おまけ

6-1 仙崎誠のいない夜①


 〇


 仙崎一家は、長兄である誠の主義から、なるべく夕食は大勢で摂ることにしている。もちろん、それぞれの都合から一家が揃って食卓に着くのは稀ではあるが、今晩はなんと五人の姿がそこにはあった。


 ――仙崎誠の姿を除いて。


「もうちょっとで出来上がりますから、待っててくださいね。あ、彩音さん、先にお酒飲みますか?」


 三女双葉がキッチンの奥から声を掛けながらフライパンを振るう。今日のメインはチンジャオロース。五人分ともなると大変な量に違いないが、むしろ作り甲斐があると双葉は張り切っている。


「んー、もらっちゃおうかな。あ、晶子ちゃんも飲むでしょ?」


 長女彩音が椅子から立ち上がりつつ応える。例の事件以来、すっかりお酒の魅力にはまってしまった彩音は、誠同様、夕食中のビールが欠かせない。


「……じゃあ、いただきます」


 次女晶子は、あまりお酒が強くない自覚はありつつも、勧められてはやぶさかではないという様子。冷蔵庫に近かったため、彩音を制してビール缶を二本取り出す。


「ねーちゃん、よかったらこれ食べてよ。まぁ、昨日ウチが食べきれなかった分なんだけど」


 四女佳純は、近頃双葉に並んでキッチンに立つようになった。家族の誰しもが驚いたが、その真意は彼女にしか分からない。


「せっかくだから、あたしもすみねーの残飯処理してやっかな。感謝するんだぜ?」


 五女志津香が、先ほどまでソファで横になっていたというのに、ぬるりと妖怪じみた素早さでふたりの近くの椅子に座り、誰よりも先にポテトチップスを摘まみだす。


「それにしても、みんなでご飯なんて久しぶりじゃない? 五月のケーキバイキング以来だっけ」


 季節は既に六月。梅雨も過ぎ去った時期。彼女の言う通り、一ヶ月ぶりの家族団らんであった。


「そうですねぇ。せっかく今日は誠さんの好物のチンジャオロースなのに」


 大皿に本日のメインを盛りつけた双葉が、キッチンの奥から現れる。そしてそっと、テーブルの中央に置き、着席する。


「誠兄ちゃん、か……。惜しい人を亡くしちまったな……」


 部屋の天井を仰ぎ見ながら、志津香が、寂しそうにつぶやいた。


「いや死んでないから! 修学旅行の下見で、帰ってきてないだけだから!!」

「あれ、そーだっけ? いやぁ、最近は物忘れが激しくてのう……」


 彩音の言葉通り、誠は現在学校行事、職務の一環で京都へと出向いている次第である。


「しっかし、誠のやつずりーよな。いくら仕事とはいえ、京都に旅行なんだろ?」

「それがそうでもないらしいですよ? 本来、二泊三日の旅程を一泊二日に圧縮して、修学旅行の下見をするらしいですから」

「お土産、なに買ってきてくれんのかなー。あたし、木刀がいいな!」

「それで頭割られて死ねばいいのに」


 少し前までは、姉妹たちのやりとりは、誠が間に入って、潤滑油となることで捗りがちであったが、いまや、彼を抜きにしても滞りなく会話は進む。

 きっといまの光景を誠が見れば、思わず涙ぐむこと請け負いだが、なんともかんとも間が悪い。


「ねーちゃん、明日も仕事?」

「そうね。だけど、夕方から一本だけだから、朝から服でも見に行かない?」

「すみねーばっかりずるいぜ。あたしもあたしも。未来のナイスバディに相応しい服を物色しに行かなきゃな!」

「だったらみんなで行かない? 晶子ちゃんも、双葉ちゃんも!」

「別に……どっちでも」

「いいですね! わたしもそろそろ新しいお洋服買わなくちゃと思ってたんです」


 賑やかな食卓。つい半年ほど前までならば夢想だにしえなかった、家族の団らん。

 長女たる彩音をして、手放しで喜びを享受してしまうような、そんな幸せの時間。だからついついお酒にも手が出る。一本二本と空き缶を積み上げていく。

 そしてそれにつられるように、晶子もどんどんアルコールを足していく。ついには、誠秘蔵の日本酒までどこからともなく掘り出してきて、長女と次女のふたりで、いたずらっぽい笑みを付き合わせる始末。


「んー! これ、めちゃくちゃ美味しいわね! 誠のやつ、こんな良いものひとりで飲もうたって、そうはいかないんだから!!」

「香り良し。味良し。喉越し良し。まさに何杯でもいける」


 いつの間にか双葉が酒の肴まで作り出してから、ふたりの盃はもう止まらない。そうして、ついに最後の一滴まで、妹たちふたりのグラスで分かちあった時、


「なーなー、あやねー。それって、そんなにうまいのか?」


 ぽつりと志津香が呟いた。


 ふだんの彼女の言動なれば、姉ふたりが酒宴を始めたならば、おどけた調子でそれに混ざろうとするものだろうが、実のところ、志津香はアルコールの類が苦手であった。

 特ににおいがだめ。先程からふたりが撒き散らす酒のにおいに、なんども眉をしかめつつも、しかし、目の前でさほどに美味そうに飲まれていると、どうにしても気になってしまうもの。


「未成年はだーめ。志津香ちゃんは、あと五年ね。その頃には、わたしも30オーバーかぁ……。やんなっちゃう」

「私はまだ。セーフ」

「なにがセーフなのよ!」


 なんてやりとりをしていると、不意に晶子がむず痒そうに顔をしかめ、


「おしっこ……」


 席を立つ。話し相手がいなくなった隙に、彩音も冷蔵庫に向かっていって、酒の肴を物色する。


 ひとり取り残される志津香。目の前にはグラスがふたつ。やや黄ばみがかった液体に、涼し気な氷が浮かんでいる。


 ちなみに、日本酒に氷を入れる飲み方というのは邪道には違いないが、誠がよくやる飲み方で、彩音がそれを覚え、晶子に披露した訳ではあるが、それがこれまた美味しそうに見えて、なおさら志津香の好奇心を煽る。


「風呂上がったぞ。志津香もさっさと入っちまえよ」


 グラスに手を伸ばしかけた瞬間、全身から湯気を上げる佳純が入ってきて、体が跳ねる。


「あやねー、明日は何時に出掛ける?」

「んー、どうしよっか。ちょうどお酒もなくなったことだし、そろそろ寝ようかなとは思ってるんだけど」

「ふーん……。ま、いいけどさ」


 つまらなそうに唇を尖らせて、志津香の隣の椅子を引く。

 と、ちょうど目の前にあるグラスを見つけて、


「これ、ねーちゃんと晶子の水? ま、いいや、ちょうど喉乾いてたんだよな」


 それを酔い覚ましの水だと勘違いして、


「すみねー、それ水じゃなくて――」


 志津香の制止も間に合わず、


 ひと息に飲み干した。


「…………っ!?」


 目を見開く佳純!

 興味津々の志津香!!

 アイスクリームを見つけた彩音!!!

 便器をさする晶子!!!!

 田内との長電話が終わらない双葉!!!!!


 そして、

 仙崎家の夜はまだまだ更けていく――

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