7-6 仙崎誠、目に見えるものだけがすべてじゃない
〇
「失礼しまーす、失礼しまーーーーす」
珍妙な従業員が、台車を押して披露宴会場に入ってくるという珍奇な光景が目の前に広がっている。
「失礼しまーす、失礼しまーーーーす」
そしてそれは俺の目の前で停止し、滑り込むように乗り込んだ。もちろん、ドレスの中では膝を抱えている。
「失礼しまーす、失礼しまーーーーす」
通り過ぎるテーブルの人々が、意味不明なものを見るように、目をまんまるくして驚いている。そりゃそうだろう。だって、意味不明だもの。
けれど、意味不明以上のものではない。
幸いにも、俺と志津香の行軍が物理的に妨げられることはなく、無事、出入り口へとたどり着く。そのままの恰好で会場を退出し、周囲に人がいないこと念入りに確認する。
「今回ばかりは助かった、志津香。それに、晶子にも感謝だな」
足をさすりながら立ち上がる。長時間屈曲させていたために、なんともいえない解放感が心地よい。
「あっはっは! ほんとに180㎝のあやねーじゃん! キモっ!」
志津香が俺を指差してけらけら笑っているが、こいつがいなければ、俺は会場中のさらし者になっていただろうから、いまにかぎり、寛大な心で許してやる。
「しっかし、見れば見るほどあやねーそっくりだな」
「むかしは服装と髪型入れ替えるだけで、親父とお袋以外見分けつかないくらいだったからな」
「確かに、誠にーちゃんって、右か左かって言えば、左って感じだしな」
「左?」
「いや、なんでもない。こっちの話だぜ」
双葉も確かにそんなことを口にしていたが、いったいなんのことやら。
俺は過激な愛国主義者でも、革新主義者のつもりもないのだが。
なんて、志津香と雑談を交わしながら、人の気配に注意しつつ、廊下を歩く。出口までは一直線の道のりだから、誰かに出くわさない限り――
「おっと……失礼」
御手洗へと続く廊下の角から、出てきた人とぶつかりそうになる。
今更声色を変える必要もない。彩音の顔を知っている人ならともかく、ほかの人に見咎められたとしても、ずいぶん声の野太い女性と思われるだけだし、同じテーブルに座っていた面々は、全員着席していたことを確認済みだ。
「あら……その声は、仙崎さん?」
しまった!迂闊だった!!
美原先生は、高校の時のクラスメイトとは別テーブルだった。声色を取り繕うとするが、いまいちチューニングが合わない。咳払い。
「もう帰ってしまうの?お仕事、忙しいのかしら?」
「『そ、そうなんですよ。私としてももうすこしいたいんですけど……』」
介添人の女性が不思議そうに首を傾げている。そりゃそうだ。なんせいまの俺はさっきよりも20センチも背丈が伸びているのだから。
けれど、そんな「荒唐無稽な事実」に彼女が思い至るはずもなく、怪訝そうな顔をしたまま会釈をひとつ。
「さっき、もうひとり声がしたような気もしたのですけど、……誰かいらっしゃるの?」
慌てて志津香の方を振り向くも、彼女の姿は忽然と消えていた。
ふと視線を感じて見上げると、両手両足を広げて天井に張り付いていた。吸盤でも付いてんのか?
とはいえ、いまはそっちの方が好都合なので、心の中でよくやったと志津香を褒めておく。
「ああそうだ仙崎さん。大変失礼なことを申し上げるようで恐縮なのだれけれど、あなたのお名前をお伺いしてもよろしいかしら?わたしもすっかりお婆ちゃんになってしまって、ついド忘れしちゃって」
「『ええ、構わないですけど……。私は彩音。仙崎彩音です』」
そう言うと、美原先生は困ったように笑いながら、
「もう、なにを仰ってるの、ご冗談を言って。それはあなたの妹さんの、彩音ちゃんの名前でしょう?」
なんて言うもんだから、たまらず息を飲んだ。半ば睨みつけるように、美原先生の瞳を見つめるが、しかしやはり彼女は全盲特有の焦点の合わない視線を俺に向けているばかり。
「思い出したわ!仙崎誠さん!三者面談の際にお会いして、ずいぶん手厳しいことも申し上げてしまいましたけれど、あの時はごめんなさいね。けれど、あの時の彩音ちゃんにはきっと大事なことでしたから」
子供っぽい笑みを浮かべながら手を打つ美原先生は、冗談なんかを言っているふうではない。
彼女は、俺のことをまさしく仙崎誠と認識していだのだ。
「今日は彩音さんの代理出席かしら?あの子、お忙しそうですものね。雑誌やラジオ番組、最近ではテレビにもご出演されているそうで。教え子が立派に活躍しているのをいろんな人から聞いて、本当に嬉しいわ!」
俺は、完全に言葉を失ってしまっていた。
盲目ゆえに俺の変装には惑わされず、声だけで違和感を聞き分けた?
否、彼女はそんな次元ではなく、きっともっと奥深くの部分で、なにかを感じ取っていたに違いない。
「それではごきげんよう、誠さん。彩音ちゃんにも、よろしくお伝えくださいね」
美原先生の去っていくのを、俺はただただ押し黙ったまま見送る。けれど、彼女が会場の扉の前なたどり着いたところで、どうしてもこらえきれなくなって、
「ありがとうございました、美原先生!」
叫ぶように、声を振り絞った。
彼女は、ひらひらと、手を振った。
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