2-2 仙崎誠、銀行口座


 〇


 我が仙崎家の家計は、原則、俺と妹の収入から成り立っている。すなわち、私立高校教師とモデルのふたつの仕事の稼ぎで、基本的には妹四人を学校に通わせ、飯を食わせ、お小遣いを捻出している訳である。

 俺も彩音も、年齢相応以上の給金を頂いているつもりではあるが、それでもやはり懐具合に余裕はない。人数分の食費ともなると馬鹿にはならないし、志津香に至っては台所事情を知っているにも関わらず、ずけずけとお小遣いを要求してくる。


 俺は所得から税金を引いた額の六割を、彩音は五割を共通の口座に入金することで、仙崎家のたくわえとしている。月に一度記帳しておくことで、預金にはなるべくシビアでいるつもりだ。


 ATMの前で鞄から通帳を取り出す。一冊目は件の通帳、そしてもう一冊――

 断じてへそくりではない。月三十万程度の稼ぎで作れようはずもない。

 これは、もうひとつの仙崎家の通帳で、彩音はその存在を知っているが、ほかの四人には伏せている、秘密の口座。


 紙面の印字が示すのは、半年前から毎月一日にこの口座に振り込みが行われていること。

 その額、五十万。既に現在高は三百万に達している。

 ――俺たちの父親が、自身の不在の間の生活費として算段してくれているものだ。しかしその通帳には、一切の出金記録はない。


 これを見つけた時には、当然俺は驚いた。すぐさま彩音と話し合い、この金には絶対に手を付けないようにしようと誓ったのだ。

 理由はいくつかある。ひとつは、懐に余裕があると思って過ごせば湯水のごとく使ってしまいかねない、というもの。もうひとつは、事故や病の際の緊急時の備えとして置いておきたいということ。そして最後に……父親に文句を言うためだ。


 佳純と志津香の母親の事情が事情とはいえ、それらをまったく説明することもなく、育ち盛りの女の子を四人も押し付けた文句を言わねば気が済まない。彼女らの世話が嫌だと言う訳ではない。けれど、それとこれとは別問題だというのが、俺と彩音の共通見解だ。


 めでたく六百五十万円という大金がプリントされた通帳をしまい、ため息をこぼす。

 ……とはいえ、デッドラインとしてこれがあるから、心にゆとりがあると言える。もしも本当に自分たちの稼ぎだけでやっていかなければならないとなれば、俺もあるいは彩音も、家庭内でもうすこしピリピリしてしまっていたかもしれない。


「ふぅ」


 続いて、ふたりの共通口座を記帳する。ちなみに、五日前に俺が入金した額は十五万。彩音の毎月額は平均して二十万程度。兄として男として、思うところがない訳でもないが、出来た妹だと鼻高々ということにしておこう。


「さて、今月はいくら稼いだんだ、あいつ……」


 そこで、俺は言葉を失った。

 一拍開けて、二度見して、もう一拍開けて、三度見して、桁をひとつ間違えているんじゃないかと確認して、


「四十万――――――!!!???」


 しかして俺の見間違いではなかった。通帳には間違いなく四十万近い入金が記載されていた。

 銀行の中で素っ頓狂な声を上げてしまったので、周囲の奇異の視線が一斉に集まってこっ恥ずかしい。慌てて自動ドアをくぐって彩音の電話を鳴らすも応答はなし。


 実際、ここ最近の彩音の働きぶりは目を見張るを通り越して、異常なものがある。だとしてもやはり四十万という金額は尋常ではない。仕事に精を出すのは良いことだ。けれど無理がたたって体を壊してしまっては元も子もない。

 彩音も立派な大人なのだから、俺がわざわざ言い含めるようなことでもないが、それでも心配なものは心配だ。


 その時、ポケットの中で携帯電話が震えた。彩音から折り返しがかかってきたのかと思いきや、


『あ、もしもし? 誠兄ちゃん? あたしあたし、志津香だけど』


 新手のオレオレ詐欺か?


