3-8 仙崎誠、いま何でもするって言ったよね?
〇
神妙に、そして満足げに自分で発した言葉を噛み締める晶子の表情が、ずいぶん大人びて見えた。そこまで思ってから、はたと、俺は彼女を子ども扱いしていたのだと、気付いたのだった。
家族だから、妹だからって、無償の愛を享受できる訳じゃない。それが与えられるのは、子どもの内だけだ。身勝手に泣いたり、一方的に怒ったり、あまつさえ無視をしたり、それが許されるのは子どもの間だけで、きっと彼女もそれに気が付いたから、こうやって俺に頭を下げに来たのだろう。
ならば、こちらから晶子に対して要求を持ち掛けた方が、あるいは彼女の気もより楽になるのかもしれない。いくら頭を下げてお願いをしたとて、ただ与えられ続けるというのは、やはり気持ちが悪いだろう。
「いま何でもするって言ったよね?」
「言ってない」
ぴしゃりと言い切られてしまった。
「仕方ない。じゃあ、これで手を打ってやろう。晶子、俺の名前を言ってみろ」
「……? 仙崎誠」
「それが長兄に対する口の利き方か? ああん?」
そこで、晶子もようやく俺の意図を理解したようで、三白眼を釣り上げて歯を食いしばり、かといって喚き出すのも、尾藤教授もいる手前、大人げない、というところか。
「誠、さん」
「家族なのに、それは他人行儀過ぎるだろ。ご主人様、でどうだ」
「死ね。いまの言葉、そっくりそのまま返す」
「チッ、手強いな。じゃあプロデューサーで手を打とう」
「…………」
晶子の無言の圧力がすごい。
「お兄様」「嫌」
「にぃに」「嫌」
「お兄ちゃん」「嫌」
「ブラザー」「嫌」
「大哥」「嫌」
しばらく譲歩と妥協の応酬を繰り返し、
「兄さん」
「…………」
晶子、大きくため息。不承不承、了解したということだろう。
「じゃあ、さっそく『誠兄さん』って呼んでみろ」
「『兄さん』って呼べって、どこの風俗のどんなプレイ……」
「プレイじゃねーよ! 実際に兄妹だろうが!」
「誠兄さん。これでいい?」
「おぅ……」
そんなやりとりのあと、なんでもないように、当たり前のことのように、晶子が口にした言葉に、思わず面食らった。
「晶子」
「ん」
四年間、一度も名前すら呼ばれることなく、ずっと「あなた」呼ばわりだったもんだから、いざふつうの兄妹然とした呼称に改められると、かえってどきまぎしてしまう。あれ、俺と晶子って、いままでどんなこと話してたっけ。
「誠兄さん……」
「晶子……」
互いが互いに目を見つめ、名前を呼び合う。彼女が呼吸をするたびに、まばたきをするたびに、不思議な胸の高鳴りを感じる。晶子も、あるいは同じ感覚を味わっているのか、わずかばかり頬が紅潮している。
兄妹なのに――
兄妹だからこそ――
奇妙な情感――
手を伸ばせば――
「まるで君たち、アレだな。十数年間幼馴染をしていた男女が、思春期に入って急にお互いを意識し始めたみたいな初々しさだな」
だしぬけにそんな風に声を掛けられて、すっ転びそうになる。そうだった、ここは家ではなく、尾藤教授の部屋で、彼女がいたのだった。
「しかし兄妹で、というのは頂けないな。子どもを授かった際、やはり遺伝的リスクを伴うというのが通説だ。私も専門ではないから詳しくはないのだがね。いや、君たちは再婚相手の連れ子同士だったな。ならば、それらの問題はクリアされているのか」
「遺伝学的には問題がなくても、倫理的な問題があるじゃないですか……」
「誠兄さんの子どもを産むくらいだったら、その辺りの野良犬に孕まされる方がマシです」
「そこまで言う!?」
「はっはっは。しかし自身の分を知って、素直になれたのならば結構。私の忠言も、なかなかどうして。あの時の誠君が、年寄りの小言を真に受けられるほど大人であったならばなぁ、と臍を噛む思いだよ」
「耳が痛いですね……」
「しかしまぁ、君の頑固さは嫌いじゃなかったがね。もしもその年老いたラバのような性格が子羊のようになった時、足音高く私の研究室へやって来給え。それこそラバのように、こき使ってやろうとも」
クククと底意地の悪い笑みを浮かべて、尾藤教授は俺の肩に手を回す。しかし俺はそれを払いのけて、
「お世話になりました」
「つれないな。ならば晶子君、精々君を酷使しようと思うのだが、どうかな?」
「お世話になります」
ふたりして尾藤教授に頭を下げ、部屋を後にした。立ち去り際、「まぁ、コーヒーぐらいは飲みに来給え」と言ってくれたのは、きっと社交辞令じゃないだろう。その時には、葵丸本舗のどら焼きは必ず三人分持っていくことにしよう。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます