5-2 仙崎誠、自分で頭良いっていうヤツは大体バカ



 さて、トップバッターは、


「チッ、テストなんてどーでもいいだろ」


 高校二年生仙崎佳純。半年もの間、不登校と家出娘をしていたから、そのブランクはよほどのものだろうと想定していたが、意外にも全体的に中の下あたりでまとまっていて、赤点はひとつもない。


「……ンだよ」


 高校一年次の後半の授業内容というのは、その後の教育課程において大きなウェートを占めている。例えば、英語なら関係詞、数学なら三角関数、このあたりがすっぽり抜け落ちてしまっている佳純が、すべての科目を及第点で乗り切っているのは、優秀といっても過言ではないだろう。


「いや、意外によくやってるなって。お前、実は頑張り屋さんか?」

「バッ……!」


 顔を赤らめながら繰り出してきた右ストレートをひょいとかわす。柄にもなく照れているのは、事実、相応の努力をしてきたからに違いない。ははは、愛いやつめ。とはいえあまり突っつきすぎても、こんどは拗ね始めるだろうから、次の答案に手を伸ばす。


 二番手は高校三年生仙崎双葉。先ほども言ったように、近く卒業を控える身分で、あまりぼやぼやもしていられない。進学するにせよ、就職するにせよ、早いうちから考え始め、手を打てることは網羅しておくべきだ。


 などなど考えつつ、双葉らしく綺麗に綴じたファイルを手繰ろうとして、しかしいくら引っ張ってもビクともしない。


「えーっと……双葉?」


 ぐいぐいとこんどは強めに引っ張ってみても、微動だにしない。双葉は指先でファイルをつまんでいるだけだというのに。なんてピンチ力だ!


「どうしました、誠さん?」


 顔を上げると、双葉がいつものようにニコニコと笑っている。


「テストの答案を見せてもらいたいんだけど?」

「……ふふふ?」


 ――いや違う! よく見れば、目にハイライトが入っていない! しかも物凄い力でファイルを自分の方へ引き込もうとしている!


「お前が勉強できないのは、晶子からそれとなく聞いてるから」

「あっ、そういえば誠さん、食後のお酒はいかがですか? いまなら、私、なんでも作っちゃいますよ!」

「話を逸らすな! ええい、寄越せ!!」


 強引に双葉の手からファイルを引っ手繰る。その瞬間、


「イヤーーーーーーーーーーーー!!!」


 猛烈な平手打ちが飛んでくるが、これは予測済み。双葉が窮するとバイオレンスに走るのは身を以て知っている。体を逸らしてかわしつつ、速やかにファイルを開いて中を確認する。


 と、そこにはさすがの俺も予測できない惨状が広がっていた。


 まず目に付いたのは、一番初めの英語の解答……なんと12点。仰天しながらページめくると、続いて数学Ⅱ19点。そして数学B11点。現国が辛うじて40点。そこで俺は続きを見るのをやめた。


 咳払いひとつ、この点数を佳純や志津香に公表していいものか逡巡する。いくら勉強が不得意とはいえ、「これはひどい」の一言に尽きる。よくもいままで隠し通してきたものだと感嘆すら覚える。


 ちらりと双葉の方を伺う。うつむいてしまってその瞳の色は読み取れないが、全身がかすかに震えているのを見て取れる。震えたいのは俺の方だよ。


「あー、双葉さん? 時に、大学進学などは……」

「できると思いますか……?」


 おどろおどろしい声で返事が飛んできてぞっとする。

 まだ一年あるからいまから猛勉強すれば間に合う、なんていう応援はもはや慰めにもならないだろう。並の教師であれば匙を投げる成績だ。そして俺は並の教師なので、双葉の成績についてはもう触れまい。


「それはそれで構わないが、高校卒業したらどうするんだ? 将来の目標とかは?」


 専門学校へ通うという進路もなくはないが、当時の彩音ですらもすこしマシな成績だったから、いまのままの双葉が試験を受けても合格できるか怪しいところだ。普通に受験をするよりも、高校側から推薦でゴリ押してもらう方がよっぽど現実的だろう。


「そう、ですね……。お嫁さん、とかぁ?」


 双葉がにへらと笑って見せる。


「お、お、お、お兄ちゃんはそんなの許さんぞ! けけ、結婚なんて!!」

「まぁ、その、例えばの話ですからぁ」


 なんて言葉とは裏腹に、双葉は満更でもなさそうに両頬に手を当てて、はにかんでいる。


 これは匙なんて投げている場合じゃない。なんとしても双葉の成績を底上げしなければならない。俺の持てる力を振り絞って、双葉をなんとか進学させねばならない。仙崎双葉育成計画の始まりである。


 それはそれとして、トリは志津香。正直、こいつに関してはいちいち確認するまでもないんじゃなかろうか。双葉以下ということはないにしても、同程度か、もしくは名前の書き忘れレベルのポカまでやらかしている可能性すらある。


「ははん、さてはその目は、あたしのことをバカにしてんな?」

「いや馬鹿にはしてない。極めて妥当な予想だと俺は信じている」

「ま、ま、いーからいっかい見てみてくれよ。細工は流々仕上げを御覧じろ、ってね」


 いまいち間に合っているのかよく分からない日本語ともに差し出されたのは、くしゃくしゃの解答用紙。それを手に取るまでに一拍、開くまでにも一拍、そしてため息ひとつこぼしながら、解答に目を落とす。


 そこに広がる光景は、果たして、


「98点、だと……?」


 〇で埋め尽くされている英語の解答欄。これはなにかの間違いではないかと数学、国語、理科、社会と全科目に目を通すが、いずれにしても90点台を下回っているものはなく、あるいは、誰か別人の解答を持ち帰ってきたのではないかとも疑ったが、名前欄にはまさしく仙崎志津香の文字。


「あ、いちおー言っとくけど、カンニングなんて姑息なマネはしてねーかんな」


 そんな馬鹿な。こんなことがあっていいのか。これは天変地異の前触れではないのか。あの志津香が、口を開けば小学生レベルの下ネタばかりのあの志津香が、乳首をつねればアヘ顔ダブルピースで俺に赦しを請うようなあの志津香が。


「学校のテストなんて、授業をちゃんと復習すれば100点満点取れるようになってんだからさ、別に驚くようなことでもねーじゃん。……まぁ、テスト前には結構しょーねーに勉強見てもらってたけどさ」


 志津香が至極正論を口にするのが、なんだか釈然としない。

 家にいる時は大概リビングでだらだらしていて、時には晶子とチャンネル争いを繰り広げている志津香が、いったいいつ机に向かっていたのかも不思議だ。


「……なんだ、その手は?」


 ふと志津香に視線を戻すと、なにやらふくふくした笑顔でこちらに両手を差し出している。試しに、口を拭ったティッシュをそっと乗せてみる。


「ちっげーーーーよ! 金だよ金! 妹がこんなに頑張ったんだから、ご褒美のひとつでもくれてやるのが兄ちゃんってもんだろ!」


 ちょっと感心すればすぐにこれだ。そんなふうに水を差さなければ殊勝だというのに。


 とはいえ、志津香の言葉にも理はある。それに、全科目90点オーバーという点数は付け焼刃の勉強では到底マークできるものではなく、日頃からの努力もうかがい知れる。甘やかす訳ではないが、褒める時は褒めてやるのが躾というものだろう。


「分かった。いちどだけなんでも頼み事を聞いてやるよ。欲しいものがあるなら買ってやるし、小遣いをくれっていうならそうしてやる。よく考えて使えよ」

「おっ! 言ったな! 吐いた唾は飲み込めねぇかんな。それじゃあ……」

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