4-11 仙崎誠、後日談④
〇
双葉の通う高校を舞台に繰り広げられた一〇一番勝負から一週間。惜敗の結果、田内翔を双葉の交際相手として認めたものの、特に彼女に変化が現れた訳ではなかった。夜な夜な田内に誘われて遊びに出かけるでもなく、今日も今日とて、仙崎家のキッチンにて夕食の支度をしてくれている。
仕事を終えて、今日の献立はなんだろうか、なんて考えながら玄関の扉を開くと、リビングには佳純。目が合うや否や、机を叩きつけて佳純は立ち上がり、
「おい誠! てめーのせいで、ウチが学校でどんな風に言われてるか、知ってっか!?」
勢いよく俺に詰め寄ると、そのまま胸ぐらを捕まえる。
「どうどう、落ち着け佳純」
「これが落ち着いてられっか!」
疲れて帰って来た兄にいったいなんの仕打ちか。双葉絡みの件で憤っているというのならば、まったく筋違いだ。汚れ仕事を押し付けた自覚はあるが、その分、報酬も弾んだのだ。
「ま、まぁまぁ佳純ちゃん」
調理の手を停めてキッチンから出てきた双葉を、佳純は一瞬、じろりと双葉を睨み付けた後、ドスンと椅子に腰を落とした。
「双葉は事情知ってるのか?」
「私も当事者みたいなものですし……」
そう言って双葉は不憫そうに目を伏せてから、訥々と語り始めた。
ある女子生徒の談
「あのヤンキーの仙崎さんが、いきなり私に話しかけてきて。それで、カツアゲでもされるんじゃないかと思ったら、三年の田内先輩のことを教えてくれって。クラスを教えたら、これでも食べとけって、飴を渡されて……」
ある男子生徒の談
「部活の帰りにさ、金髪のヤンキーみたいな女の子に話しかけられてさ。よく見たらウチの制服で、二年のリボンで、名札に仙崎って書いてあって。そういや、仙崎って妹いたよなぁ、とか考えてたら、同じ部活の翔について教えてくれって言われてさ。まぁ部活内でのこととか喋ったら、飴玉くれたよ」
ある教師の談
「ちょっと前まで不登校だったけど、近頃は心を入れ替えたように真面目だよねぇ、仙崎さん。見直してるよ。ああ、妹の方ね。資料運びとかも、時々手伝ってくれるしね。ああ、それで、この間もちょっと手伝ってもらってたら、私が担当してるクラスの田内くんのことを教えてほしい、って言ってきてね。不思議に思いながらもいろいろ聞かせたら、お礼のつもりか知らないけど、飴ちゃんをくれてね。お菓子の持ち込みは、校則で禁止なんだけどね」
そしてどこからともなく、誰ともなく囁かれ始めたのが、
「仙崎佳純は、田内翔を狙っている」
という噂。佳純は田内に既に彼女がいることを知っているのか、しかもそれが一つ屋根の下で暮らしている姉であることを知っているのか。
高校生の、それも色恋沙汰に関する噂の拡散力は爆発的だ。しかも、人から人へ伝わる内に、尾ひれ背びれが付き、その噂が自分のところに返ってくる頃には、まったく真実の捻じ曲がったものになっていることが、往々にある。
巷談俗説に疎い双葉の耳にさえもそれが届いた時、完全に異質化しており、
「仙崎佳純は、実は以前から田内翔に好意を寄せていて、しかし仙崎双葉が先んじて彼女の座を奪い、それに腹を立てた仙崎佳純は仙崎双葉と決裂し、不登校となりヤンキー化。自身の気持ちに整理を付けるために半年間、不良どもを血祭りに上げ、ようやく落ち着いたところで学校へ戻ってくるも、やはり田内翔への思いは拭いもきれず、姉であり恋敵でもある、仙崎双葉との再戦に向けて牙を研ぐのだった」
――以上、仙崎双葉はかく語りき。
「はっはっはっはっはっは! ばーーーーーーーーーーーーっかじゃねぇの!? はっはっはっはっは――ゲホッ、ゲホゥ、はっはっはっ、ゲホッ、オホッ、……」
「誠兄さん、笑うかむせるか、どっちかにしてください! はい、お水です」
「お、おお……すまんな双葉。しかしこれが笑わずに聞けるか? むせずに聞けるか?」
俺は目に涙すら溜めて、抱腹絶倒の大爆笑だった。何をどうすれば、ロミオとジュリエット並みの、お涙頂戴の悲恋劇が出来上がるんだ。劇作家志望の文芸部あたりが、人知れず脚色して回ってるんじゃないのか?
