6-2 仙崎誠のいない夜②
〇
「うぁ……なんだこれ、甘くって、なんか変な味が……」
「どう? どう? すみねー。うまい?」
佳純の手に残るのは、氷だけが入ったグラス。焼けるような喉の熱さを感じながら、一瞬志津香の方を睨みつけるが、すぐにこれが先程まで彩音と晶子が飲んでいた酒だと言うことに気が付くと、たまらず口元を歪ませた。
「まず……くはない。けど、うまい……のか、これは?」
鼻から抜ける米由来の風味に眉根を寄せながらも、口の中を通り抜けていった日本酒の残滓を味わう。
佳純自身、飲酒にまったく興味がない訳ではなかったから、その酒の味を、丁寧に丹念に吟味し、そして、
「きゅぅ……」
そのまま意識を失った。度数15の磨き二割三分は、佳純にはまだまだ早かった。
「ふっふーん。アイスクリーム見つけちゃった。日本酒とバニラアイスって、不思議と合うのよね」
晶子が密かに買い置きしていたアイスクリームを見つけて上機嫌の彩音。スプーンをくわえて帰ってきたところに、机の上に突っ伏す佳純と空いたグラス、それからなんともいえない顔の志津香を発見する。
「……もしかして、飲んじゃった?」
「うん。水と間違えて」
「まるで漫画みたいなことするわね」
飲んでしまったものは仕方がない。呆れるようにため息を吐きながら、彩音は志津香の対面に腰を下ろす。
「お姉ちゃん、大丈夫!?」
彩音がアイスクリームをぱくぱくやりながら、志津香が眠た目をこすっていると、突然、廊下の方から悲鳴が上がる。
何事かと慌てて廊下を覗き込むと、口元からヨダレを垂らしてフローリングに這い蹲る晶子の姿。そして、携帯電話を片手にそれを見つけて、立ち尽くす双葉。
「お水、いまお水持ってくるね!」
「ん、ふたねー。これ水」
「ありがとう志津香ちゃん!」
流れるように志津香が手渡したのは、氷と生成の液体が入ったグラス。志津香の気遣いに感激しつつ、双葉は急いで晶子の口元へ。ほうほうの体の晶子は疑う余裕もなく、そのまま流し込む。
「これ……お酒……」
胃のひっくり返る感覚。臓腑が体内からせり上がってくる錯覚。それはすなわち――
「おえええええええええええぇぇぇぇ」
「あっはっはっ! ばっかでー!! あたしが素直に水なんか渡す訳ねーじゃんか、しょーねー!!」
「あんただけは絶対に……」
そもそも嚥下力が弱っていたため、佳純とは違ってひと息に飲み干せず、半分ほど残った磨き二割三分。ちなみに、この分量だけで、バーや居酒屋で注文すれば3000円は下らない。
誠が秘してひとりでしっぽりと楽しもうとしていたそれ。もはや一滴も残っていないとは知るはずもないそれ。晶子をトイレの住人へと追いやったそれ。
それを、晶子はおおきく振りかぶって、
「許さな……いっ!」
志津香の顔面に向かって、ぶちまけた。
立ち込める芳醇な米の香り。廊下に出来上がる3000円の水溜まり。志津香の前髪からしたたる甘露。
ぺろりと舌先が水滴をなぞる。果たして、志津香の感想は――
「きゅぅ……」
下ネタ全開、セクハラ親父のような志津香。鼻骨を砕こうと、喉をかっさばこうと生き返る妖怪のような志津香。しかしそんな彼女も、ただの中学生に違いなかった。
すったもんだで、
酒まみれの廊下を綺麗に掃除し、
動かなくなった晶子、志津香両名をソファに寝転がし、
机に突っ伏した佳純にブランケットをかけてやったところで、
彩音はいよいよ本当の酔い醒ましを口に含みつつ、双葉は溜まった洗い物に精を出していた。
「双葉ちゃん、ありがとね」
「いえいえ。ただ、私がやりたくてしてるだけなので」
「ほんと、あたしには勿体ないくらいの妹を持ったわね……」
小さくつぶやく。
手に持つグラスも、先んじて気を利かせてくれた双葉が用意してくれたものだ。
以前に自分が彼女に対して行った仕打ちを思い返して、彩音は心苦しい。せめてなにかお返しをできないものかと、ちょっと頭を巡らせて、
