4-5 仙崎佳純、共同幻想・田内翔



 一目見た時、物語の中から飛び出てきたのかとも思った。それほどの美形。仮に性格がおそろしくクズだったとしても、それを補ってあまりある容姿。少女漫画の登場人物みたいというウチの直感は、あながち間違いでもなかったらしい。


 前を通り過ぎた女子生徒の目を釘付けにし、けれどほかの男子生徒がそれをやっかんでいる様子もなく、まさしく学園のプリンスとでも言うべき立ち居振る舞い。

 髪をかきあげるだけで黄色い声がそこら中から沸き起こり、口を開けば、その声を聞いた女子生徒が卒倒する。


 そんな田内翔三年生を目撃したウチの率直な感想は、


 なんだあれ。


 というすっとぼけたものだった。


 ほかの女子たちのように目を奪われることもなければ、声を聴いてメロメロになることもない。たしかに整った顔立ちで、耳に快い声音に間違いないが、なんだったらちょっと白けた気持ちですらある。

 ともすれば、もはや化物の類じゃないのかとすら思える。よくもまぁ、あんな男子生徒と同じ学校に通っていて、いままでその存在を認識していなかったものだ。


 なんにせよ、せっかくのシャッターチャンス。近すぎず遠すぎずのちょうど良い塩梅の内に、さっさと写真を撮ってしまおう。


「って、あれ? あいつどこ行った……」


 その時、背後で甲高い叫び声が上がった。慌てて振り返ると、さっきまでちょっと先の廊下を悠然と歩いていた田内が、いつの間にか、反対側にいたのだ。


「さっきまで、そこにいなかったか……?」

「田内先輩、五〇メートル四秒台で走るから!」


 近くの生徒が称賛交じりにそう叫んだ。そんな馬鹿げた話があるか! 足の速さ云々ではなく、さっきまであいつがいた地点といまいる場所を移動するには、廊下の構造上、ウチをすれ違わなければならないはずだ。さもなくば、いちど階段を降りて、再び上がってくるか、もしくは窓から窓を飛び移るしかない。


 やっぱり化物じゃないのか。

 カメラで撮ったら映っていない、とかそんなことはないよな……。


「あれ、佳純ちゃん。こんなところでどうしたの?」


 不意に声を掛けられて振り返ると、そこには双葉がいた。いや、三年生の教室の近くだからいるのも当たり前で、むしろ双葉の質問通り、ウチのいる方が不自然だ。


「なんか三年の教室の方ですごい声が聞こえたから……」

「たぶん、翔くんのせいかな。ごめんね、迷惑だった?」


 「翔くん」に「ごめんね」か。とはいえわざわざ藪をつつくでもない。


「どうしたんだい、双葉」

「うわっ! びっくりした!」


 目を閉じて開いた、その次の瞬間、双葉の隣には田内が現れていた。まばゆいばかりの笑顔を浮かべ、そっと双葉に寄り添っている。


「さっきまでそっちにいたじゃねぇか!?」

「翔くん、足速いから」


 いや、そういう問題じゃねぇだろ!

 やつの周りには尋常じゃない人だかりがあったし、仮にそれを蹴散らして来たとしても、まばたきの間に詰められる距離ではなかった。


「君は?」

「ウ……チは、仙崎、佳純」


 あれ、いま口が勝手に……。


「仙崎? ということは、双葉の妹さんかい?」

「そうなの! ちょっと前までいろいろあって学校に来れてなかったんだけど……」

「なるほど。でも女の子が喧嘩は良くないな。怪我をしたらどうするんだい」

「すみ……ません」


 くそ、こいつと話してると調子が狂う。

 体を反転させようとして、けれど目を逸らせない。まるで金縛りにあったみたいに、指先ひとつ動かせない。


「そろそろ教室に戻らなくて大丈夫かい?」

「は、い……。ありがとう、ございます。失礼します……」


 そう言って目を閉じる。そこでようやく全身の緊張が解けて、肺の中の空気があふれ出る。まぶたを開けると、そこに田内の姿はなくなっていた。


「三年生と話して緊張しちゃったかな。ごめんね、私たちも移動教室だから」


 双葉が手を振って別れを告げる。ウチは、立ち去っていく彼女の姿を、呆然と眺めていた。


 なんだあれ。


 結局、田内の写真はクラスのやつに頼んだ。最悪、ちょっとした強硬手段も辞さないつもりだったけど、コンビニの店員が両替に応じてくれるくらいの気軽さで、ポラロイドのものを一枚譲ってもらった。

