小汚い怒り
店内を見渡してみると、マスターは部屋の隅で伸びていたチャバの若造を介抱していた。どうやら目を覚ましたらしく、マスターはゆっくりと彼に水を飲ませている。
アグイはそれを見て、ばつの悪そうな顔を浮かべていた。本来なら彼を伸ばした自分がやるべき事だと思っているのだろう。そう思いつつも、彼の介抱など死んでもやりたくないとも思っているに違いない。
仕方なく俺はアグイの分の容器を持って、マスターの元へと向かった。
「マスター、注文を頼みたいんだが……」
「ああ、悪いが少し待ってくれ。面倒だがこいつをどうにかしない事には戻れん」
「俺がキッチリとどめを刺しておくよ。青大将を二つ、席へ置いておいてくれ」
「ハハ、そうか? じゃあ頼んだぞ」
俺に水の入った容器を渡すと、マスターはカウンターへと戻っていった。アグイとは違い、マスターには冗談がしっかりと通じるので気分が良い。
俺はチャバの若造と向き合うと、若造はみるみるうちに虚ろだった目を恐怖に染め上げた。
「べ、べ、ベムか? 何でアンタがここにいる?」
「覚えてないのか? 俺はお前の命の恩人だぜ?」
「お、俺をどうする気だ!」
「別に何もしやしねえよ。
そう言うとチャバの若造はせせら嗤った。
「何だ、お前もあの病原女のお友達か?」
「少し違う。お前の言う病原女と、お前を半殺しにした奴のお友達だ」
俺の言葉に、チャバの若造は嗤った口をポッカリと開けた。
「何もしないとは言ったが、
凄みと笑みを混ぜ合わせながら言うと、あっという間にチャバの若造は纏っていた威勢を剥がれ落とした。呼吸を荒らして救いを求めるように、マスターの用意した水をガブガブと飲み始めた。
「一体何だってアグイらに喧嘩を売ったんだ? ヤマト種の結束力の高さは知っているだろう。あいつに喧嘩を吹っ掛けるなんて、ヤマト全員を敵に回すようなもんだぞ」
「……別に、誰でも良かったんだよ。アイツが好きで売った訳じゃねえ」
「なら何故だ?」
「……
そう言ってチャバの若造は不貞腐れるようにそっぽを向いた。元気は取り戻したようだが調子自体は元からこんな感じらしい。誰にも相手して貰えず他者を小馬鹿にする事でしか関りを持てなかった、典型的な悪ガキなのだろう。
本音を言えばこのままアグイと青大将の待っているカウンターに戻りたかったが、どうにも放っておけない気分になる。この若者の不貞腐れ具合が、悪童と呼ばれた頃の自分と重なってしまった。
「今日は、相方はいないのか?」
「……相方?」
「ほら、いつもお前とつるんでる奴だよ」
言うなりチャバの若造の瞳が、強い敵意に満ちた。俺やアグイと比べれば赤子のように小柄な体型のチャバ種だが、目は赤子が浮かべていい色遣いをしていない。
「あいつは……、もういない」
「死んだのか?」
「違う! いつの間にかいなくなっちまったんだ」
「どういう事だ?」
呼吸の荒いチャバの若造は容器を手にしたが、中が空なのを知ると忌々しそうに投げ捨てた。俺は近くの席から水を拝借して渡し、彼が語るのを待った。
最初は躊躇していた彼も喉が潤い、言うまで俺が去らないのを察すると少しずつ語り始めた。
10日前。俺の目の前にいるチャバの若造(名は無いらしいので仕方なく俺が
チャバ種は俺達に比べれば体力も寿命も少なく、あまり遠出を好まない。何をしに行ったのかと訊いてみると、彼は「見合いをしに行った」と言った。
「見合い? お前、ツナギメに婚約者でもいたのか?」
「俺が探していた訳では無い。この店でパートナー募集の依頼を見て、あいつが試しに行ってみたいと言ったんだ」
