4-7 仙崎誠、宿敵・田内翔



 ここで会ったが百年目! 江戸の仇を長崎で討つ! なんて勇み上がって、いきなり胸倉に掴みかかる真似は、さしもの俺もぐっと堪えて好機を待つ。それに、ここでやつをボコボコにのしたところで、なんの問題解決にならないどころか、双葉とさえ反目してしまうだけだ。


「二組の田内くんですよね。サッカー部の」

「僕のこと、知ってるのかい?」

「まぁ、有名ですからね。運動もできて勉強もできて、先生たちからの信頼も厚い。けどそれを鼻にかける訳でもなく、ほかの生徒からの人気もある」

「はは、よしてよ。僕は小さな徳を積んでいるだけさ」


 田内がさわやかに笑う。モデル顔負けの笑顔は、確かにそこらの女なら一発で陥落してしまえる威力を持つだろう。


「サッカー部のキャプテンもしていて、超絶美人で愛想も良くて、家事もそつなくこなして家族にも優しい、品行方正、窈窕淑女を人間にしたかのような美少女と付き合ってるとか、なんとか」

「双葉のことも知ってるのかい? 確かに、双葉は僕にはもったいないくらいの女の子さ。誰にでも優しくって、いわゆる学校のマドンナ。そんな双葉が、僕のことを受け入れてくれたのは、本当にこの上ない幸運というほかないよ」


 田内が双葉双葉と発するたびに、全身の血が沸騰しそうになる。望むらくは、その綺麗な並んだ真っ白な歯をグーパンで砕いてやりたい。

 しかし、まだ我慢、まだまだ我慢だ。双葉どころか、学校中を敵に回すのも本意ではないのだから。


「そんな君は、何年の何組だい? ネクタイはちゃんとしないとダメだろう?」

「俺は、三年四組の『新崎』と言います。ネクタイは……すみません、気をつけます」


 名前を尋ねられて、とっさに嘘を吐く。田内は二組だったはずだから、隣の隣のクラスまでは知見も及んでいるまい。


「なんだ、同級生だったのか! そっちの子は? 君のステディかい?」


 キザったらしい言い方しやがって。なにがステディか。


「……こっちは妹です。生理が重くて気分が悪いらし――い゛っで!」


 内腿を思い切りつねられる。そして千切れんばかりの力で耳を引っ張られて、


「(なに和やかにトークしてるの。乳首をつねるなり、凌遅に処するなり、さっさとして)」

「(なにゆえ俺が男の乳首をつねらにゃならん。ここで田内をぶん殴ったら騒ぎになるだろうが。とりあえずお前は話を合わせとけ)」


 晶子の太ももをつねり返すと、言葉にならない叫び声をあげた後、反射的に背筋を伸ばして田内と相対する。晶子のことだから、俺の意に反して、あるいは、侮蔑の限りを尽くした毒さえ吐きかねないと案じたが、


「わ、わた、わたし、は、しししし新崎、言い、言います、……」


 我が愚昧は重度のコミュ障であった。お前それでよく大学院の面接受かったな。


「本当に具合が悪いみたいだね。よかったら、ここの席をそのまま使って。『僕たちは』どこかほかのところで昼食を摂ることにするから」


 そう言って田内が立ち上がった。

 と、その時、


「お待たせ、翔くん。化学の授業の後片づけを手伝ってたら、遅くなっちゃった」


 声を弾ませた双葉が、家でもあまり見ないようなコロコロした笑顔を浮かべながら、現れたのだった。


「そっちの人はお友――」


 双葉の表情が、そのまま固まる。


「誠、兄、さん……?」

「いえ。僕は三年四組の新崎……新崎詣といいます。誠くん? 誰ですか、それ」


 迂闊だった――――!! 付き合っているという以上、そりゃ昼休みに一緒に過ごすこともあるだろうに! 田内にっくきがあまりに完全に失念してしまっていた!


「それにこっちは、……晶子ちゃん!?」


 双葉が目を剥く。そりゃそうだろう、社会人と大学院生の兄と姉が、学生の恰好をして自分の高校の食堂にいるのだから。


「ひひ、人違い、です。わわ、私は新崎昌子ででででで、す」


 妹にまでコミュ障発動してどうする。


「ふたりを間違うはずないじゃないですかぁ! なんで、ふたりとも学校に来てるんですか!」

「いやだから僕は仙崎詣で、三年四組の……」

「そういうのはもういいですから!」


 ううむ、シラを切り通せそうもない。これが志津香あたりなら、騙しきれそうなものを。妙案はないかとちらりと晶子の方をうかがうと、完全にパニックに陥っていて、すっかり硬直してしまっている。肝心な時に使えん。


 こうなってしまってはいたしかない。本当はもっと時機を見計らう予定だったが――


「バレちゃあしょうがない! そうだ、俺は仙崎誠26歳、高校教師! 仙崎双葉の兄にして、仙崎家家長(仮)!!」


 身を翻して、田内の前に立ち塞がる。


「これはこれは。双葉のお兄様でしたか。先ほどまでの無礼な態度、申し訳ありません」

「あ、これはご丁寧にどうも……って、違――――う! 田内翔、お前双葉と、つ、つ、付き合ってるらしいな!」

「はい、その通りです。ご挨拶もせずにすみません。近々、お伺いさせていただく予定だったのですが……」

「いえいえ、学生といってもお忙しいでしょうから……って、それも違わい! 我が家の至宝である双葉に手を出すとは、いったいどういう料簡か! 言語道断、傲岸不遜。生きて帰れると思うなよ!!」


 手近にあった椅子の上に足をのせて威嚇する。いかな美男子といえ、いかな優等生といえ、容赦も手心もないと思え。


「ちょ、ちょっと誠兄さん……。人が集まってきてますから……」


 大声を張り上げたせいか、双葉の言う通り、俺たちの周囲を取り巻くように人だかりができていた。が、事ここに至ってそんなことはもはや些事。双葉と田内の交際を兄が反対している、そんな事実を広めるだけでも、学生社会では十分にスキャンダラスだろう。しかもそれが田内のような優等生であれば効果はより期待できる。むしろ不特定多数の聴衆は望むところだ。


「そもそもお前のようなひよっこに双葉は――」

「学生は学生らしく――」

「顔がいいだけのどこぞの馬の骨とも――」


 大勢の生徒が俺に奇異の視線を投げかける中、しかし同様同量の目が田内にも注がれる。この時点で、俺の目的はもうほとんど半分達せられたようなものだ。

 田内は静かにうつむいたまま言葉を発さない。その潔さには一片の称賛すら送りたくなる。たしかに、いまこの場で下手に反論なんてしようものなら、後々になって、ギャラリーたちによって面白おかしく脚色されて、一層立場が危うくなるだけだ。


「そういう訳だから、田内翔、双葉とは――」

「分かりました」


 田内が顔をすっと上げる。そして、


「双葉を僕のものにしたいならば、お兄様の屍を超えて行け、ということですね


 その瞬間、割れんばかりの拍手がとどろいた。


「ぜひとも受けましょう、その果し合い。恋愛に障害はつきものですから」


 甲高い口笛や囃し立てるような声援が食堂の中をこだまする。とある男子生徒はいいぞ田内とがなり、とある女子生徒は田内くんかっこいいとその場に卒倒し、


「こらお前たち! なにやっとるか!!」


 挙句に教師まで突入してきて、


「先生! 僕はこれから仙崎双葉さんをかけて、男と男の決闘を行います! つきましては――」


 あれ?

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