三つの報酬
懐かしき我が家に戻ると、そこには白い少女とフクの母親がいた。母親は全てを聞いたのか、彼の触角を愛おしそうに撫でていた。
「ベルムさん、ご無事でしたか?」
フクの母親はそう言って俺をの触角を撫でた。この子供扱いは相変わらずこっぱずかしいが、今は身体に力が入らなくて拒む事も出来ない。
「残念だが福星軒はネズミ共に取られた。まぁ、あの死屍累々の様子じゃ人間が本格的に駆除活動するだろうから、奴らも三日天下だろうがな」
「そうですか……」
「この際、アンタも
俺はそう言いながら白い少女を見た。少女は少し気を落としているようだったが、それでも母親の手前か気丈に振る舞っている。
「いえ、さすがにそこまでお世話になる訳にはいきません。幸い
「よしてくれ、俺はあいつを救えなかった」
「ベルムさんが仰った通り、死は覚悟の上でした。ベルムさんがお気に病む必要はございません」
母親の言葉は俺への気遣いに満ちていた。俺達にとって肉親の死は日常に等しいが、それでも辛いものに変わりは無い。彼女は哀しみに暮れるよりも先に、俺への労わりを選んだのだ。
だが俺はそう言った母親に、鋭い視線をぶつけた。
「覚えておけ。〝死んでいた〟と〝死んだ〟は全く違う意味を持つ。例え長くは無い命だったとしても俺はあいつが生き残る可能性を潰し、アンタが望む結果を持って帰る事は出来なかった。依頼は失敗だ。アンタには俺を恨む権利がある」
そう言うと母親は不思議そうな顔を浮かべたが、直ぐにそれを戻した。
「なら一つだけ、お訊きしたい事があります」
「何だ?」
「息子は……、
俺はその言葉をゆっくりと噛み締めてから、彼女に言った。
「ああ、立派だった。見ず知らずの少女をたった一人で護り抜き、大勢のネズミ共に立ち向かった、勇敢なクロゴキブリだった」
そう言うと母親は嗚咽を交えた声をあげながら、彼の右触角を愛おしそうに抱き締めていた。
フクの母親が去って行くと、俺は白い少女と向かい合った。
「それで、お前はこれからどうする?」
「え?」
「地下でいいなら部屋を用意してやる。というか、お前にゃ
そう言って俺はまた噛みつかれるかもと思い脚を引っ込めたが、意外にも少女は素直な様子だった。
「ねぇ、相談なんだけどさ」
「何だ?」
「ここに住んでもいい?」
「ハァ?」
「アンタ便利屋なんでしょ? 私の依頼を受けてよ」
頭から粘着ネットを被せられたような気分だ。こんな暴力的で種族も分からない、下手をすればゴキブリですらないかもしれない少女と住むなど、俺の安らぎが奪われる思いだ。
「駄目だ、というか嫌だ」
「何でよ?」
「素性も分からない奴と暮らす程、俺は呑気な奴じゃない」
そう言ってから俺は少女を見た。
「お前は何者だ? どこからやって来た? フクの言っていた〝チーム〟といい、お前には何が隠されている?」
少女は一度考える素振りを見せた後、口から漏れ出るように言った。
「それは私にも分からない。記憶がすっぽり抜け落ちているのよ」
「記憶が無いだと?」
「ええ。でもただ一つ、覚えている事がある」
「何だ」
「白い人間の姿。私の身体と同じように真っ白な人間が、私の前に居た記憶がある」
そう言って少女は遠くを見つめた。その先にその人間がいるかのような、憂いを帯びた表情だ。
「アンタといて分かったわ。アンタはカッコつけだけど、どんなゴキブリよりも強いものを持っている」
「格好つけは余計だ」
「だからアンタ、いえ、
そう言って少女は俺を真っ直ぐな目で見た。
「私の正体を調べて。それが依頼よ」
少女の目には気迫が戻っていた。同時に美しさも。
身体の奥がこそばゆくなる思いがしたが、確かに彼女の言う事は俺も気になっていた。彼女の存在に、フクの言っていた〝チーム〟とやらの存在。どれも俺の退屈な日々を紛らわしてくれそうな極上の馳走だ。
「いいだろう、ただし条件がある」
「何?」
「部屋は別だ。隣に空きがあるから、そこに住むといい」
そう言うと少女は初めて俺に笑みを零し、隣の部屋へと向かって行った。
久しぶりの依頼は失敗に終わってしまった。だが得るものもある。
一つは我が生涯に新たな友と、その思い出が刻まれた事。俺にとっては重要な事だ。
二つ目は謎が呼ぶ謎。俺の知的好奇心を絶妙に擽り、翅の奥にある何かをゾクゾクさせてくれる。
そして三つ目は、少し暴力的でミステリアスな初めての助手。彼女の存在はこれから役に立つかもしれない。
俺はそう思いながら、今はひと時の休息を取る事にした。
終
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