2-3 仙崎誠、陥没乳首はありまぁす!
〇
「そういうことだから、彩音について知ってることあったら話せ」
「んだよ、いきなり。つーか勝手に人の部屋入ってくんな」
俺が部屋に入るや否や、慌ててベッドの布団の中になにかを隠して、不機嫌そうに鼻を鳴らす。いちいち追及するのも大人げないというものだから、まるで気付いていないふうを装って、話を進める。
「最近、仕事忙しそうだろ? 俺は直接喋れてないんだが、なにか聞いてないかと思ってな」
もしかしたら俺に反発して言い渋るかもしれない。その時は、強硬手段に出て無理やり吐かせることもやむなし、と身構えていたが、
「別に、ウチもあれこれ聞いてる訳じゃねぇよ。ただ、どっかのお偉いさんに気に入られたとかで、ひっきりなしに仕事回してくれてるらしい。もしかしたら、こんど深夜のテレビに出るかも、ってよ」
不愛想ながらも、素直にいろいろと教えてくれる。あるいは、佳純もまた彩音のことを心配してくれているのかもしれない。なにせ、ひとしきり泣きじゃくった後に酸欠で意識を失うような、頼りない姉だ。
とはいえ、それはそれで拍子抜けなのも事実。もうちょっと邪険に扱われるかとも想定していたもんだから、肩透かしを食らった気分だ。
「彩音とは、ほかにどんなことを話すんだ?」
「うぜぇ、居座ろうとすんな。出てけよ誠」
「兄ちゃんと呼べ、兄ちゃんと」
「っせーな」
長兄を敬わない生意気な妹には教育的指導が必要と見える。人に何かを教えるというのは、しかもそれが道徳的なことであるほど、難しい。言って聞かせて肯かせ、そしてそれを体得させるのには、言葉だけでは事足りない場合も、往々にしてあるものだ。
昨今、体罰は否定的な風潮が優勢だが、俺個人の意見としては反抗的な子どもには、頬を張り飛ばして言うことを聞かせることも、場合によってはやむなしと考えている。
むろん、勤務先の学校では生徒に手を挙げることなどないが、妹となれば話は別だ。彩音とも取っ組み合いの喧嘩をよくしたものだ。勝った覚えがないけれど。
とはいえ、もう俺もこの年になって、佳純との年齢差も考えると、胸倉をつかみ合っての殴り合いというのは、あまりにも大人げないというものだろう。ごちんと拳骨一発、それでも噛みついてくるようなら、もう一発。愛の鞭だ。
別に、この間みぞおちを蹴り抜かれて悶絶させられたことを根に持っている訳ではない。
「お前には年長者に対する態度を、指導する必要があるようだな」
おもむろに俺は立ち上がり、ストレッチを始める。腕を十字に組んで肩の筋を伸ばし、四股を踏んで体をひねる。片足立ちでもう片方の足を後方に引っ張り、太もももよく柔軟しておく。
いや、俺としても本当はかわいい妹相手に殴って言い聞かせるなんて蛮行を働きたい訳じゃないんだ。そもそも、俺喧嘩とか荒事が大っ嫌いだし、女の子が悲しい顔をするのも見たくないんだ。それでも家族だから、妹だから、これから先佳純が社会に出て恥をかかないように、兄として、人生の先輩として、時には心を鬼にして厳しく当たる必要もある。
「佳純、立て」
「んだよ。やろーってのか?」
俺が手招きすると、好戦的な態度ですっくと立ちあがる佳純。
「言っとっけど、誠なんかにやられるほど、ウチはやわじゃねぇぞ」
これから行うのは、あくまで体罰を伴う教育的指導であって喧嘩ではないものの、肉体的接触が伴うであろうことから、やはりボディチェックは欠かせないだろう。
佳純の身長は170cmほどと女子にしては高く、すらっとした体型をしている。袖をまくり上げた前腕は、筋肉質ですこし女性味に欠けるものの、首筋や肩のあたりは女の子らしいシルエットをしている。
そして肝心の(肝心要の!)胸部であるが、いまのところだぼっとしたパーカーに身を包んでいるため、正確な測量は難しい。が、晶子以上双葉未満といったところだろう。とはいえまだまだ高校生、骨格もしっかりしているし、将来性に期待したい。
「そっちから来ねぇんなら、こっちから行くぜ……シッ!」
ほとんどノーモーションで放たれた右ストレートを、ウィービングで紙一重でかわし、懐に潜り込む。伸ばされた腕に引っ張られて、胸部で余っていたパーカー生地がピンと張り、俺の目測が正しいことを確認する。
流れるようなコンビネーションで繰り出される膝を、左手で受け、それを支点に、さらにもう一歩。
「こいつ……っ」
踏み込んだ勢いをそのままに右腕を伸ばす。が、これはフェイント。顔面に注意を向けさせることで、続く本命の一撃を確実の成功させるための。
「見えた! そこだ――――――!!!」
蛇が獲物に襲い掛かるように、素早く、そして鋭く突き出した左腕。狙うはただ一点。
「あれ?」
回避、防御、接近からの完璧なコンボだった。しかし、突き出した指先はそこにあるはずの感触をつかんでいなかった。膨らみの中心にあるはずの小さなポッチが、ない。俺のロケーションが誤っていたというのか。いやそんなはずはない。
結果として、行き場を無くした俺の左手は、その場を所在なさげにさまよう羽目になり、もぞもぞとその辺りを探索してみるも、やはり手ごたえはない。
「きゃっ」
ずいぶんかわいらしい声が聞こえたもんだ。いったい、どこの誰がそんな甘い声を上げるというのだ。
それにしてもおかしい。実はパーカーの下に、二枚も三枚も厚着しているとか。いや、だとしてもこの俺が、実際に触れまでしてその触感を察知できないはずがない。
まさかとは思うが、さては。
俺の知的好奇心が鎌首をもたげだす。「そんなもの」が現実に存在するのか? 漫画やアニメ、二次元に限られた象徴的存在ではなかったのか?
