仙崎双葉の場合

4-1 仙崎誠、グッドコミュニケーション



 仕事を終えてリビングに帰ると、なんと珍しいことに晶子と志津香が対面して食卓に座っていた。赤道直下でオーロラを見るような光景に、俺は口をあんぐりを開けて呆然と立ち尽くしてしまった。


「おっ、お帰り誠兄ちゃん。悪いけど、いまは兄ちゃんの相手できないんだよ。部屋にでも戻って、ひとりさみしくオナニーでもしといてくれ」

「誰がするかバカ。なにしてんだよ」


 このふたりが揃うと罵り合いが基本だが、今日は頭を突き合わせてなにやら真剣そうな面持ちだ。

 ふたりが挟んでいるのは、将棋盤だった。


「へぇ、将棋か。なんだ、ふたりともできるのか」

「まぁね。誠兄ちゃんは?」

「や、駒の動かし方を知ってるくらいだ」


 晶子が食い入るように盤に視線を落としている一方、志津香が余裕しゃくしゃくで俺と会話しているところを見ると、どうやら志津香の優勢で晶子の手番らしい。


「意外なこともあるもんだ。こういう頭脳ゲームは晶子の圧勝じゃないのか?」

「失礼な! あたしだって、特技のひとつやふたつくらいあるんだよ」

「黙って。気が散る」


 ぴしゃりと言われ、思わず黙り込む。志津香も、そんな晶子を馬鹿にすることなく、椅子の上に正座なんかして、同様に盤を覗き込む。

 やっとのことで晶子がたどたどしい手付きで駒を動かすと、志津香は首を捻ってすこし考えた後、こなれた所作で駒音高く応える手を指す。


 そして二十手後、


「うぐっ」


 晶子が呻いた。


「ヒャッハ――――!!! 王手龍取りだぜぇ!! しょーねーもまだまだ甘いぜっ!」

「まだ……やれる」

「あ、そっちに逃げたら十三手詰めだぜ」

「うそ……」

「待ったはなしって約束だかんな」


 志津香の予言通りに盤上が収束していく。そしてきっちり晶子玉が逃げ場を失ってから、


「参りました……」

「うむ。苦しゅうない」


 あの晶子が、あの志津香に頭を下げた。なんということだ。これはもはや地球が逆回転するレベルの異常事態だ。


「次は……負けないからっ」

「またのお越しをー」


 半べそかきながら乱暴に扉を閉めて退室するばかりか、リビングにまで足音が響く勢いで階段を駆け上がって行った。晶子の狼藉もむべなるかな。俺だったら自殺まで考えているところだ。


「やー、しかししょーねーはやっぱり賢いなぁ。メキメキ強くなってってるぜ」

「今回が初めてじゃないのか?」

「うんにゃ。実は学校の勉強で分かんないところあってさ、しょーねーに聞きに行ったんだ。そしたらしょーねーが将棋盤持っててさ」


 なんというか、こいつの怖いもの知らずは末恐ろしいな。あれだけ邪険に扱われている相手に勉強を教わりに行くなんて。


「そしたら、しょーねーに将棋で勝ったら教えてくれるってことになってさ。『ま、あんたみたいな類人猿、勝負にもならないと思うけど』とか言うもんだから、あたしもさすがにちょっと腹立って、全駒してやった。ウヒャヒャヒャヒャ(´◉◞౪◟◉)」


 その顔やめい。


「ま、それ以来、ちょくちょく相手してやってるって訳よ。でも、うかうかしてるとその内あたしもコロっと負かされるかもなぁ」

「ふーん」

「そっちから聞いといて、興味無っ!!」


 そんなことはないさ。むしろ喜ばしいことだ。

 以前までは同室することすら毛嫌いしてたのに、いまはこんな近い距離で顔を合わせている。晶子の気の持ち様がどうであれ、格段の進歩といえる。


 近頃は彩音と佳純でショッピングに出かけることもあるらしいし、同じ屋根の下に住むもの同士、家族同士、仲が深まるのは良いことだ。

 となると、ここはひとつ、俺も更なる親睦を図ろうというものだ。晶子・志津香、彩音・佳純、と、くれば――


「そういう訳で、俺は双葉ともっと親密になろうと思います。あわよくば、『お兄ちゃん大好きチュッチュ』まで言わせたいと思います」

「は、はぁ……」


 代休によりぽっかり空いたとある平日、俺は双葉の帰りをリビングで待ち伏せしていた。

 目的は、先述通り双葉との関係性をより強固で密接なものとするために、真の兄妹へと一歩近づくために、グッドコミュニケーションを図ろうと言う訳だ。


「やっぱり、人と人が仲良くなるためにはスキンシップが大事だと思うんだよ」


 両手をわきわきと動かしながら、部屋に入って来たばかりの双葉に歩み寄ると、彼女は、ひきつった笑みを浮かべながら、一歩後ずさった。


「いえ、でも、その、私と誠さんは、四年も同じ家で暮らしていますし、もう十分仲が良いと……」

「人間関係は、時間じゃない!」

「えぇ……なんだか言葉のタイミングが違うような気が」

「そういう訳だから、スキンシップ、スキンシップ。ほら、上着脱いで」

「上着は絶対関係ないですよね! それに、その手の動き。もしかして……」


 どんな方法がより彼女との距離を縮められるか、俺は悩みに悩み抜いた。サプライズパーティなどを盛大に執り行おうかとも思ったが、彼女の誕生日はまだまだ先だ。


 そして熟慮を重ねている内に寝落ちし、いまに至る。


 実質なにも考えていないとも言い換えることもできるが、だからといって何も思いついていない訳でもない。俺が他の妹たちにはしているのに、いまだに双葉にだけはしていないことをすれば、仲間外れではなくなって、俺だけでなく家族全体の関係性の強化にもなるだろう。

 一緒にショッピングに出かける? ノンノン。一緒に遊びに? それも違う。そう、それは――

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