仙崎晶子の場合2

8-1 仙崎誠、デートオアライム


 〇


『ま、ま、ま、誠兄さん!』


 仕事中、晶子からの着信。妙なこともあるもんだと、作業を中断して受話器を耳に当てたところ、素っ頓狂な声が飛んできた。


『デ、デ、デ、デ、……』

「デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション?」

『違う!』


 ずいぶん慌てふためいている様子の晶子。それ自体は、志津香にしてやられた時とか、双葉につれなくされた時にたびたび見かけるが、声が大きいのは珍しい。


『デ、デートに誘われた!!!!!!』

「……お前の周りでは、基礎研究を繰り返すことをデートって呼んでるのか? 変わってるなぁ」

『違う! 本物! 本当の!』


 にわかには信じ難い話だった。彩音同様、男の影どころか、友達の実在すら危うい晶子にデートのお誘いなんて。

 それならまだ、志津香が実は人間ではなく外宇宙からやってきて知的生命体である、という方が、ただ信ぴょう性がある。


『ど、ど、ど、ど、どうしたらいい!?』

「行きたいんなら行きゃいいし。行きなくないんなら行かなくていい」

『いや、でも、その、あの、この、……』


 電話の向こうではそうとう狼狽えている様子が伺える。積み上げた書類の山を崩してしまった音、どこかに体をぶつけた悲鳴、挙句の果てになにかしらの実験器具を破損したと思しき音。

 さすがに見ていられなくなったので、可愛い妹のためと思って、助け舟を出してやることにする。


「研究室が終わったら話だけは聞いてやるよ。俺も、今日は早く帰るようにするから」

『あ、ありがと――きゃあ!』


 まったく、たかだかデートくらいで大袈裟な。本来、手を差し伸べるようなことでもないが、このスーパーお兄様の冴え渡る知識と豊富な経験にかかれば、相手がどんな男でも、最適の答えを導いてやろう。


 冴え渡る知識と豊富な経験にかかれば……豊富な経験……。

 俺、異性とデートした経験なかったわ。


 という訳で夜。家の玄関を開けると、ただいまを言う暇もなく、おかえりを言ってくれる間もなく、手を捕まれ、二階晶子と双葉の部屋へと連行された。


 ひっつめ髪をほどいただけで、櫛も通していないボサボサ頭の晶子は、興奮したように息を荒くしながら、ベッドに座り込んだ。

 彼女が落ち着くのをすこし待ってから、やおら俺は切り出した。


「それで?話してみろ」

「……別の研究室の男の人なんだけど」


 訥々と語りだした事の始まり。


 晶子にモーションをかける奇抜な男というのは、尾藤門下ではないものの、研究範囲が近いということで、論文発表などの場で交流があったらしい。

 昼食時に、顔を合わせば二、三言葉を交わすこともあったが、いままでは晶子は、特に彼を意識したことはなかったそう。


 それが今日という日になって、突然デートに誘われたという。おそらく、その彼はそれ以前から晶子に秋波を送っていただろうが、彼女は認識できていなかったに違いない。

 焦れに焦れて、ついに直接的な方法に出たということか。


 などなど、晶子の不要領の説明からいろいろと推理を働かせながら、しかして、やはり出てくる結論はひとつしかない。


「行きたきゃ行けばいいし、行きたくないんなら行かなくていい」

「う……ん……」

「強いていうなら、すこしでも行きたいって気持ちがあるなら、迷っているなら行った方が物事は好転しやすい。やらない後悔より、やって後悔だ。今更言うことでもないだろうけどな」


 子供でもないし、こんなアドバイスは晶子にとっても耳にタコだろう。よもや、俺が晶子と一緒にその男と出掛けるなんてことは、想像するだに恐ろしい。


「興味が無い……といえば嘘になる。けれど、それは、『彼と』という訳ではなく、……」


 ふむ。晶子の気持ちを推して測るに、デートに興味は大アリだが、それは彼だからという理由ではないから、そんな動機では彼にとって不誠実ではなかろうか、というところか。


「ちなみに、付き合いたいとか、そういう気持ちは?」

「毛ほどもない。一厘たりとも」


 あわれ、隣人の何某くん。


「まぁ、でももしかすると、デートしてみたら意外に波長が合って、ちょっとは気も向いてくるかもしれん。実際に付き合う付き合わないは置いといて、人間関係が潤滑に越したことはないんだから、行ってこいよ」

「…………」


 だんまりの晶子。前髪の先を指に巻き付けて手遊びをして、考え込む素振り。

 これ以上は無用だろう。そう思って、退室しようと立ち上がったところで、


「ま、待って!」

「なんだ?」

「……その日が決まったら、連絡する」

「おう」


 妹に甘えられるのは兄の本望。しかもそれが、最近懐き始めた、これから思春期を迎えるような妹なら、なおさらだ。

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