8-7 仙崎晶子、スパゲティはミートソース派
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トイレから出て、席へ向かうまでの道順で、エントランスを通過する。このままここから出て行こうかしら、なんて考えが脳裏を過って、一瞬足を停める。
が、視界の端に、相田康徳の顔を見つけてしまって、かぶりを振って再び歩きだす。
「……ごめんなさい、お待たせしてしまって」
「ううん、大丈夫さ。僕、注文に時間のかかるタチだから」
無邪気な笑顔をこちらに向けてくれるその下で、気を遣われているのだろう、ということが感じ取れて、鼻白む。
目を見てもういちど謝ろうとして、けれど彼の顔が直視出来なくって、誤魔化すようにメニューに目を落とした。
「仙崎さんって、なにか好き嫌いある?」
「……特に」
「いいなぁ。僕、魚介類全般がダメでさ。あ、アレルギーって訳じゃないんだけど」
「…………」
私がメニューをめくる間、なにくれと話しかけてくる相田康徳に適当に相槌を打つ。
こういう時、ふつうの男女ならば、和気あいあいと会話を弾ませながら、料理への期待を口にしたりするものなのだろうか。
自業自得にも、相田康徳は既に自分の注文をウェイターに伝えてしまっているし、そして不幸にも、私はいずれの料理を見ても、大して食指がはたらかない。
アンチョビとなんとかのパスタだとか、オマール海老のペスカトーレだとか、どんな料理か知識では知っているものの、ただそれだけ。研究資料のサンプリングを眺めているような気分ですらある。
(ほかの人は、どんな料理を食べてるんだろう)
特に興味がなくっても、他人が食べているものは美味しそうに見えることはままある。バカ志津香が食べているお菓子を、ついついつまんでしまって喧嘩になったことも、一度や二度ではないくらいだ。
お腹が減っていない時でさえ、他人が美味しそうにしているのを見ると、すこし羨ましく思えるものだ。
そういう訳で、ぐるりと周囲を見渡してみる。
このテのお店には、男女のカップルが多かろうと思っていたが、意外に女性同士の客も多く、意識を向ければ、そこかしこで料理への感想をささやき合っているのも聞こえる。
「ん~~~~~~~おいっしい!!」
その内のひと組が、ひときわ大きな声を上げるものだから、私のみならずほかの客の視線まで集めてしまっている。TPOをわきまえていないというか、品がないというか。
なんて思いながらも、眉を顰めつつそちらに視線をくれると、
「前々からずっと来たいと思ってたけど、やっぱり来て正解だったわ!」
なんだか見たことあるような顔のような気がして、とっさにメニューに顔を戻した。
「うちのご飯ももちろんおいしいけど、やっぱりこういうお店の料理は、ヒトアジ違うわよね」
見たことあるような顔の人が、聞いたことあるような声で喋っているが、他人の空似に違いない。
「彩音さんとプライベートでお出かけするのも、ずいぶん久しぶりですね」
知っているような名前で呼ばれているような気もするが、ただのそっくりさんに違いない。そうであってくれないと困る。
「最近、結構忙しかったもんね。でもおかげでがっぽりお金もかせ――」
フロア内のどこにいても聞こえるような大声での会話がぱたりと止んだ。何事かと思って振り向くと、
目が合った。
TPOもわきまえない、下品な女と。
知っているような顔は、ほぼ毎日合わせている顔だったし、
聞いたことのあるような声は、いまや深夜ラジオでも聞いた声だったし、
知っているような名前は、知っている名前で、
それは、この服をコーディネートしてくれた人であり、そういえば今日はマネージャーとご飯に行くと言っていたモデルであり、私の姉であり、
「「—――――—!!!!」」
お互いに、声にならない叫び声を上げたのだった。
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