2-5 仙崎誠、飲んで飲まれてまた飲んで
〇
「あたし、この後インタビューの仕事入ってたと思うんだけど」
「先方の都合で延期になっちゃいまして。ですので、今日のところはもうお休み頂いて結構ですよ」
芸能事務所からふたりの女性が出てくる。もちろん、彩音と原田さんだ。事前の打ち合わせ通り、うまく事を運んでくれたようだ。
「奇遇だな彩音、いま仕事終わりか?」
そこに颯爽登場! まるで鉢合わせたかのように現れてみたものの、実際は三十分ほど前から待機していた。芸能事務所の前を張り込んでいるみたいで、正直通行人からの視線が痛かった。
「誠? なんであんたがこんなとこにいるのよ」
「細かいことはいいだろ。暇だったら、たまには一緒に飲みに行くか」
「なんであんたと行かなくちゃならないのよ。お酒がおいしくなくなっちゃうわ」
酒の味も分からずに酔いつぶれてる半人前が一丁前な口を利く。
「いつも仕事頑張ってるお前も、たまにはねぎらってやろうと思ってな。いい店知ってるぞ。それから……おごりだぞ?」
「む……。だったら、柚有子も一緒に行こうよ。誠がおごってくれるってさ」
「わたしは、まだ仕事がありますから。たまにはご兄妹水入らずで楽しんできてください」
すっと身を引く原田さんとアイコンタクト。実際、彼女には仕事が残っているだろうし、ゆっくり消化するいい機会だろう。
「まぁ、たまにはいっか」
さて、原田さんの協力の下、実行に移す今回の作戦の概要は次の通りだ。
酒が飲みたいというのなら、浴びるほど飲ませてやろうじゃないか。足りないというのなら、じゃんじゃん持ってきてやる。中途半端に飲むから、性質の悪い酔っ払い方をするのだ。
自分の酒量の限界を知り、それを超えてしまえば痛い目を見るということを心身に刻みこむ。仮に彩音がもう飲めないなどと弱音を吐いても、飲ませ続けてやる。これが、俺なりの教育的指導だ。
という訳で、まずは一軒目。以前柴田とも訪れたバーのマスターにも一枚噛んでもらっている。
「誠にしては良い店知ってるわね」
「『誠にしては』は余計だ。とりあえず乾杯」
ジョッキとグラスをコチンと合わせる。
いい飲みっぷりだ。喉を鳴らし、一気に半分ほど飲み干す。アルコールが入るとお互い饒舌になり、くだらない話をしながら、
「あたし、ビールって苦手なのよね」「なにおう、この旨さが分からんとは、まだまだおこちゃまだな」「それって、お寿司にワサビ付けないのは子どもっていうのと同じ理屈よね。馬鹿みたい」「甘いカクテルじゃ、塩や脂と合わんだろ」「ワインならちょっとはいけるんだけどね」「だったら、あれがオススメだな」
みるみる内に、お互いに六杯ずつ空けたところでお会計。
店を出た時、彩音は赤い顔に手を当てながら、
「今日のお酒、ちょっと回るの早いかも……」
それもそのはず。そもそもの寝不足で酔いやすいのもあるが、胃の中が空っぽの状態で酒を入れれば吸収は早い。しかも、マスターに言ってカクテルの度数を少しキツめにしてもらったから、なおさらだ。
「なにへばってんだ、二軒目行くぞ!」
他方、俺は事前にしっかり夕食で腹を満たし、肝機能を促進する機能性飲料を摂っている。備えは万全だ。
二軒目はBAR Flowerよりも大衆的な居酒屋。ここなら多少騒いでも迷惑にならないし、個室があるから彩音という存在が見咎められることもない。
再び乾杯。出てきたビールを俺が一気に飲み干すと、対抗心を燃やしたのか彩音もグラスを空ける。煽られて酒のペースを早めるなんていうのは、愚の骨頂だ。
続けざまに二、三杯ハイペースで平らげる。それにもなんとかついてくるが、グラスを傾ける角度は徐々に緩くなっていく。