 四月に入って徐々に日が長くなり始めて来た帰り道を、得も言えない敗北感に打ちのめされながら、とぼとぼ歩いていた。


「ただいま……」


 今日はもうさっさと眠ってしまおう。気だるすぎて食欲も沸かないし、双葉と顔を合わせるのもなんだか気まずいし、風呂だけ入ってすぐにベッドに飛び込もう。

 そう考えながら玄関の扉を開けると、


「……晶子」

「年上は敬いなさい」

「っせーな。そこどけよ。疲れてんだよ」

「あとで誠兄さんの部屋に集合。作戦会議」


 ウチとしては、もうなにもかもぜんぶ放り出してしまいたいところだけれど、三万円ももらってしまった手前、せめて最後の報告くらいは済ませてしまおう。信じてもらえるかは果たして怪しいところだけど。


 そういう訳で、


 午後九時、誠、晶子、ウチの三人は膝を突き合わせて田内翔について話し合っていた。


「まずはこれが田内の写真」

「ほぅ……たしかにイケメンだな。写真のはずなのに、後光が差してるような気がする。いけ好かん」

「イケメン過ぎて気持ち悪い。形が整い過ぎてて不気味。人間の顔は、ふつう左右非対称」


 ほかの女子生徒たちの反応の中、ウチの感性だけが特殊なのかとも思っていたが、ふたりの感想も似たり寄ったりで、ちょっと安心する。


「いや晶子、お前はただ単にちょっと不細工な方がタイプなだけだろ」

「なにそれ、童貞のひがみ? 誠兄さんも、頭蓋骨と髪型と眉と目と鼻と口を変えれば、ちょっとはマシになるかも」

「それぜんぶじゃん!」


 双葉と同学年、同クラスであること。サッカー部のエースでキャプテンであること。生徒からの尊敬と慕情を集め、先生からの信頼も厚いこと。歩くだけで人集りが生まれ、女子のキャンキャン鳴き声がこだますること。


「はっ。そういうやつほど、良いのは外っ面だけで、部屋の中は二次元美少女のポスターで埋め尽くされてて、パソコンの中にはハードなAVがテラ単位。心の中じゃ、『幼女犯してぇ』とか考えてるに違いない」

「なにそれ、自己紹介?」


 そして、双葉が「翔くん」と呼んでいたこと。田内が双葉のことを呼び捨てにしつつ、ふつうの男女間では近すぎる距離感であったことを伝える。


「あだっ! なんで俺の顔殴った!?」

「もしかしたら、これは現実じゃなくて、夢なのかもしれない」

「そういう時はふつう自分の頬っぺたとかつねるだろ!」


 それから、こんなことを口にするのははなはだ不本意ながら、瞬間移動としか思えないような敏捷性で移動することも伝えておく。


「お前、頭大丈夫か? 人が瞬間移動する訳ないだろ」

「常識的に考えなさい」

「女子校生なだけに、JKってか? うまいこと言うじゃん」


 最後に、私が金縛りにあったことや思ってもいないことを口走ったことなども、一応報告した。


「だー!!! なんだその化物は!」

「っせーな! ウチだって信じらんねぇよ!」

「お前の話じゃ埒が明かん! 直接学校に乗り込むぞ! ついてこい、晶子!」

「了解、誠兄さん」


 こいつら、こんなに仲良かったっけ。

 つーか、マジかよ……。

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