その言葉に俺は納得した。俺達と違いチャバの世界では60も過ぎれば大人で、70、80にもなれば家庭を持つ年だ。目の前にいるコギタは優に90は超えており、相方も同じ位と考えればチャバ種の常識からすれば二匹は完全な行き遅れだ。
二匹は店で運良く雄のチャバの募集を見つけると、一目出会うべく彼女の住まいとされるツナギメへと向かった。ツナギメは様々な種族入り乱れる繁華な町なので、二匹は浮脚立たせていた。
歓楽街なだけあって、待ち合わせ場所には大勢のチャバがいた。右往左往していた二匹だったが遠くからチャバの女性がやって来た瞬間、二匹の時は止まった。
まるで期待をしていなかったコギタの予想とは裏腹に、やって来た女性はを素晴らしい美貌を持ち、頭が麻痺したようにクラクラする色香に包まれていたという。チャバの女性は友に小さな笑みを浮かべながらニ、三言話すと、友は蕩けたように寄り添い去って行った。
この時去って行く友を見たコギタは、奴は一生に一度あるか無いかの幸運を掴んだのだと思った。若く美しくそれでいて器量も良さそうな女性の登場に、彼は嫉妬すら覚えた。
だがそれでも大切な友の好機だ。自分は死ぬまで独り身でも構わないが、友は家庭に強い憧れを持っている。コギタは彼の見合いの成功を願いつつ、近くにある飲食店で時間を潰した。
二時間ほど経ってから待ち合わせ場所に戻ると、まだ相方の姿は無かった。まさか進みに進んで子作りまで始めているのかと思い始めた時、そこに酷く苛立ったチャバの女を見つけた。
言っては難だが、先程の女性とは雲泥の差だった。とうに100は超えたであろう年季の入った顔と身体付きで、姿や目つきからは疲れと育ちの悪さが滲み出ている。
女性はコギタを見ると、何故か悪鬼の様な形相で走り寄って来た。
「アンタも年増を嗤いに来たクチ? どいつもこいつも、いい加減にして欲しいわ」
「……はぁ? 何だよアンタ?」
「しらばっくれるんじゃないわよ!」
そう言って女性はコギタに鋭い頭突きを一発くれると、そそくさと去って行った。周囲のクスクスと漏れる笑い声に最初は混乱と理不尽な怒りに包まれていたが、顛末を察知した。
どうやら友は、見合う相手を間違えてしまったらしい。本来はあの女性が来る筈だったのだ。見れば先ほどの彼女の姿も、マスターから聞いた見た目と合致しているではないか。
だがコギタはその真実を、そっと胸に秘めた。どんな手違いがあったかは知らないが、偶然にも友は最高レベルの女性を手に入れた。見合う筈だった女性には不憫だったが、友の幸運を重ねた幸運さには彼女への申し訳なさも、嫉妬心すらも消し飛んだ。
結局それから三時間近くツナギメで揚々と時間を潰したが、彼が帰って来る事は無かった。偶然の見合いは大成功を収めたらしく、今頃二人で楽しんでいるのだろうと思った。
だがそれから1日、2日と経っても、友は帰って来なかった。向こうで同棲でも始めたのかと思ったが、次第に不安を感じ始めた。
間の抜けたところはあるが友は義理堅く、約束を守る男だ。例え向こうで家庭を築いていても、一度は抜け出して自分に会いに来るだろう。
だが二匹でツナギメに来てから、遂に7日が経った。とうとう彼は居ても経ってもいられなくなり、ツナギメでたむろするチャバらに片っ端から話を訊き続けた。
話を訊いたチャバ達の様子は皆おかしかった。チャバ種は短命なせいか享楽的な奴が多いのは、自分もチャバだからこそ知っている。
だがそれでも最初は茶化してくるチャバ達も相方が行方不明だと語ると、一様に自分を不憫そうな目で見るのだ。男も女も子供も老体も皆、自分を可哀想な奴と言いたそうな目で見てきた。