「そういえば、双葉ちゃん、彼氏の子どこか行ったりしないの?」
などと、話題を振ってみたものの、実は彩音は双葉のボーイフレンドである田内何某と顔を合わせたことがない。既に三回ほど、仙崎家へ足を運んでいるというが、彩音が目にしたことがあるのは、彼が持ってきた手土産ばかり。
曰く、少女漫画に出てくるようなルックスで。
曰く、成績優秀、スポーツ万能で。
曰く、瞬間移動する。
当然彩音は戸惑ったが、もっともらしい顔で、誠までもが憎まれ口を叩くもんだから、なおさら彩音の混乱は深まっていく。
「と、時々は一緒に遊びに行ったりはしますけど、その……」
「いーなーいーなー。その青春って感じ。あたしも、そういうの欲しかったなぁ」
グラスをあおり、水を一気に飲み干す。中学時代の因果から、高校、専門学校の頃の彩音は、男性というものにとんと縁がなかった。
とはいえ、口先ではそんな軽口を叩いてみせる彼女ではあるが、実際のところ、心に深く刻まれたトラウマはそうそう癒えるものではなく、いまだに誠以外の男性と親しくなれる自信はない。
「……彩音さんは、どんな男性がタイプなんですか?」
口ごもりながら、食器を洗う音に紛れながら、双葉が放った疑問は、いかにもガールズトークの先触れ。すこし、距離を置かれてるのではないかと、以前から危惧していた双葉からそんな話題が飛び出してきて、彩音は一も二もなく食いついた。
「えっとねー……やっぱり高身長は外せないでしょ? お洒落映えする見た目だとなおよし。あとは、わたし馬鹿だから、頭の良い人がいいかなぁ。あとあと、細かいことを言うなら、一緒にお酒を飲める人かな」
ざっくりと、抽象的な、理想の男性像を並べ立てていく彩音。五項目、十項目と要素が羅列されたところで、遠慮がちに双葉が、
「それって――」
「誠にーちゃんじゃね?」
つい今しがたまでソファに横たわっていたはずの志津香が、いつのまにか彩音の食べさしのアイスをひったくりつつ、訝しそうに声を上げた。
「志津香ちゃん、もう大丈夫なの!? きゅう、って言いながら、背中から倒れていってたけど……」
「あたしとしたことが、ちょっとびっくりしちゃったぜ。でももう大丈夫。仙崎志津香、ここに参上だぜ!」
志津香はやはり、中学生でありながらも、妖怪に違いなかった。
「そんなことより、あやねーが言ってた男の特徴って、ぴったり誠にーちゃんじゃね?」
言われて、彩音は自分が口にした理想像を思い返す。高身長で顔がよく、お洒落映えがして、頭が良く、お酒を飲む……エトセトラ……エトセトラ……。
「バ、バカ! それじゃ、わたしがまるでブラコンみたいじゃない!?」
とはいえ、彩音の理想の男性像が誠に似通ってしまうのもさもありなん。彼女の青春時代を思えば、むべなるかな。
「やー、でも、誠にーちゃんとあやねーって、あたしの友達の兄妹とかよりはよっぽど仲良しだよなぁ、って、あたしは常々思ってるけどさ」
「大人になると、こんなもんよ。変に意地張って険悪になることもないし、お互いがお互いに譲り合うものよ。なにかを取り合って喧嘩になることもないしね」
彩音は、誠秘蔵の日本酒を空にしたことを完全に記憶から忘却しながら答えた。
「そんなもんかー。あたしなんて、しょーねーと毎回チャンネル争いしてるけどなぁ」
「晶子ちゃんも意地っ張りなところあるからね。まぁ、そりゃ人と人だから相性ってもんもあるだろうけど」
「誠にーちゃんとあやねーは相性バツグンってことだな!」
「変な言い方しないの!!」
下卑た笑いを浮かべる志津香の額を叩いて嘆息づいて見せる彩音。双葉は困ったように笑っている。
当の志津香は、それでもなおエロ親父のような表情を作っていたが、ふと、なにか思いついたみたいにふだんの顔に戻って、
「そーいや、実際のところ、みんなって誠にーちゃんのこと、どー思ってんだ?」
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