「それで、なんであたしに当たってくんの。ほんとワケわかんない」「うんうん、そそうだな」「あの親父、セクハラひどくて!」「わかるわかる」「別にモデルの仕事が嫌ってワケじゃないんだけどさぁ……」「よしよし、飲め飲め」
へべれけになって管をまく彩音は、既に十杯以上の、カクテル、ワイン、日本酒、ハイボールをちゃんぽんして胃袋の中に収めてしまっている。
ここで俺はちょっと休憩。トイレに行って、いま飲んだ分を全部便器にぶちまける。これぞ仙崎誠飲み会奥義。酒が吸収される前にぜんぶ吐いてしまえば、何杯だって飲めるという寸法だ。慣れてしまえば、あたかも本当に用を足しに行ってきたかのような自然さで振る舞うこともできる。
「次はどこ行く!? ダーツ? ビリヤード?」
「締めはカラオケだ。行くぞ!」
そして三軒目は食べ物や飲み物の持ち込みが可能なカラオケボックスで、マイク片手に酒を飲む。既にこの時点で彩音はふらふらだったが、構わずに酒を注ぐ。
「お前、歌へたくそだな」「うるさい! いまはちょっと酔っぱらってるから……」「ダブルベッドで希望とお前抱いてたとき~」「しょうもないことだってふたりで笑えたね~」「恋する、ラッキークッキー♪」「あははははは! 振り付け完璧じゃん!」
モニタースピーカーに足を乗せるボーカルよろしく、机に足を上げて彩音もすっかりノリノリで、俺にしてみてもカラオケなんてずいぶん久しぶりのことだったから、時間を忘れてしまっていた。
満足してマイクを置いた時には、
「起きろよ。帰るぞ」
「もちょっと、誠歌ってて……」
まぁ当然こうなるわな。
顔を叩いても、体を揺すっても、時々見当違いな反応を寄越すばかりで動こうとしない。
「うぷ……おぇ」
「うわっ、吐くなよ!」
しまいには嘔吐する始末。やれやれ。
「よ……っと」
伸びきった彩音をしょい込むと、腰が抜けそうなほど軽かった。そのままカラオケボックスを出ると、もう春も間近だというのに冷たい夜風が首筋にもぐりこんできて身震いする。
時刻は夜の二時半。当初の予定では遅くとも終電までには切り上げるつもりだったが、俺としたことが、気が付けばタクシーすら簡単には捕まらない時間帯になってしまった。駅前のタクシーロータリーにも車の影はなく、俺たちと同じような人たちが待合ベンチに座って、途方に暮れていた。
俺ひとりならまだしも、この寒空の下に彩音を寝転がすのは鬼畜の所業というものだろう。漫画喫茶に放り込もうにも、いつ吐くかも分からないような酔っ払いを連れて入るのは気が引ける。
妹を背負って、人気の引いた繁華街を徘徊することしばらく、まばゆい光が見えてきて、なんとはなしにそちらの方に足を向ける。
「こ、これは……」
目に飛び込んできたのは、
「ご休憩……サービスタイム……」
いわゆる夜の宿泊施設。きらびやかなネオンサインに彩られ、ぱっくりと口を開け、それはさながら誘蛾灯のように、俺たちをいざなっているように見えた。
「ごくり……」
いや、これはただの宿泊施設だってば。ちょっと見た目が派手派手しいだけで。だってほら、宿泊料金7800円って書いてあるし。もしかしたらベッドがひとつだったり、お風呂がすごい豪華だったりするかもしれないけれど、寝泊まりする場所に違いはないだろう?
もちろん俺だって、妹には慣れた自宅のベッドで安息に眠ってほしいのが本心だが、電車もタクシーもないのでは仕方がない。うん、しょうがないなぁ。
童貞はラブホテルに興味津々であった。
酔いつぶれた女の子をラブホテルに連れ込むなんて、傍から見れば極悪漢だが、これは妹なのでセーフ。
全室がパネルで一覧でき、ボタンを押して宿泊する部屋を選択する仕様にちょっとワクワクしながら、エレベーターに乗り込み、点滅する案内板に従って304号室へと進む。ドアノブに手を掛けて、喉を鳴らす。いざ、大人の世界へ!
