8-8 仙崎晶子、ラーメンを食べ終わったあとに、スープと水を交互に飲むのがやめられない


 ここで私が叫び出さずに済んだのは、視界の端に相田康徳の顔が、ほんのちょっと映っていたからで、さもなくば、私はメニューを取り落としながら、間抜け面をさらしていたことだろう。


 とっさにメニューに視線を落とし、何事もない素振りを取ろうとするも、目の前に座る彼にはさすがに誤魔化しきれなかったようで、言葉にしないものの訝しげな視線が突き刺さる。


「わ、私は、このボロネーゼにしよう、かな」


 もはや意識を逸らす目的で、急いで料理を注文する。ウェイターを呼びつけて、オーダーを通そうとする時にちらりと目をやると、10mほど離れたテーブルで、あんぐりと口を開けている女が見える。


「ん、んん……。相田くんは、ここのお店に、よく、来るの?」

「いや、僕も初めてさ。せっかく仙崎さんと出掛けるんだから、おいしいところを、と思ってさ」


 別段、同じ店に姉がいたからといって気まずくなるようなこともないはずだが、その存在を相田康徳に気付かせまいと、とたんに私の舌は回り出す。


「私、ふだんは外食とかしないから、目移りしちゃって」

「あー。わかるわかる。僕も、強いて外食するとしたら、ラーメンくらいだからさ」

「……ラーメンなら、私も時々食べる」

「ほんとに!?」


 苦し紛れに始めた会話だが、あにはからんや、盛り上がりを見せる。それはそれは困ったものなのだが、彼の意識をあちらに向けさせないで済むなら、それに越したことはない。


「学校の近くなら、北州軒とか行ったことある?」

「ある。けど、個人的にはもうすこし行ったところの、カワウソラーメンの方が好み」

「あそこ、揚げニンニク食べ放題だから、ついつい食べ過ぎちゃうよね。ちょっと距離あるけど、白虎ラーメンとかは?」

「私、辛いの苦手だから一回行っただけ。でも、確かに味は良かった」

「ラーメン神保の固定オーダーとかある?」

「アブラマシカラカラニンニクオオメ。野菜は邪魔だからスクナメ」

「通だねぇ」


 日頃から、自分は会話が苦手だと思い込んでいたが、好きな話題となると、こんなにもすらすらと言葉が出てくるものなのか。


 しかも、驚くべきことに、学内で私ほど周辺のラーメン屋を渡り歩いている人間はほかにいないだろうと思っていたが、なかなかどうしてこの男も、やるではないか。


「仙崎さんも結構ラーメン食べる人なんだね。ちょっと意外」

「そう?」

「いつも学食でおにぎりとカフェオレ飲んでるところしか見なかったから。しかもどっちかは必ずツナマヨ」


 自分の行動パターンを見抜かれているのは意外に気恥ずかしいもので、ついつい目を逸らしてしまうと、視界の外で、彼が笑った気配がした。


「そういえば学部生の時、友達四人でラーメン食べるためだけに奈良まで行ってさ。しかも車で。ルイージ流行って知ってる?」

「名前だけは……。確か、ラーメン一杯の中にパルメザンチーズ丸々一本入れてるとか」

「そうそう!あれはラーメンというか、もはやチーズフォンデュを、麺で食べてる感じだったよ」

「ぷっ……」


 それからしばらくして、ウェイターがそれぞれの料理を運んできて、目の前にスパゲティがふた皿並んだところで、


「お洒落なイタリアンで、ラーメンの話で盛り上がるっていうのも、おかしな話だね」

「確かに」


 顔を付き合わせて、小さく笑ったのだった。


 気が付けば、姉たちの姿は消えていた。

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