「お前は大阪のおばちゃんか! なんで飴を常備してるんだよ」
「あの……突っ込むところはそこじゃないような……」
「うっせーな! 脅した、とかそんな風に思われるのが嫌だったんだよ」
「完全に口止め料じゃねぇか。そりゃ、お前が良からぬ企てをしてるんじゃないかって、邪推されもするだろうよ」
「どおりで最近、クラスのやつが生温かい目で見てくると思ってたんだよ……。三年の女子なんか、こっちがなんも言ってないのに、『頑張れ』って言ってくるし……」
佳純は、穴があったら入りたい、とでも言いたそうに、両手で顔を覆って座り込み、耳まで真っ赤にして唸っている。
「気を取り直せよ、佳純。人の噂も四十九日って言うだろ? 俺が冥福を祈っておいてやるから」
「ウチは死んでねぇ!」
「そんな噂を学校内で吹聴されたら、社会的には死んだようなもんだろ」
「誰のせいでこんなことになったと思ってんだよ! 誠、ちょっとツラ貸せ」
佳純が拳骨を振り上げる。ヤンキー怖い。すぐに暴力に訴えるんだから。しかし長兄として、やられっぱなしという訳にもいかない。かかってこい、力の違いを見せてやる!
「ただいまー。わりーわりー、友達とのカラオケが長引いじゃってさー。やっぱり水木一郎はたまんねぇよなぁ」
玄関先から志津香の呑気な声が聞こえてきて、佳純の手が停まる。
「お、すみねー帰って来てんじゃん。そういやすみねーに聞きたいことあるんだけど、翔パイセン狙いって、マジ?」
「お……あ……なんで、知って……」
「やー、だって翔パイセン、あたしの中学出身の超有名人だもん。去年のユース選手権の優勝チームでフォワード張ってて、スカウトからも目を付けられてて。末は博士か大臣か、ってやつだよなー。クラスでも、いまその話題で持ち切りだぜ?」
「う……うぅ……」
あ、完全に撃沈した。糸の切れた人形のように、四つん這いになって顔を地面にうずめたまま、言葉にならない何事かを繰り返している。哀れ佳純。
「しっかし、すみねーも意外とミーハーだよなー。そりゃ、翔パイセンはイケメンだけど、別にイケメンなら見慣れてるし、ああ言うのは競争率が高いし、女慣れしてるから、そう簡単には落とせねーぜ? しかもふたねーから寝取ろうなんて、誠兄ちゃんが童貞卒業するより無理だって」
いったいお前は何様のどこから目線なのか、ぽんぽんと佳純の頭の撫でる志津香。
「まぁまぁ、今日は飲み明かそうや。ボトル新しいの下ろしてやるからさ」
志津香が肩に手を置いた瞬間、
「うるっっっっっっっっせーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!!」
佳純が、爆ぜた。
ほぼゼロ距離から放たれたアッパーカットが的確に志津香の顎を捉えた。振り抜いた勢いのまま佳純は立ち上がり、志津香は壁まで吹っ飛んでいく。
「それもこれもあれもぜんぶてめぇのせいだ! 頭蓋骨と髪型と眉と目と鼻と口の形が変わるまでぶん殴ってやる!」
再び佳純が詰め寄ってくる。その両目は、完全に正気を失っていて、もはや話し合いでどうにかできる段階ではない。
「仕方ない。妹を教え導くのは兄の務め。だが、俺の愛はすこしばかり厳しいぞ? 乳首のひとつやふたつくらいは覚悟しろよ」
ならばこちらも臨戦態勢。両手を胸の位置で構え、ファイティングポーズを取る。
その時、
「ストーーーーーーーーーーップ!!!!!!」
耳をつんざくような大音声が聞こえて、いまぞ取っ組み合いの喧嘩を始めんとしていた俺と佳純は、気勢をくじかれた。何事かと振り返ると、あの温厚な双葉が、フライパンとお玉を手に、怒りの形相を露わにしていた。
