暗いさだめ

「もう少しでアマダレだが、ベルムの兄さん気付いてるか?」


「……ああ、気付いてるよ」


 俺はそう言うと足を止め、後ろを振り向いた。相手は咄嗟の行動に反応出来ず、観念したように立ち止まった。


 振り向いた先にいたのは、白い少女だった。


「やっぱり来たか。お前まで来る必要は無いんだぞ?」


「あら、私を助手にすると言ったのは誰かしら?」


「……ったく、バケモノみたいな持久力だ」


「怪物はアンタでしょう?」


 メトロと共にアマダレ近くの下水管に辿り着いた時、俺は背後にちらちらと白い閃光が走っている事に気付いた。着いてくるのは予想出来たので猛スピードで飛ばしたつもりだったが、それを難なく付いて来るのまでは予想出来なかった。


 俺は少女の肩を叩いてメトロから離れると、少女にきつく問い詰めた。


「今からでも遅くない、帰れ」


「何でよ?」


「これは飯探しの時とは訳が違う。命の危険がある事が分からないのか?」


 そう言うと少女は目つきに怒りを込め、あろうことか俺の触角に噛みついてきた。


 俺は必死に触角をブンブンと振りながら、少女を離した。


「何すんじゃ!」


「これは私の問題でもあるの! アンタはただの興味本位かもしれないけど、私にとっては私の正体が掴めるかもしれない、大事な事なのよ!」


「情報なら俺が聞いといてやる。足手纏いだから帰れ!」


 俺の言葉に、少女はふるふると身体を戦慄かせた。


「何よ偉そうに! 私に覚悟が無いとでも言うの? 他者に命を賭けさせておいて、自分は安全な所にいるのは良くないって言ったのはアンタでしょう?」


「違う! 俺は、ただ……」


 捲し立てる少女の言葉に対し、情けなくも何も言い返せなかった。彼女の言い分は最もであり、彼女にとっては恐怖を押し退けてでも知りたい、大切な事なのだ。


 俺にはそれがよく理解出来た。自分が何故産まれてきたか、自分がどうしてここに居るのか分からぬ恐怖は辛いものだ。その事実が俺の過去の記憶を呼び覚まし、心をざわつかせるのだ。


 この少女の目と強い意志を見ていると、嫌な記憶が蘇る。あの雨の日に俺が失ってしまった、俺の覚悟が足りなかった最悪の記憶を思い出させられる。


「……しっかりついて来いよ」


「え?」


「今回ばかりは俺も、お前を護る事は出来ない。自分の身は自分で護れ」


「……もちろんよ!」


 少女はそう言うと俺の横にぴったりと寄り添い、俺達は目的の家へと向かって行った。



 久しぶりのアマダレだが、景色は前と殆ど変わっていなかった。もっとも俺達と人間に流れる時間には大きな差があるので、俺にとっては久しぶりでも連中にとっては食前食後の間みたいなものなのかもしれない。


