4-10 仙崎誠、ワンオーワン勝負③



 準備の良い実況が、ホイッスルを鳴らして、長きにわたる俺と田内の決着の幕が、ついに上がった。

 ワンタッチ、ツータッチでボールを転がし、緩やかにスピードを上げていく。同時に田内もまた少しずつ俺との距離を詰めて、間もなく両者は激突する。

 このまま勢いに任せて、簡単なフェイントからのブリッジや股抜きで抜き去るのもいいが、直前で俺は大きく減速、ほとんど止まるようなスピードで田内のディフェンスを迎え撃つ。


 勝負は一瞬、いちどきり。


 近づいてきた田内をかわすために、アウトサイドでボールにタッチする――と見せかけて、そのまままたぎ越し、もう片方の足のアウトサイドでボールにタッチ――これもそのままボールの上をオーバーする。

 ドリブルフェイントにおける基本技術、シザース。抜くと見せかけ、しかし実際にはボールに触れずに、足だけを左右に振り、相手を揺さぶる。

 ギャラリーたちのどよめきが聞こえる中、しかし田内は、その程度は予想済みだと言わんばかりに、腰を落として、視線はボールに注いだまま。すこしばかりも重心がブレる様子もない。


 ならば――


(これなら、どうだっ!)


 もはや手を伸ばせばお互いに体に触れられそうなほどの距離。そこで、俺は再びアウトサイドを繰り出して、今度は本当にタッチする。

 田内が眉をひそめる。そして、わずかに体が片側に沈み込んだ。


「ここだっ!」


 田内の側から見れば、度重なるシザースののちに、ついぞ俺が焦れて強引な突破を仕掛けたと見えるだろう。けれど、このワンタッチさえも、罠。


「オオオオオオオオオオオオッ!!」


 蹴り出した右足を、ボールよりも素早くその向こう側へと回り込ませ、高速で切り返す。その結果、右方へ動き出したボールは、急速に左方へ弾き出される。

 シザースに並ぶ、オフェンスのドリブルテクニック、エラシコ。ポルトガル語で輪ゴムの名を冠するこの技術は、まるでボールと軸足がゴムで紐づけられたかのように動くことからそう呼ばれる。

 田内が、片側へ傾けていた重心を取り戻そうとしているのを、後目に捉える。しかし、もう遅い。


「なんと、仙崎選手が田内選手を……」


 既にボールは田内の後方へと転がり、俺は体を翻して田内の体をすり抜けて走り出す。


「抜いた――――!!!」


 決まった。シザース、エラシコの二段階のフェイントによる完璧なまでの突破、完全無欠の勝利。だれがどう贔屓目に見ようとも、田内が俺のドリブルに屈したのは明らかで、一片の疑いようもない。


「はっはっはっはっは!! ざまぁないな、田内翔! 四年に一度のワールドカップを楽しみにしてるだけの男のフェイントに引っ掛かるなんてな! サッカー部の主将も、こんなもんか!?」


 悲鳴とも歓声ともつかない声で叫ぶ観客たちに手を振って応える。解説席では、妹たちが目を丸くして驚いている。そうだ、お前たちの兄は高校生に後れを取るほど落ちぶれちゃいない。


「いえ、お兄様――」


 突然、ふわりと耳元でささやくような声がした。その声音に、ぞくりとする。

 そんなはずはない。俺は田内を言い訳のしようのないほど完膚なきまでに抜き去り、あまつさえ、勢いのまま駆け出した。

 その距離を、バランスを崩した田内が、一瞬の内に詰め寄ることなど、できようはずもない。


 慌てて振り返る。が、やはりそこに田内の姿はなく、


「そこも、僕の守備範囲内です」


 再び声が聞こえた時には、田内は俺の前方、進行方向に忽然と姿を現していた。まるで時間が巻き戻ったかのように、田内は再び、先ほどと同様に俺のボールを奪取するために迫っていた。


「で、出た――――!! 田内選手の瞬間移動だ!!!」

「ちょっと待てぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇいいいいいい!」


 さすがに瞬間移動(ソレ)はおかしいだろ! 百万歩譲って、お料理対決の時のような規格外を認めたとしても、そればっかりは誰が許しても物理法則が許さないだろうが!