「これがラブホ……」
いままで培ってきた妄想に反して、外装のきらびやかさに反して、意外と普通の部屋だった。とはいえ、ひとつしかないベッドはその気になればうちの家族全員が潜り込めるくらいに巨大だし、テレビもうちのリビングのものより、一回りも二回りもでかい。そしてなにより特筆すべき点は浴室の広さ。ふたりで入浴することを前提にしているため、浴槽も大きければ洗い場も広い。
「すげ――――――!!!」
童貞大興奮。ちょっとした非日常感を味わうにはうってつけの場所だ。
「ん……」
背中の彩音がもぞりと動いた。意識を取り戻したのか、それとも単に俺の声が耳障りだったのか、うめくような声を漏らす。
「トイレ……」
「はいはい」
さすがにトイレはひとりで入るように設計されているのかふつうの大きさだったが、なぜかガラス張り。世の男女はパートナーが用を足しているところを見て興奮するものなのか。
「ううぅ……きぼぢわ゛る゛い゛……」
「あーあー、売れっ子モデルがだらしない」
便器の前に座り込み、便座を抱きしめてぐったりする。その間に俺は水を用意したり、上着をハンガーに吊るしてやったりして、戻った時には彩音は再びダウンしてしまっていた。
「お前、吐くならちゃんと便器の中に吐けよ、服汚しちまって。あっ、しかもこいつ、小便まで漏らしてやがる」
ペットボトルを手渡すと、なんとか掴んで口へ運ぶも、もはやほとんど垂れ流し状態。こんなところで眠られても困るので、抱きかかえてベッドの上に運んでやる。
「ったく、この年になってなんで妹の世話をせにゃならんのか……」
乱暴に衣服をむしり取り、すっぽんぽんにしてシーツの上に転がす。汚物まみれのストッキングやトップスは浴室へ放り込んで、あとで洗う算段だ。体も適当にタオルで拭いて清潔にしておく。出すもの出してすっきりしたのか、再び彩音も寝息を立て始めたところで、ほっと一息。
せっかくラブホテルに入ったのに色気もへったくれもない。俺も横になってしまいたがったが、泥酔した彩音が前後不覚のまま滅多なことをしでかしやしないかと思うと、ためらわれる。
手持無沙汰になって、仕方なしにテレビのリモコンを触ると、大画面に大音量で映し出されたのはアダルトビデオの類。どこかで見たような女優とどこにでもいるような男優が、脚本通りの茶番ののちに性交に至る。
学生時代にとっくに見飽きたと思っていたが、改めて見るとなかなかどうして趣き深い。冷蔵庫からビールを取り出して飲み直しながら、大迫力のアダルトビデオ鑑賞としゃれこもう。
「空しい……」
ラブホテルにまで足を運んで、なぜ俺はビールを飲みながらひとりアダルトビデオに見入っているのか。隣には裸の女がいるものの、それはさっきまでトイレで吐瀉物と小便をまき散らし、それを兄に処理させるという不肖の妹で、これなら、女子高生と詐称するには明らかに行き過ぎた年齢で喘ぐ画面の中の女優の方がマシだ。
このままアダルトビデオを見ていても持て余すだけなので、チャンネルを変えてアニメやお笑い番組を流し見しつつ、部屋の中を物色してみる。
紅茶やコーヒーなどのアメニティに加え、バスローブや各種シャンプーのセレクションなんかもある。飲食物も充実していて、俺がさっき冷蔵庫から取ったビールのほかにも、各種カクテルや宿泊客限定のモーニングセットがメニューに掲載されている。そしてもちろん本来はそういう場所なので、避妊具や有料の大人のおもちゃ。ドキドキしてくる。
「うわ、あいつおんぶしてる間にも吐いてたのか」
せっかくなのでバスローブに着替えて気分だけでも味わおうと思ったところで、自分のジャケットも汚されていたことに気が付いて、慌てて浴室へ駈け込み、塗れタオルで拭っていく。ついでとばかりに脱がせて投げ込んでおいた彩音の下着とストッキングも水洗いしてよく絞っておく。ホテルを出るまでに乾くかどうかは分からないが、放置するよりかはよほど衛生的だ。
ひと仕事終えてベッドに戻った時、彩音は上半身を起こして、半開きの眼でどこを見るともなく、中空にぼんやりと視線をさまよわせていた。泥酔していた割には早いお目覚めかと思いきや、
肩を震わせ、恍惚の表情を浮かべ、
二、三度痙攣した後、大きく弓なりに体をしならせ、
マーライオ―――――――――ン!!!!
ものの一瞬でベッドがダメになった。上下からの濁流のコンビネーションはまたたくまにシーツに染み入り、見るも無残な惨状には目も当てられない。
当人はというと、自身のしでかしたことなど気も留めず、いよいよ満足げに微笑みすら浮かべながら、前のめりに倒れこんでいく。
もはや、何も言うまい。
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