「目的の家は遠いのか?」


「いや、直ぐそこだ。ここからドレスの方角へ歩いて行った先にある」


「ドレスか。出来ればそこは通りたくないな」


「まあ、不吉な場所だしな」


「何、ドレスって?」


 男二匹でしんみりしていると、案の定少女は食い付いてきた。


「アマダレから少し外れた先にある街さ。人間の服を置いた店が多いから、俺達はドレスって呼んでいる」


「へぇ……、でもそれの何が不吉なの?」


「あそこは退廃区スラムなんだよ。身寄りの無い奴や性格のひん曲がった奴らの溜まり場で、ひっきりなしに共食いし合ってるゴミ溜めだ」


 そう言うと少女は口を閉じたので、俺達はメトロの案内のままに目的の家を目指した。


 人間に見つからないように物陰やドブの中を走り、俺達は目的の一軒家まで来た。今時では珍しい木造りの家で、一目では人間が住んでいるとは思えない程に荒廃している。


 最も人間にとってはそうでも、俺達にとっては随分と居心地良さそうな物件だ。木や土の匂いを嗅ぐと、遺伝子に刻まれた太古の時代の生活が心に過る。


 先陣を切ったメトロは池のある庭を横切ると、そそくさと家の中に侵入した。幸い部屋の中に人間は居なかったが、それでも俺は思わず歩みを止めた。


 部屋はおびただしい量の檻で溢れていた。多種多様な虫達が閉じ込められ、見ればトカゲやヘビ、憎きドブネズミなんかも収監されている。


「何なの、ここ?」


 茫然とした少女が呟く声は、部屋中の虫達の奏でる音で掻き消された。様々な言語が部屋の中を飛び交い、挙動音がガサガサと不気味に響いている。


「恐らく飼育場だろう」


「飼育場?」


「人間の中には虫を飼育するのを好む奴もいる。イヌやネコみたいに人間に懐くのもいるし、スズムシやコオロギのような連中は声が綺麗だしな」


「じゃあ、ここにいる虫達も?」


「多分そうだろう。最も俺達を飼うようなモノ好きは、そういないだろうがな」


 そう言うと少女は複雑な顔を浮かべたが、俺はそれを無視した。実際のところ俺の中でも疑問が無い訳では無い。


 ゴキブリを飼う人間はいないと言ったが、一時的とはいえメトロはここで飼育されていたのだ。ご丁寧に新鮮な食事も提供され、肉食種では無い虫と檻をシェアされた。俺達を一目見れば悲鳴をあげ嫌悪する人間にしては奇怪な行動だ。


「あった、あれだ!」


 慎重に部屋を見渡していると、メトロが大きな声をあげた。


 メトロが向かった檻の中には小さな虫が一匹、枯葉の上で寝転がっていた。


「ベルムの兄さん、これだよ。おい、俺だ! 大丈夫か!」


 メトロはそう言うと、檻をよじ登って中に侵入した。俺達も彼に続いて中へと入る。


「遅くなって悪かったな! さ、下水に帰ろう」


 メトロはその虫の身体を揺さぶったが、虫は何の反応も見せない。


「おい寝てんのか? 地下に戻ったら好きなだけ寝させてやるから、さっさと起きろよ」


 虫は何の反応も示さず、虚ろな眼でメトロを見つめ返している。


「なあおい、もういいだろ? 時間無えから──」


「メトロ、もう止めろ」


 俺はメトロの前脚を取った。


「寝かせといてやれ」


「は、何で?」


「そいつはもう、死んでる」


 メトロの円らな瞳が、大きく見開いた。


「どうやら寿命が来たようだな」


「じゅ、寿命だと? 兄さん何言ってんだよ、あれから7日しか──」


「こいつはゲンジボタルだ。ホタルの寿命は極端に短くてな、大人になると10日程度しか生きられないんだ。お前がここに誘われた光というのも、こいつの発光だったんだろう。恐らくお前と別れてから暫くして、寿命を迎えたのだろうな」


「そ、そんな、嘘だろ……」


 メトロは身体の力を失い、その場に蹲った。早世が天命である俺達の世界しか知らない彼にとって、自分達より早くこの世を去る生物がいるとは思わなかったのだろう。


「一つだけ訊きかせてくれ。このホタルは本当に、お前に『下水に連れ帰って欲しい』と言ったのか?」


 問いかけにメトロは何も返さないが、俺は続ける。


「こいつらは地下暮らしなんて出来ない連中だ。メトロ、その時こいつが言った言葉をそのまま言ってくれないか?」


「……こいつは『川に帰りたい』って言ったんだ。だって川ってのは、下水道に流れるあの汚い水の流れの事だろう?」


 俺はそれを聞いて、心が張り裂ける思いだった。この寿命を迎えたホタルが言いたかった言葉が、俺の意識の深い部分へ溶けていく。


「聞いてくれメトロ。川ってのは、下水道に流れるあの水の事じゃないんだ。地上にはあんな汚水とは違う、澄んだ綺麗な水が流れる場所が存在してるんだ。こいつはそこに帰りたかったんだよ」


