8-13 仙崎彩音、叡知は徳である。それは最高の善である


「晶子ちゃん!」


 膝から崩れ落ちていく晶子ちゃん目掛けて、私は慌てて走り出した。


 夕日を背に向かい合うふたりから気取られないようにと距離を取っていたのが仇となって、とてもじゃないが間に合わない。


 と、晶子ちゃんの体が完全に崩れてしまう前に、彼が抱えるような形で支えてくれたおかげで、事なきを得た。


「よかったぁ」


 ほっと胸を撫で下ろしたのも数秒、


「えーっと、……あなたは?」


 それはそれとして、突然乱入してきた私に目を丸くする彼。いままで見つからないようにとばかり気をつけていたので、とっさに言葉が出てこない。背後で、柚有子のあきれ返ったようなため息が聞こえる。


 五秒ほど見つめあったところで、合点がいったとばかりに、


「もしかして、仙崎さんのお姉さん、ですか?」

「そう、そう!仙崎彩音と言います。えっと、こういう時は、いつも妹がお世話になってます、って言うんだっけ?」

「まあ、間違ってはないですけど、こんな状況で、もっと言うことあるんじゃないんですか……。あ、申し遅れました、私、仙崎彩音のマネージャーをしております、原田と申します」

「ど、どうも……」


 三者見合って、奇妙な間が流れる。三人とも、晶子ちゃんの関係者というだけであって、本人が気を失っちゃってるんだから、さもありなん。


 そんな静けさの中、まるで私が空気が読めない女みたいに、携帯まで鳴り出す始末。


「もしもし?」

『もしもし?そっち、どうなってるんだ?』

「晶子ちゃんが急に倒れちゃって」

『おい、大丈夫なのか!?』


 電話の向こうは予想通り誠で、珍しく怒鳴るような調子で声を荒げるもんだから、ほかのふたりにも声は丸聞こえで、たまらず苦笑い。


「大丈夫よ。えーっと……彼がなんとか受け止めてくれたから」

『……そうか。すぐに車で迎えに行くから、お前もあんまり無理するなよ』

「うん。ありがと、柚有子もいるし、大丈夫」


 通話を切って、晶子ちゃんに目をやる。完全に意識を失っているようで、彼にもたれかかったままぴくりとも動かない。

 けれど、その表情は辛そうだったり苦しそうだったりよりも、なにかをやり遂げたような、そんな晴れがましいものだった。


「この子と私の兄が車で迎えに来てくれるみたいだから、悪いけど、連れて帰っちゃうわね」

「あ、はい……」

「君も、そのままだとしんどいだろうから、どこか寝かせる場所でもないかしら」


 ぐるりと見渡した先に、ちょうどベンチが見付かって、三人でそこまで晶子ちゃんの体を運ぶ。柚有子が心配そうな目を向けてくれるが、不思議となんともなかった。


 ベンチに横たえた彼女が規則正しい寝息を立てていることを確認してから、改めて胸を撫で下ろす。


「……すみません、僕が、無理矢理連れ回してしまったせいで。もしかしたら、彼女にすごい負担がかかっていたのに、それも察せずに」

「んー、そんなことないと思うわよ。すくなくとも、ランチの時とかあんなに楽しそうに喋ってる晶子ちゃん、初めて見たもん」

「見てらしたんですか?」

「うっ。あー、えっと、たまたま私たちもあそこでご飯食べてて、そしたら、なんか見たことあるなー、って顔の人を見つけて……」

「出歯亀よろしく、こそこそとあとをつけてきた訳です。はぁ」

「ま、まぁ、そのおかげで、こうやって仙崎さんを介抱できている訳ですし……」


 愛想笑いを浮かべながらフォローをしてくれる彼の視線が痛い……。


「そういえば、仙崎さんがお姉さんのこと、自慢の姉だと言ってましたよ。あ、これ言ってよかったのかな」


 いたずらっぽい笑みを浮かべながら、彼が言う。晶子ちゃんらしからぬ、兄妹の話までしていたことを、ちょっと意外に思いながらも、


「そんなふうに思ってくれてたなんて、嬉しいなぁ。ふだんはそっけない態度ばっかりしてくるくせに」


 ほっぺたを突いてやると、小さく声を上げる。

 晶子ちゃんのことは誠にほとんど任せっきりで、どんなふうに思われているのかと、内心不安で仕方なかったけれど、ついつい顔が緩んでしまう。


 ほどなくして、慌てて駆け付けた誠が合流し、晶子ちゃんを車に載せることとなったが、体を揺すってもやはり弱い反応が帰ってくるばかりで、誠がおぶっていくことになった。


「相田くんも乗っていくか?」

「いえ、僕は家がすぐ近くですので大丈夫です。僕の考えが足りないばかりに、ご迷惑をおかけしてすみません。それから、仙崎に明日改めてお詫びをさせてもらいたいのですが……」


 そう言って、彼は自分の連絡先を紙に書いて寄越した。誠は、珍しく無表情のままそれを受け取り、


「分かった 。これから晶子のこと、よろしく頼むな」


 と、短く言って、踵を返したのだった。

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