「渾身のドリブルを披露した仙崎選手も、これにはお手上げかー!?」


 「お手上げかー!?」じゃねぇよ! 実況もなんでこれが正常だと思ってんだよ!!

 驚く俺をよそに、その隙を突いて、田内の長い脚が伸びてくる。なんとかハンドリングで捌こうとするも、間一髪、ボールを掠め盗られてしまう。


「くっ……だが、まだだ!」


 取られたのならもう一度奪い返して、再び抜いてやればいい。即座にプレスをかけながら田内に肉薄する。

 が、ボールは田内の股下よりもさらに後方にまで運ばれ、ちょっとやそっとでは足が届かない。ならば体勢を切り返して、と思ったところで、


 ボールが消えた。

 否、正確に言うなれば、このグラウンド上から、ボールが消えたのだ。


 ボールは、高々と宙を舞っていた。

 ヒールリフト! しかも、これは――


「レインボーフリックだ――――!!」


 俺はまんまと頭上を見上げさせられ、挙句、ボールを目で追うあまり、体勢が崩れて一歩出遅れた。その傍を、田内が華麗なターンを決めながら通り抜けていく。


「まだ、まだだぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!」


 半身を翻し、強引に田内へとチャージングを敢行する。

 ボールを素抜かれたのなら、体の方を止めてやればいい。俺がワンテンポ遅れた分、田内にもそれを押し付けられれば、そこから先はフィジカルとスピードの勝負!


「……って、あれ?」


 ファールまがいのタックルを食らわせたのち、田内の体を軸にして体勢を立て直そうと思っていたその場所に、しかしやつの姿はなく、無理な姿勢のまま重心をずらした俺の末路はといえば、


「いてっ!」


 グラウンド上に倒れ込むほかなかった。目を開けるとそこには、汗ひとつ書いていない田内が、足の裏でボールをキープしていて、俺はそれを仰向けになって見上げていた。


「勝者! 田内翔!! 仙崎双葉争奪戦一〇一本目を制したのは、我らが田内翔だ!!!」


 実況が今日一番の大音声を張り上げる。確かに、いまのふたりの姿を見て、どちらが勝者でどちらが敗者かなど、火を見るよりも明らかだろう。

 田内が、爽やかな笑顔を口元にたたえながら手を差し伸べてくる。口の中の苦虫を味わうように噛み殺しながら、俺はその手を掴んだ。


「良い勝負でした、お兄様。ですが僕も負けられませんから」

「……別にお前を認めた訳じゃないからな。かといって、妹の交際相手を、兄がいちいち咎めるのも体裁が悪いってだけの話だ」


 周囲から小さな拍手が巻き起こる。実に業腹だが、勝負に乗ってその上で負けてしまったのなら、無暗に喚き散らすのは無様というものだろう。


「うちに来た時は双葉の晩飯も食ってけ、うまいぞ。それから、双葉にはもうひとり姉がいるんだが、そいつにも紹介してやる」

「お兄様……」


 田内が再び差し出した手を、不承不承握り返す。晶子は不満そうに、佳純は疲れたように、双葉は嬉しそうに俺たちの方を見詰めている。

 確かに、双葉も華の女子高生であるのだから、彼氏のひとりやふたりくらい出来ていて当然のことなのだ。その相手が、どこぞの不逞の輩であるくらいならば、まだ田内の方が髪の毛一本分マシだろう。


「固い握手も交わされたところで、これにて、第一回、田内翔VS仙崎誠一〇一番勝負、閉幕となります!」


 いや第二回はねーよ!

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