「ウチには志津香なんて子、いません」


 通話を切った。

 一瞬の間も置かず、再び鳴り出す携帯。表示はやはり志津香。


「……もしもし」

『おぅ、お前んとこの若いモンがよぉ、うちの娘を孕ませよってなぁ』

「ウチには俺以外に若い男はいない」


 そして俺は童貞なので、ひと様の娘を傷物にした覚えもない。


「しつこいな」


 再三にわたって画面には志津香の文字。このまま無視を決め込んでもよかったが、一分間も鳴らされ続けるとさすがに鬱陶しくなってきて、


「殺すぞ」


 開口一番にそう叩きつけて、電話を切ろうとしたところで、


『ずびばぜん゛~~~~~話だげでも゛、話だげでも゛聞い゛でぐだざい゛ぃ゛ぃ゛ぃ゛ぃ゛ぃ゛ぃ゛……』

「チッ、最初からそうやって下手に出ればいいんだよ。で、なんだよ」


 こちらから志津香に連絡を取ることはままあるが、志津香の方から俺に電話をしてくるのはあまりない。そしてそういう時には決まって、ひとつの常套句を口にする。


『やー、ちょっとお願い事がありましてぇ、お兄様ぁ』


 甘えた調子の猫なで声で話しかけてきたとなれば、もう決まりだ。


「金ならやらんぞ」


 先手を打っておく。


『あぁ!? なんでだよ、可愛い妹が金寄越せつってんだろうがよぉ! ぺっ!』

「可愛い妹は電話越しに兄に唾吐いたりしません。だいたい、今月分はつい先週やっただろ。もう使い切ったんなら、自分の計画性のなさを恨め」


 ちなみに、志津香以外にも、もちろん、佳純、双葉、晶子のそれぞれにも学年や年齢に見合ったお小遣いを与えている。佳純には一万円、双葉には三万円、晶子には五万円。双葉と晶子には甘いんじゃないかと、彩音にちくりと言われることもあるが、双葉はふだん家事をこなしてくれているから多めに、晶子には研究に専念しろと言った手前、すこし財布のひもを緩めている自覚はある。


『てんめ、三千円なんて、今時そこらの犬でももっと使ってるじゃんかよ!』


 家計に余裕がないのは当然のこと、中高生の時分からあまり派手な金遣いを覚えてほしくないのもあって、一方で確かに志津香と佳純のお小遣いは少なめに設定している。

 しかし、佳純から文句の声が上がったことはないし、不平があるならお前も家事を手伝えと言ってやりたい。


「どうせすぐに友達とカラオケ行ったり、漫画買ったりするんだから、ちょっとは我慢しろ」

『違うんだ、ちょっと事情が、今回は』

「なんで五・七・五調?」

『ま、ま、とにかくいまから送る画像を見てくれよ』


 だったら初めからインスタントメッセージのやり取りで済ませばよかったのではないか。


 内心でくさしながら送付された画像を開くと、そこには見慣れた少女の、遠目からの後姿が映っていた。

 なんてことはない、四女佳純の制服姿。場所はコンビニの店内で、なにかの雑誌を手に取っている。


「これがどうした」

『なんだよ兄ちゃん、相変わらずニブチンだなぁ。分かんねぇのかよ』


 言われて、まじまじと画像を見直してみる。どうやら漫画コーナーで立ち読みをしようとしている訳ではなさそうだ。光沢のある表紙に厚めの装丁、まさかあれは……!


「結婚情報誌ゼクヒィ……っ!? そんな、佳純が……!!」

『いや、ゼクヒィはもっとでけーよ。なんつたって、5kg近くあるからな。通販で検索しても、同じ値段で同じ重さの商品は砂利しか出てこないらしいぜ』

「お、おう。そうか」

『じゃなくって、ファッション誌だよ。しかも、表紙のモデル、よく見てみろよ』


 画面をピンチして拡大すると、そこに映っていたのは見慣れた顔だった。ネイビーのスカートに、これから始まる季節を彩るピンクのトップスを着合わせた仙崎彩音、その人に違いなかった。


「で、これがどうした。別に変なことじゃないだろ」


 佳純と和解して二週間ほど経過したが、あの夜の一件からか彩音によく懐いている。彩音が帰ってくればそれまで自室に引っ込んでいたのに眠た目を擦りながらリビングに降りてくることもあるし、本人がいない時には、時々昔話を聞かれることもある。慕っている姉の仕事に興味を持つのも、自然なことだ。


『いままで喧嘩に明け暮れてたすみねーが、女の子らしく振舞おうってんだ、妹としてここは一肌脱ぐ時だと思ってさ。こんどのすみねーの誕生日に、服をプレゼントしてやりてぇんだ。でも、あたしの小遣いじゃやっぱり厳しいものがあってさ……』


 なるほど、それは殊勝な心掛けだ。志津香にしては健気なことを言い出すもんだ。そういうことなら俺個人の財布から、小遣いをくれてやることもやぶさかではない。

 そこまで考えて、はたと気付いた。


「――って、佳純の誕生日はまだまだ先じゃねーか! なに人を出汁にして小遣いせしめようとしてんだ、このバカ」


 佳純は得生まれの一月生まれだったはずだ。あのケーキバイキングへ行ったのも、佳純の誕生日パーティを兼ねてのものだった(当の本人は来なかったが)。


『ちぇっ、バレたか』


 口惜し気な捨て台詞を残し、こんどは志津香の方から通話を切った。かけ直して説教を垂れるのも面倒だし、あとで拳骨一発お見舞いしてやろう。

 それにしても、佳純か。あいつなら俺の知らないところで彩音となにか話しているかもしれないな。帰ったら、聞いてみることにしよう。

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