「誠兄さん! そこに正座してください!」
「え、あ」
「早く!」
「はいぃ!」
「それからしづちゃん、お姉ちゃん呼んできて!」
「イエッサー!」
機敏な動きで志津香が階段を駆け上がり、ややもしない内に晶子の喚き声が聞こえてくる。静かになったと思えば、ガムテープで口を塞がれた晶子が志津香に担がれて登場した。
「お姉ちゃん、静かに! はい、正座!」
ふんすと鼻息荒く、双葉は俺たちに向かって、
「今回の件は、ふたりが完全に悪いです! 人の部屋まで勝手に入って! 気付いていないとでも思ってたんですか!」
そこまでお見通しとは……。
「ふたりが私のことを心配してくれているのは嬉しいです。でも、だからって、こそこそ嗅ぎまわったり、佳純ちゃんを遣ったりするのは、やっぱり良くないです!」
返す言葉もない。隣では塩をまぶされた青菜みたいに、晶子がしょぼくれている。
「謝ってください!」
「すみませんでした……」
「ごめんなさい……」
「私にじゃないです! 佳純ちゃんに、です!」
佳純に頭を下げるのは癪だが、ちらりと双葉の顔を盗み見ると、謝らない限り本当に許してくれなさそうなので、素直に従う。
「悪かった」
「ごめん……」
兄と姉が、その妹に叱られながら謝罪したことで、すこしは佳純の留飲も下がったのか、舌打ちひとつ鳴らして、双葉に水を向ける。
「もう二度とこんなことはしないでください! それから、これは今回の罰です。お姉ちゃん、両手出して」
言われるがままに晶子が手を伸ばすと、その手のひらに右手のお玉を振り下ろした。うわぁ、痛そう。くぐもった声で顔を歪ませる晶子の表情が、それを如実に語っている。
「はい、誠兄さんも」
同じように俺も両手を前に出す。しかして双葉が振りかぶったのは、左手で――
「あ゛あ゛あ゛あ゛っっっっっっっっっづぅぅぅぅあぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」
「誠兄さんは特に反省してください!」
「お前、マジか!? 正気か!!??」
俺の手のひらを覆ったのは、さっきまで夕食を作っていた熱々のフライパンだった。お玉よりも重量のある分、軽やかに振り回すこともできず、一秒くらいは触れていた。
「ふたねーって、結構バイオレンスだよな……」
「そうだな。ウチらは逆らわないようにしよう」
俺たち四人に、双葉の恐ろしさが、まさしく心身に刻み込まれたのだった。
「たっだいまー。あれ、誠帰ってきてる。今日休みだっけ?」
そして何も知らない五人目が朗らかな声で帰ってきた。リビングに入った矢先に繰り広げられている惨状を見て、目を白黒させながら、
「え、なにこれ。なんでふたりとも正座してるワケ?」
「実は、ふたねーに彼氏ができて、それで……」
「双葉ちゃんに彼氏!? なにそれ、わたしそんなの聞いてないんだけど! どこの誰だか知らないけど、よくも私の双葉ちゃんを傷モノに……」
それはもうやった。
「まずは相手の男の身辺調査からね」
それもやった。
「かくなる上は学校に直接殴り込みしかないわね」
もう見た。
「彩音さん、落ち着いてください!」
あっ。
と思った時にはもう遅い。
双葉が振りかぶったのは左手で、
当然、その先に握られているものはフライパンで。
無惨彩音。
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