8-14 仙崎誠、恋人いない歴=年齢
晶子を助手席に、彩音と原田さんには後部座席に座ってもらって、エンジンに火を点けた。
三人の顔を順番に――晶子は穏やかな寝顔で、彩音はなにか言いたげに口をもごもごさせて、原田さんはいつもの疲れ顔に困り眉を浮かべていた――見て、アクセルを踏み込む。
「助かったよ彩音。まさか、晶子が気を失うなんて夢にも思わなかったから」
「いやぁ、あはは。まぁ、フコーチューノサイワイってやつよね」
「どちらかとかという怪我の功名と言うんですよ」
それぎり、三人の会話はなくなって、車のエンジン音と、それに紛れて時々晶子の寝息が聞こえるばかり。
赤信号でブレーキを踏んだタイミングで、助手席の少女へ目を眇めながら、彼女が意識を失う直前の、ヘッドホンから流れてきた音声を思い返す。
「友達になってください」
友達たらんとするときに、ドイツ人でもないのだから、そんな言葉を口にするのはナンセンスの極みというものだ。
挙句、恋人になりたいと考えて晶子をデートに誘った彼の胸中を考えれば、向こうからの告白を断るのならばまだしも、人でなしと蔑まれるのすらやむを得ないかもしれない。
人間関係に鈍いとはいえ、晶子だってそんなことは分からないはずもなく、その上で気を失うまでになってもなお、自分の正直な気持ちを伝えられたこの愚かなな妹を、俺は誇りに思いたい。
晶子の髪を軽く撫でてやると、くぐもった声を漏らした。
「それにしても、晶子ちゃんにもついに彼氏かー」
他方、彩音は尾行をしていたようではあるものの、そのあたりの事情は汲めていないらしい。羨ましいような、悔しいような表情でこぼした感想に、
「いや、別に彼氏って訳じゃないぞ」
と、答えてやると、ちょっと意外そうに目を見開いて、
「えっ、そうなの? その割には、彼、そういう落ち込み方はしてなかったと思うんだけど」
「ま、詳しいことは本人から聞いてくれ」
「聞いたら、また倒れたりはしないわよね……」
彩音が他人の恋愛事情に興味を持つのは意外だ。彼女自身、男性恐怖症なもんだから、そういうことから距離を取るようにしていると思っていた。というよりも、実際、そんなふうなことを話していた覚えがある。
ルームミラー越しに、目線で彩音に問いかけてみると、ちょっと恥ずかしそうにしながら、
「まぁ、そのなんというか、晶子ちゃんってむかしのあたしみたいなところあるじゃん。それで、ほっとけないなぁって思いながら、どうコミュニケーションしたらいいか分かんないし、誠に任せっぱなしだったから、罪悪感というかなんというかね。それに、あたし自身も、ずっとこのままって訳にもいかないし……」
頬をかきかき、そんな回答をすると、原田さんの方を向いてにへらと笑った。
「とかカッコつけたこと言ってみたけど、まだ仕事以外だと、やっぱりちょっとダメかも。いまも汗びっしょりだし」
晶子に続き、彩音まで倒れやしないかとひやひやしていたこっちの身にもなってくれ、という言葉は飲み込んでおく。代わりに、片手はハンドルを握ったまま、左手を後部座席に伸ばして、彩音の頭をわしわしと撫でまわしてやる。
「ちょっと! 髪が崩れるじゃん!」
手を払い除けようとしてくるが、無理矢理にでも頭を撫で続けていると、とうとう諦めたように彩音は項垂れた。
その様を見て、原田さんがくつくつと笑いながら、
「誠さんは、お兄さんの言うよりもまるでお父さんみたいですね」
「まぁ、うちの父親が父親なもんですから、妹たちに対して、父親面してしまう節はありますけどね……」
再婚をするだけして、自分はどこか海外を飛び回っている馬鹿親父。やむにやまれぬ事情があるにしろ、すくなくとも俺や彩音には説明をしていくのが筋というものではなかったか。
「誠さんは、恋人を作るつもりはないんですか?」
ちょっと聞きづらそうに、はにかみながら問いかけてきた原田さんの言葉は、彼女のみならず、大学時代からの友人である柴田なんかにも、会うたびに言われている。
「誠に彼女なんて無理無理。女心ってのが分からないボクネンジンだもん――いたたたたたたた!!!だから、そーゆーとこだっての!」
心底おかしそうに答えた彩音の頭を、先程よりも強くぐりぐりしてやる。
「すくなくともいまのところは、そんなつもりも余裕もないですね。彩音も含め、妹たちが、手がかからなくなるまでは」
「そう、ですか」
「それって、モテない男のジョートーク――いったーーーーーーい!!!」
その時、助手席で笑ったような気配がして、視線を向けると、晶子が目をつむったまま口角を吊り上げていた。
「なんだ、起きてたのか」
「ここまで騒がしくされたら、さすがに起きる」
けれども、晶子はそのまま目を開けることはなく、大きく深呼吸をするとそのまま再び体の力を抜いた。
俺は彼女の頭に左手をのせながら、
「よく頑張ったな」
「……うん」
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