第二話

メッサーシュミットへ

「今日は少し遠出をする。準備が出来たら呼んでくれ」


「もう日が出る時間よ? 何処へ行くのよ」


「俺が世話になっている奴に会いに行く。運が良ければ依頼も貰えるかもしれない」


 部屋でゴロゴロとする白い少女を右足で軽く蹴飛ばすと、俺は手早く出掛ける準備を始めた。慣れた地下道を通っていくのでネズミ等に出くわす危険は無いだろうが、それが準備を怠る理由にはならない。男はいつだって冒険が出来る準備をしておくものだ。


 白い少女と出会ってから一週間が経ち、俺も223日になった。単調な機械の如く日々を同じように繰り返す人間達と違い、俺達は一日が過ぎる度に昨日の自分を脱却する。この少女も年頃は分からないが、7日分の成長はした筈なのだ。


 だが俺の見立てでは少女は成長と言うよりも、肉付きが良くなっていた。その原因は分かっている。


「ほら、早く脚を動かせ。何の為に六本も付いてるんだ」


「ねえ、それって明日じゃダメなの?」


「駄目だ」


「どうして?」


「食料が底を尽きそうだからだ!」


 少女を助手にしてから驚いたが、彼女はとんでもない大飯食らいだった。俺の半分くらいの体長でありながら俺の三倍近くの飯を食い散らかし、この前は危うく俺の左脚にまで食い付かれるところだった。


 俺は彼女の世話をしていたフクを思い出し、同情した。あの日以来俺はフクの死の責任に悔やんでいたが、最近ではフクが死んだ原因の半分くらいはコイツのせいじゃないかと思い始めていた。


「お待たせ。準備出来たわ」


「遅いぞ。一体何にそんな時間がかかるんだ?」


「女は準備に時間をかけるものよ」


 俺はその言葉に、ため息を漏らすのを堪えた。ゴキブリが着飾る為に時間をかける理由などあるものか。多様な生物がいるこの世界でも、女が出掛けに時間をかけるのはゴキブリだけに違いない。


「それで、今日は何処に行くのよ?」


「下水の川沿いを真っ直ぐ行った先に、俺達が使っている集会所がある。『メッサーシュミット』という名のクラブハウスだ」


「ふうん、そこで今日のご飯を貰うのね?」


「〝俺の〟ご飯だ。ついでに依頼がないか訊いてみる」


 そう言うと俺は下水管を出て、目的の店へと向かった。




 下水道は滅多に人間がやって来ないので、俺達にとっては安息の地の一つである。物陰暮らしハイドシーカーと違って食事の調達は不便だが、悪臭と環境の酷さにノラネコすらもやって来ないのは大きな利点だ。


 注意をするとすればネズミ共くらいだが、奴らは奴らで独自のテリトリーを構えている。連中もいなければ俺達の取り分も格段に増えるだろうが、日陰者同士贅沢は言っていられない。


 少女とは下水管を通じて何度か出掛ける事もあったが、人間も通れるような大通りに来るのは初めてだった。


 言うまでも無く彼女の白く染まった身体は悪目立ちし、闊歩するゴキブリ共が茶々を入れてきた。


「よおベム! そいつはお前の朝飯か?」


怪物モンスターは嗜食もイカれてんだな!」


 見上げるとここら一帯でたむろする、チャバの若者らが捲し立てていた。最近地上を追われてきた連中で、何かの残骸のようなモノをぺちゃくちゃと食い散らしている。


 朝飯扱いされた少女は立ち向かおうとしたが、俺は彼女の触角を踏んづけて止めた。


「止めとけ、相手にするだけ無駄だ」


「アンタは言われて悔しくないの?」


「悔しさで腹は膨れん」


 チャバを無視して去って行くと、少女はしぶしぶといった感じで俺の後についてきた。その間もチャバ共はやんやと捲し立てていたが、それも直ぐに地下道に広がる雑音に掻き消された。


 しばらく歩くと、無骨な下水管の中に一つカラフルな線引きがされたパイプが現れた。少女の身体と同じく、暗色に包まれた下水道では悪目立ちしている。


「着いたぞ。ここがクラブの入口だ」


 俺が少女を連れて向かうと、入口に立ち構えた無骨なクロが戸を塞いだ。


「何の用だワモンゴキブリ。ここから先は許可のある者しか入れないぞ?」


「悪いが通してくれ。今の俺は物凄く腹が減っててな、お前の汚いケツにも齧りつきたい思いなんだよ」


 俺達の間に険悪な空気が流れたのを、少女は張り詰めた表情で眺めた。俺とクロは睨み合いを続けていたが、パッと表情を変えた。


「冗談だ! 久しぶりだな黒衣クロイ。カミさんは元気か?」


「ああ。昨日、卵を一つ産んだとこさ」


「そりゃめでたいな。お前も晴れて三十匹近い子の親だな」


 急に俺達がゲラゲラと笑い合うのを見て少女はほっとした顔を浮かべたが、それも束の間で俺達の間柄に気付くと拗ねた表情を浮かべた。


 その様子に気付いたクロイが言う。


「初めましてお嬢さん。ようこそ薄汚い地の底へ」


「ええ、初めまして……」


「だが来て貰って難だが、ここはお嬢さんには少し早い」


 そう言うとクロイは俺の方を見た。


「おいベルム、ここが紹介制なのは知っているだろう? お前は入れるが彼女を通す訳にはいかないぞ?」


「俺の紹介では足りないか?」


「駄目だ。最低でも二匹の紹介がいる」


「おいおい、俺に二匹分の価値がないとでも?」


「何と言おうが駄目なものは駄目なんだ。日を改めて紹介を貰ってきてくれ」


 クロイの言葉に俺は一瞬だけ戸惑ったが、直ぐに一つのアイディアが思い浮かんだ。


「なあクロイ。福星軒ふくせいけんのマダムを覚えてるか?」


「知ってるも何も、地下で今一番ホットな話題だ。ネズミを三匹蹴散らした伝説のクロのおっかさんだろ?」


 俺はそれを聞いて、クロイにばれないようにほくそ笑んだ。


「この少女はその彼女の馴染みだ。嘘だと思うなら確認してみるといい。彼女なら確実に許可をくれる。その間外で待つのも面倒だから、中で待たせてくれ」


 俺の言葉にクロイは短く目を瞑ると、「少し待ってろ」と言った後にパイプの中へと入って行った。戻って来た時にはもどかし気な表情を浮かべていた。


「マスターから許可が取れた。二匹共入っていいぞ」


「ありがとよクロイ。カミさんによろしく言っといてくれ」


「お邪魔します」


「ああ。全く、こんな若い子を連れてきやがって……」


 そう言ってクロイは元の立ち位置に戻り、俺達はパイプを通って店内へと入って行った。

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