運び屋メトロ

 隙間を丁度埋めるサイズに置かれた缶詰の蓋を持ち上げると、リリンと爽やかな鈴の音が響き渡った。その音に反応して多くの同胞達が視線を送ってくる。地下暮らしアンダスタンド特有の遠慮の無い、値踏みするような瞳だ。


 その中でも一番熱い視線を送ってきたのは、店の奥に佇む年老いたワモンだった。


「ベルムか。よく来たな」


「ああ。久しぶりだな、マスター」


 俺は部屋の奥を陣取るマスターの元へと歩み寄った。歩み寄る中で客の何匹かが少女に下品な冗談ジョークをかましたが、彼女の冷えた視線一つでみな口を閉じた。


「下水道の問題児め! 今日は何しに来やがったんだ?」


「ただ飯を食いに来ただけだよ。適当な飯と、ジャパニーズゲッコーを一杯くれ」


「あいよ。そっちの神秘的な嬢ちゃんは?」


「コイツに飯は大丈夫だ。甘くしたストリートラットでも注いでくれ」


「あいよ」


 マスターは背後に置かれた液体皿から幾つかを取り出して混ぜ合わせ、俺と少女の前に差し出した。


 使い古された容器に注がれた液体を一気に呑み込むと、俺は感嘆の息を漏らした。マスターの入れるカクテルは例えようもなく旨い。


 マスターの特製カクテルとランチに舌鼓を打っていると、背後からまた鈴の音が聞こえてきた。新たな来客に、マスターは嫌そうな顔を浮かべる。


「なあベルム、いい加減あの入口の鈴を取ってはくれないか? ギチギチに縛られてクロイですら取れんし、俺はあの音を聞き過ぎて夢にまで出てきそうだ」


鐘夢ベルムの名の冥利に尽きるよ。次は夢に出てきたら言ってくれ」


「ったくお前は、人間の真似事ばかりしやがる」


 そう言いつつもマスターが悪い気をしていないのを、俺には分かっている。そうでなければこんな人間を模倣した集会所など用意はしないし、同胞から怪物扱いされる俺に親身になってくれやしないだろう。


「それでベルム、今日の目的は何だ? まさか本当に飯だけ食いに来たつもりはあるまい」


 マスターは円らな瞳で俺を見つめながら言った。伊達に500日以上も生きていない。好々爺と化した今でも、その目には相手の真意を読み取ろうとする油断ならない光が宿っている。


「察しの通り、今日は依頼を求めに来た。何か依頼はきてないか?」


「ああ来てるとも。新居探しの手伝いに、雌のチャバのパートナー募集。アブラムシの駆除に母親のの手伝い。選り取り見取りだぞ」


「そういうんじゃない。俺にしか出来ない、とびきりなヤツだ」


「とびきりなヤツか……」


 そう言うとマスターは少しだけ頭を捻った。


「最近はどこも物騒だ。ツナギメでは失踪事件が多発してるし、シロヒゲじゃネズミ共がテリトリーを着々と広げている。地上ですら流行り病で人間がバンバン倒れてるらしい。どこもかしこもドレスのような混沌具合だ」


「悪いがホラー話に興味は無い。ましてやドレスの話なんかはな」


「ああ、それもそうだな」


 そう言うとマスターは、捻っていた頭を垂直に戻した。


「そういやさっき、とびきり面倒そうな依頼が来たとこだ。どうやら地上での仕事らしい」


「他の便利屋連中は?」


「話を聞くなり、全員さじを投げたよ」


 それを聞いて俺は笑みを零した。


「そいつに会わせてくれ。今どこにいる?」


「まだここで飲んでるよ。……オイ! さっき依頼してきた奴はどこだァ?」


 マスターの声が店中に広がると、騒いでいた連中の声がぴたりと制止した。ゴキブリでありながら彼の声はノラネコ並みに大きい。大抵の連中はびっくりして、人間ですら身体の動きを止めてしまう。


 その中で一匹、ぴょこんと触手を上げた奴がいた。そいつは俺達の傍まで近寄ると、マスターの前で制止した。


「ここに居るぜ、マスター」


「さっきお前が言ってた依頼、それを唯一受けてくれるかもしれない奴が来たぞ」


「そうか、ありがたい! よろ──」


 そう言って伸ばした前脚を、男は俺の顔を見た途端に引っ込めた。


「オイ、マスター。こいつは怪物モンスターベムじゃねえか! あんた正気か?」


「お前の依頼なんざ、正気な奴は受けん」


「だからってこいつは……」


 そう言って項垂れる男を、俺はまじまじと見た。俺と同じワモン種でガタイが良く、年頃は150くらいだろう。知り合いでは無いが翅の色合いや触角の不揃いな長さに、どこか見覚えがあった。


「お前もしかして、〝運び屋の目蕩メトロ〟か?」


 俺がそう言うと、男は項垂れていた顔をパッと上げた。


「俺の事知ってるのか?」


「噂程度にな。怪力を買われて、同胞達から物資や食料の運搬を頼まれている奴だろう? 人間に取っ捕まって死んだって聞いてたが……」


「俺はそんなヤワじゃねえよ。二日前に逃げ出してきたんだ」


「なら捕まったのは真実マジって事か。中々やるじゃねえか」


 そう言うとメトロはさっきの警戒心とは打って変わり、気を良くし始めた。見た目は威圧的だが、煽てられると調子に乗るタイプらしい。


「まさかあのベムが俺を知ってるとはな……。俺の名も広まったもんだ」


「その名は止めろ、好きではない。ベルムと呼んでくれ」


「そうかい。それで、そっちの陽当たりの良過ぎる嬢ちゃんは?」


「ああ、こいつは──」


 そこまで言いかけてから俺は口を閉じた。少女を見つめるメトロの目が、大きく揺さぶられていくのが分かったからだ。


「どうした?」


「いや、何でも無い。知り合いにそっくりだったんで驚いたんだ」


「こんな真っ白な女とそっくりな奴が居るなら、俺もお目にかかりたいが?」


 そこまで言ってからメトロに一歩踏み入ると、動揺を隠しながら捲し立てた。


「それより依頼だ依頼! 頼むよベルム、あんたの伝説は嫌という程聞いてる。これはあんたしか出来そうにない」


「どんな依頼だ?」


「……ある奴を、人間の家から助け出して欲しい」


 そう言った時のメトロの顔は先程までの茶らけた雰囲気が失われ、真剣な表情に変わっていた。


「救出依頼か。最近そんなのばっかだな……。それで、場所と救護対象は?」


「場所は二日前まで俺が捕まっていた人間の家だ。ここから下水管を三本抜けた先にある、アマダレ通りにある」


「アマダレは少し遠いな……。救出相手はどんなゴキブリだ?」


 そう言った途端、メトロの顔が曇り出した。


「相手は、ゴキブリじゃない」


「はぁ?」


「ゴキブリじゃないのだけは確かだが、どんな種族かも分からない。俺と一緒に人間の檻の中に入れられてた奴だ」


 そう言ってメトロは、事の始まりを語り出した。

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