴方の言い分の通りね」
そう言ってレディはチャバのマスターにおかわりを頼むと、物憂げに空の容器を前脚で撫で回した。
「でも確かに一つ、気になる事はあるわね」
「気になる事?」
「ワモンの貴方。リビングなんとかという組織を、聞いた事あるかしら?」
「あ、ああ」
俺達はまさしくそいつらを追っている。その先に俺はコギタの友がおり、ニコとアグニが囚われていると確信している。
「ボウヤの言葉で思い出したわ。見目麗しいチャバなら思い浮かばないけど、『妙な香りのする女』なら私も見た事がある。ボウヤが見た女は、触角が不揃いじゃなかった?」
「言われてみれば、確かにそうだった……」
「そのチャバは、リビングナントカっていうチームの一員よ」
レディの言葉に俺の中でバラバラだった水滴が繋がり合い、一杯の水になっていく感触がした。
「その女性には何処で会える?」
「ツナギメの中心地に行けば、好きな時に会えるわよ。彼女そこかしこで種族問わず勧誘しているからね」
なるほどと、俺は思った。勧誘という方法は誘拐にはこれ以上ない程使いやすい方法だ。
誘拐される側は〝自分の意志〟で堂々と周囲の目の中を潜り抜ける。恐怖も感じず悲鳴をあげる事も無く、怪しまれる事無く連中に付いて行くだろう。身内や友が行方不明になった者も街で熱心に勧誘活動する怪し気な連中には尋ね辛いだろうし、来たら来たでそいつも攫ってしまえばいいだけの話だ。
「ねぇ、ワモンの貴方。名前はあるの?」
「ああ。
「ああ、貴方があの……」
そう言うとレディは少し目を伏せた後に、顔を上げた。
「貴方の事が気に入ったから忠告するけど、あの連中には首を突っ込まない方がいいわよ?」
「何故だ?」
「連中、表向きはゴキブリの復権だなんて言ってるけど、実際は何か相当ヤバい事してるって噂よ。誘拐事件もあいつらの仕業だって話もあるし、じゃなきゃあんな場所に拠点を立てないわ」
「どんな場所にあるんだ?」
「人間の研究所らしいわ。しかも研究対象が虫らしいの。あんな所にいたら
「虫達の実験場か……」
傍らを見ると、コギタが痙攣を起こしたかのように小刻みに震えていた。友が凄惨な実験の対象になると想像しているのだろう。顔には強い恐怖の色が浮かび、目の前のカクテルの容器が波紋を広げている。
「コギタ、器から離れろ。俺の身体に飛沫がかかっている」
「あ、ああ。すまない」
「怖いなら帰っていいんだぞ? お前の相方は俺が連れて帰る」
「いいや、いや。俺は行く!」
「あそこに行くのね」
レディは寂しそうに呟いた。
「今ほどチャバに産まれた事を後悔した事は無いわ。私がワモンだったなら、身体を使ってでも貴方を止めたかもしれないのに」
俺はレディの言葉にそっと笑った。
「君はチャバだからこそ美しいのさ。地下の厄介者に情なんて向けるべきじゃない。その美しい心と身体は、君が本当に愛せる相手を見つけた時に使ってくれ」
そう言うとレディは少し悩んだ後、小さく俺の触角に自分の触角を合わせて来た。
「気をつけてね。もし奴らが本当に誘拐なんてしているのなら、私を待たせた男共を全員連れて帰って来て」
「了解した。その依頼、引き受けたよ」
そう言うと俺は店を出て、コギタと共に中心地へと向かった。
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