 そう言うとメトロは、今にも泣きそうな顔を浮かべた。


「何だよ、それ……。じゃあ俺は、俺はこいつの事を何も分かってなかったのか?」


「そうじゃない、落ち着くんだメトロ」


「俺はこいつの寿命も知らず、帰ってから丸1日寝転げていた……。こいつには時間なんて残されて無かったのに。俺は、俺はこいつの本当の望みも知らずに、あんな薄汚い地下に連れて行こうとして……」


 目の前のメトロの身体から、が飛び出てくるのが分かった。それは〝生きる意志〟とでも言うべきモノで、彼の生きる意志が今、靄となって消え始めていた。


 逃れられない絶望や死が迫って来た時に残された最後の安らぎは、死を受け入れる事だ。こうなってしまうと俺達はもう脚一本とて動かす事も出来なくなり、迫りくる死を受け入れてしまう。


「駄目だメトロ、自分を見失ってはいけない! 落ち着くんだ」


「俺は、俺はもう……」


 メトロは既に死にかけていた。彼の目も、身体も、心の全てが死へと委ねられていた。


 どうして俺達は死にやすいのだろう。ホタルの寿命は短いが、それは俺達だって同じだ。どうして俺達の時間はこんなにも短いのか。どうして俺達は、あらゆる生物に嫌われてしまうのだろうか。


 俺が無理矢理彼を止めようとした時、横から白い閃光が走り抜けた。


 白い少女は茫然とするメトロの顔に、強烈な頭突きを繰り出した。


「ここで死んだら、貴方はまた友達を裏切る事になるわよ」


「……え?」


「貴方の友達は、貴方に『逃げて』と言ったのでしょう? 『逃がして』でも『連れて行って』でもなく、貴方に逃げてと、生きて欲しいと願ったんでしょう? それがゴキブリにとって、どれだけ喜ばしい事か分からないの?」


 思いがけない少女の言葉に、メトロは落ち着き始める。


「……彼を救えなかったのは事実。彼の真意を誤解していたのも事実よ。でも貴方が彼を救いたい、故郷へ帰してあげたいと思った気持ちは、決して誤解ではないのでしょう? 生きて再会は叶わなくとも、貴方は彼との約束を守り切ったのよ。だから誇りなさい! 貴方は名高き〝運び屋の目蕩メトロ〟でしょう!」


 少女の言葉に、メトロは大声で泣き叫んだ。密閉された檻の中では彼の声だけが反響し、周囲からの音を遮断し続けた。


 メトロが泣き続ける間、俺は少女の姿を見続けた。その慈愛と強さに満ちた彼女の姿が眩しく見え、同時に息苦しさを感じ始める。


 メトロはみっともなく啜り泣いた後、床に擦り付けていた身体を持ち上げた。彼が「一匹にしてくれ」と言うと、俺達は静かに檻の中から出た。


 二匹で檻から出ると、背後からゴソゴソと音がしてきた。見ればメトロは哀れなホタルの死骸を、泣きながら貪っていた。


 そのショッキングな光景に少女は批難しようとしたが、それを俺は止めた。


「放っておいてやれ」


「でも、あんな事って……」


「あのまま放っておけば土に還るか、人間がゴミに捨てるだけだ。それならあいつの血肉になった方がまだ意味がある」


 少女には俺の言葉が理解出来ないようだった。俺達は雑食性だから死骸なら家族だって食らうし、意地汚い奴なら赤子や老体の死をじっと待つ事だってある。ドレスなんかじゃ日常茶飯事の光景だ。


 この様子だけでも、彼女は俺達とは異質な存在である事が分かる。永遠に濁らない白い身体を持ち合わせ、俺達の常識を知らないこの少女は、一体何処から来たのだろうか。


 食べ終えたメトロは檻から出ると、俺達の前に出た。その目にはどこか決意に似た力強い光が灯っている。


「行こう。もうここに用は無い」


「いいのか?」


「俺にはやる事が出来た。もう十分だよ」


 そう言ってメトロは真っ直ぐに部屋の外へと向かった。


 俺達もそれに続き、彼の後ろにぴったりとくっついて行った。

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