焦ったコギタはひ弱そうな若者の一匹を締め上げると、若者は言った。
「お前知らないのか? 最近ツナギメでは、ゴキブリの誘拐事件が多発しているんだ。老若男女種族問わず、多くの同胞達がこの街から姿を消してる」
「何だと? 一体、誰がそんな事をしてる!」
「俺が知るかよ。最初はネズミか人間の仕業かと思ったんだが、どうやら違うらしい。何か、組織のようなものが裏にいるらしくて……」
そこで俺は口を挟んだ。
「組織だと? そいつは組織と言ったのか?」
「ああ。そいつの話では様々なゴキブリ達が束になり、適当な奴を連れて行くらしい。種族もクロにワモンにヤマト、当然チャバもいたという。俺は躍起になってそいつらを探したが、友どころか奴らの尾を掴む事すら出来なかった」
俺はその言葉に黙り込んだ。ツナギメにいる他種族入り乱れる組織となると、思い浮かぶのは一つしかない。
反応の止まった俺に、コギタは忌々しそうに空になった容器を床に叩きつけた。その音にまた周囲の目が向けられる。
「落ち着けコギタ。まだ死んだと決まった訳じゃないだろう」
「……アンタ馬鹿か? 連れ去られた奴は一匹だって帰ってきてないんだ。死んでるに決まっているだろうが」
「悲観的になるな。ゴキブリならゴキブリらしく、最後まで足掻いてみろ」
そう言うとコギタは俺に、憐れみとも侮蔑ともとれぬ表情を浮かべた。
「ベム、アンタはいいよな。下水道の便利屋か何か知らないが、失うモノが無いから好き勝手言いやがる」
「どういう意味だ?」
「アンタ、不能なんだろ?」
突然のコギタの言葉に、俺は言う筈だった言葉を呑み込んだ。
「……どこでそれを知った?」
「怪物ベムの有名な噂だよ。200を超えても女も家庭も持たないのは、アンタが男として終わっちまったって話だ。いや、家庭を持つのを恐れてるんだったか? どっちにしても、アンタはゴキブリとして終わっちまってるんだろう?」
何も返さない俺にコギタはヘラヘラと嗤ったかと思うと、今度はポロポロと泣き始めた。
「アイツはよぉ、子供作れるんだよ。子孫を残せるんだよ。未来があるんだよ。あんまりじゃないか。ドレスの怪物め。何で俺達より寿命も長くて碌でもないアンタが生きて、アイツが死ななきゃならねえんだ!」
そう言ってコギタは怒り紛れに容器を投げつけたが、それは俺に当たる事は無かった。俺はそれを黙って受け止める気だったが俺の顔へと飛んできた
アグイは顔から容器がずり落ちるよりも早く、コギタの身体を怒り任せに捻じ伏せた。
「やっぱり食い殺しておくべきだった。コイツには生きる価値も無い!」
「落ち着けアグイ! 俺は気にしていない」
「止めるなベルム! この腐った根性は、一度死んでみないと分からん!」
悪夢の再登場に最初は暴れ回っていたコギタだったが、アグイの口元が残酷に開くのを見るとそれも止めて、乾いた笑い声をあげた。
「もういい、殺るなら殺れよ。どうせ生きてても無意味だ」
「上等だ。まずはその腐った目玉から噛み砕いてやる。本物の死が間近になってもそんな事が言えるか見てやるよ」
「ああやれよ。どうせ俺にはもう誰もいない。生きてても疲れるだけだ」
「アグイ、コギタ。二匹とも止めろ!」
俺はどうにかアグイを退けると、放心したコギタに近寄った。
「お前、家族は?」
「とっくに全員死んださ。ドレスの大洪水でな」
「お前もドレスに居たのか?」
「昔の話だ。今となってはどうでもいい記憶だ」
俺はゆっくりとコギタを引き起こすと、静かに彼の言葉を聞いた。
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