8-12 仙崎晶子、順境は友を与えるだろう。欠乏は友を試し絆を高める事だろう


 ○


「待って!」


 だから、私は、

 その唇が大きく開かれる前に、

 彼の声が発されてしまう前に、

 その言葉を聞いてしまう前に、


 自分でもびっくりするくらい、悲鳴じみた叫び声で遮った。


「……ちょっとだけ、私の話をしてもいい?」


 おそるおそるそう伝えると、彼は鳩が豆鉄砲を食ったみたいになりつつも、小さく頷いてくれる。


「昼に、私は兄妹がたくさんいて、それが母親の再婚相手の連れ子という話はしたと思う。そういう訳だから、私は、高校生まではもっと違うところに住んでいた。

 大学生になってからも、私たち置いてどこかへ行った母親を見返してやろうと、勉強ばかりしていた。そうして、成績ばかりが良くなって、ちょっと……じゃない、ずいぶん増上慢になっていた。学費はおろか、生活費を自分で出してた訳でもないのに。

 それに気付かせてくれたのが兄さんで、なにも言わずに支えてくれてたのが姉さんだった。

 自分ひとりでなんでもできた気になってたから、友達もいらない、なんて斜に構えて、そんな態度なものだから、実際友達ができることもなかった」


 ほとんど息継ぎなしで一気に捲し立てた言葉を、私はそこでいったん切って、大きく息を吸い込んだ。

 緊張とか、羞恥心とか、いろんな感情がないまぜになって胸を占拠して、いまにもはち切れそうだ。


「いまでこそ、なんとか尾藤教授の下で、勉強や研究以外のいろんなことを学びながら、ゼミの飲み会に出たりもしてるけど……今日みたいに、一緒にご飯を食べて、ラーメンの話で盛り上がって、……そんなふうな人は、いなかった。

 そんな私が、こ、恋人とか、彼氏とか、そんな関係の親しい人を作るのは、おこがましいというか、もったいない、というか……」


 肝心なところで舌が回らない。自分の頬を張り飛ばして、気合いをいれる。


「これは、私の勝手な都合。私のわがまま。だから、付き合いきれないやつだと思ったら、断ってくれても構わない。

 私は、一緒にラーメンを食べるような、それこそ、ラーメンのためだけに車を出して奈良まで行くような、馬鹿話をしたり、たまには愚痴を言ったりするような、友達が欲しい。

 だから――」


 息が、続かない。けれど、ここで言葉を止めたら、呼吸をしたら、せっかく喉元まで来ている言葉が、肺腑の奥底に転がり落ちていきそうで、怖い。


「だ、から、私と、ま、ずは、と、と、……友達に、なって、くれません、か」


 ともすればこれは、彼が告白しようとしていた言葉に対して、先回りをして断ったような言葉で、もしかすると彼は私のことを呆れた女だと思うかもしれない。けったいな女だと思うかもしれない。


 でも、それでも、これは私の偽らざる本心で、こんな楽しい一日を提供してくれた相田康徳に対する精一杯の感謝だ。


 十秒、一分、あるいはもっと? ぎゅっと目を閉じて、彼の反応を待つ。針の筵の上とはきっといまみたいな気分のことを言うのだろう。時間感覚が溶け出してドロドロになった頃になって、目の前で身じろぎする気配がした。


「…………」


 しかし、待てども待てども、彼が何かを話し出すような様子はなく、自分の心臓の鼓動の音ばかりがどんどん大きくなっていく。ああ、あるいは、このまま私の心臓は破裂してしまうんじゃないかしら!


 焦れに焦れて、ついに私は我慢が出来なくなって、溺れた人間が水面に空気を求めるみたいに、顔を上げて、


「――――ッ!」


 そこで、彼のまっすぐな視線が私を貫いた。

 その衝撃たるや、そのまま私の体は真後ろへ卒倒してしまうほどで、けれども、なんとかその場で堪えられたのは、彼が私の手を掴んでくれていたから。


「こちらこそ!」


 私の手を握る力強さは、昼に彼が差し出してくれたそれとは打って変わって、痛いくらい。

 けれどこの力強さの意味が、この痛みの価値が、たまらなく嬉しくって、そして破顔した彼の表情を見た途端、


「あっ……」


 全身の力が抜けて、目の前が真っ暗になった――

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