「やめ……こらっ!」
真実は追い求められなければならない。隠匿されしものは暴かれなければならない。表皮を引き剥がし、薄橙色の薄皮をもむしり取り、柔肌が露出する。
「お前っ……っとに!」
ええい、うるさい。俺は真理の探究者。その行動を邪魔するものは、何人たりとも許されない。
「おお……!」
そして俺は至った。これまでは、子供心にその可能性を抱きながらも、誰もが大人になるにつれ、ただの夢物語だと鼻で笑ってきた幻想。魔法使いやドラゴン、それらに列する神秘。だが、いま確かな現実となった。
「これが、陥没ち――」
「てめぇの頭が陥没しろ!」
脳天に衝撃が走った。ハンマーでぶん殴られたようなそれは、佳純の拳骨だろう。
「いってーな。なにすんだよ」
「なにすんだはこっちの台詞だ!」
顔を上げると、熱でもあるのか真っ赤な顔をした佳純が、下着をはだけさせて、いまにも噛みつかんばかりの視線を俺に向けている。
「あれ、お前なんで脱いでんだ?」
「てめぇが脱がせたんだろ! 妹の服脱がせるとか、頭おかしいんじゃねぇのか!」
言われてみれば、確かに俺はなぜか佳純がさっきまで着ていたパーカーを右手に握りしめている。そして左手は、なぜか佳純のブラジャーを掴み押しのけている。
「どういうことだってばよ……」
「どうもこうもねぇ! この変態兄貴!!」
「待て、これにはきっと深い訳が――」
「あったとしても聞く耳持つか!」
視界が一瞬チカッと閃いた。と思った次の瞬間には、俺はしたたかに壁に打ち付けられ、それにすこし遅れて強烈な顔面の痛みがやってくる。
「まへ、おひふけ。ぼうりょふはんはい! はなひあおう!」
一歩、一歩と佳純がにじり寄ってくる。その表情は怒っているのか、悲しんでいるのか、あるいはもはや喜んでいるのか、一片の感情も読み取れない。虚無だ。
「わるはっは! おへがわるはっは!」
一刻も早く逃げ出したいのに、蛇に睨まれた蛙みたいに足がすくんで動けない。
「覚悟せぃや……」
震える拳が振り上がる。絶体絶命、もうダメだ。ぎゅっと目を閉じた。
その時、
「佳純? なに騒いでるの」
気を取られた佳純がそちらへ目を向ける。いまだ!
「なんだ、誠もいたんだ」
扉を開けて廊下に出ると、くたびれた様子の彩音が階段を上ってきているところだった。
「おかえり、ねーちゃん。明日も仕事?」
続けて出てきた佳純が、俺を追い越して彩音の下へと駆け寄る。飼い主を見つけた子犬みたいだ。態度の差がひどい。
「まぁね。私もう寝るから、あまりうるさくしないでよ」
一方彩音はつっけんどんに返すばかりで、佳純の横をすり抜けて自室へ向かう。二三日姿を見ていなかっただけだが、すこしやつれたようにも見える。
「お前、大丈夫か? 飯は食ってんのか」
「まぁ、仕事の合間にちょくちょく」
足取りに生気はなく、声にも張りがない。部屋に入ろうとする彩音の肩を掴むと、簡単に引き倒せてしまいそうなほど弱々しい。
「……なによ。早く寝たいんだけど」
「いや……。ちょっと聞きたいことがある」
とはいえ、せっかく対面したのだから、今日の預金通帳の件について聞いておこう。
「別に間違えたとかそういうことじゃないわよ。単純に、たくさん稼いだだけよ。佳純のこともひと段落ついたし、たまたま仕事も入ってくるようになったし。……なんか文句ある?」
「文句はないが……」
「あっそ。それじゃ私寝るから」
けんもほろろに部屋の中へ消えていく彩音。佳純に目をくれると、なんとも言えない顔で首を横に振る。
どうしたもんか。
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