仙崎彩音の場合
2-1 仙崎彩音、類を持って集まる
〇
「――さん、彩音さん」
体を揺すられて、遠のいていた意識を取り戻す。いつのまにか、居眠りしちゃってたみたい。重たい瞼をこじ開けて、あくびを噛み殺す。
「着きましたよ、彩音さん」
声を掛けてくれていたのは、マネージャーの原田柚有子。私が新人の頃からの付き人で、かれこれ四年の付き合いになる。スケジュール管理から現場との折衝まで、なにかとこなしてくれる、心強いパートナー。
「最近、お疲れのようですが、……大丈夫ですか?」
「ん、まぁ、ちょっとね。でも、頑張って稼がないと」
柚有子には、なにくれと家庭の事情を話している。血の繋がらない妹が四人もいること、そのうちひとりが家出娘をしていたが、つい先日、ようやく落ち着いてくれたこと。
「そう、ですか」
柚有子はなにか言いたげに唇を動かすが、それ以上はなにも追及せずに話題を切り替えた。
「これから入る撮影スタジオなのですが、前の撮影が少し押しているようでして、すぐには入れないようなのですが……」
「ってことは、待ってなきゃいけないってこと? あちゃー、こんなことだったら、お昼ご飯食べてくればよかった」
「すみません。私の確認ミスです」
「仕方ないわよ。それじゃ、せっかくだから服でも見て回らない?」
幸いにもこの辺りはブティックやセレクトショップのテナントが多くて、時間を潰すのには困らない。下手に食事を摂ろうとして、注文の間に動かなければならなくなるよりかは、ずっと良い方法だろう。
タクシーを降りて、適当にショーウィンドウを物色する。職業柄、というよりも私のモデルとしてキャラクター上、ふだん目にする服の種類は意外にも少なく、レースを多くあしらったふりふりしたスカートなんかは新鮮だ。
「わっ、これって、こないだ撮影したやつじゃん」
数ヶ月前に身を包んでいた服が、売り場で堂々と飾られているのを見るとすこし誇らしい。モデル冥利に尽きるというもの。その上、私と同年代くらいの女の子たちが、そのネイビーのスカートを手に取ったり、腕組みしいしい購入を検討してくれているのを見ると、ついついニヤニヤしちゃう。
「いざ売り場で見てみると、なんかまた違った色合いに見えてくるものね。これだったら、こっちのトップスなんかと合わせてもいい感じかも」
なんて言うものの、恥ずかしながら私は、ほかの同業者ほどにファッションに精通している訳でも、造詣が深い訳でもない。もちろん、仕事にかかわることである以上、一般の人よりかは知っていることも多いが、例えば、SNSで毎日のように自撮りを投稿している若い子たちの方が、あるいは私よりもいくぶんも物知りだと思う。
そういう子たちは、ファッションが趣味で、そこに血道を上げていて、一方で私はあくまでこのモデルという職業をどこまでも仕事として捉えている。
だから、自分が担当しがちなカジュアル系の、特にモノクロ系統の服装にはそれなりの見識を持っているつもりだが、ゆるふわ系のパステルカラーなんかについてはてんで分からない。かわいいなぁ、なんて間の抜けた反応をすることが精いっぱいだ。
「ふふ」
「……なによ」
突然、柚有子が不敵に笑うものだから、ジト目でその先を促す。それでも彼女は笑うのをやめないまま、
「彩音さんも詳しくなりましたね、と思いまして」
「そりゃあそうよ。もう四年もこの業界やってるんだからね」
実際、ファッション全般にまつわる知識ならば、私なんかよりも柚有子の方がよっぽど詳しい。好きが高じてこの業界に進んで足を踏み入れたのだから。
「むかし、ジャージで打ち合わせに来た時は本当に驚きました」
「もう、その話はやめてよ!」
かくいう私は、そんな柚有子に見初められ、この業界に飛び込んだ。
私たちの所属する事務所は少々変わっていて、マネージャーとして入社した社員は、まずはスカウトマンとしてそのキャリアの第一歩が始まる。自分がこれだと思ったモデルを見つけ出してきて、それが社長のお眼鏡にかなえば、晴れてマネージャーとして、モデルと共に仕事に励むという訳だ。
中学時代を喧嘩に明け暮れ、その反動か高校時代は教室の片隅でひっそり過ごし、将来の夢も希望も持たずにぼんやりと専門学校に通っていた私を、なぜ柚有子が見出してくれたのかは、いまになっても不思議だが、すくなくともふたりとも食うに困らず、近頃は車の中で居眠りしてしまうくらいには仕事にありつけているのだから、ありがたいことだ。
「彩音さんには、こういう系も私は似合うと思いますけど」
そういって、柚有子が引っ張り出してきたのは、ひとむかし前の言い方をするなら赤文字系ファッションといった風情のワンピースで、これを着た自分が鏡の前に立っているのを想像すると、気恥ずかしさがこみあげてくる。
「うーん、ちょっとなぁ……。私、身長高い方だから、どうかしら」
女子にしては背高の一六五センチは、フェミニンな装いならともかく、ガーリーな格好には映えない。それをコンプレックスに思った覚えはないけれど、小さくて愛らしい服装に身を包んだ子を見ると、すこし羨ましくなるのも事実。
「確かにお仕事の時には難しいかもしれませんけど、私服としてなら、大丈夫じゃないですか?」
「バカっ、それこそ恥ずかしいったらないわよ!」
ワンピースを私にあてがう柚有子から、いやいやをして暴れると、その拍子に真後ろを通り抜けようとした人にぶつかってしまう。
「すみません」
私よりもさらに背の高いその女性は、意外にも学生服を着ていて、しかも、振り向いたその顔は、よく見知ったものだった。
「ねーちゃん……?」
「佳純じゃない! こんなところで、どうしたのよ」
「ふ、服見に来ちゃ悪いかよ」
恥ずかし気に肩をすぼめる佳純はそう言うが、ここのブランドは、学生にはお高い商品を多く取り扱っていて、店構えも少々高級感がある。すくなくとも、高校生の私なら、店の前で立ち尽くすのが精いっぱいどころか、たちまち逃げ出してしまっているに違いない。
「別に悪かないけど……。佳純のお小遣いじゃ、ちょっと厳しいんじゃないかな、って」
当人もその認識はあるようで、唇を尖らしてつまらなそうに鼻を鳴らす。
「ちょっと気まぐれに入ってみただけだよ」
ふてくされたように顔をそむけた佳純の視線が、れいのネイビーのスカートを見つけて、しばし止まった。しかし、それを私が見詰めていることにすぐに気が付いて、
「……ンだよ」
「そのスカート、買ったげよっか」
妹にさえ気に入られたというのならば、姉冥利に尽きるというものだ。
「いいのかよ……」
以前までの佳澄ならば、つっけんどんな言い草で拒絶していたろうに、申し訳なさそうに、けれど嬉しそうに頬をかく仕草はいじらしい。
「なんたって、お姉ちゃんだからね」
それに、佳純は情けないところを見せているから、償いといえば大袈裟だけれども、すこしは姉らしいところを見せたいという見栄もある。
「彩音さん、こちらの服なんてどうですかね――おや、そちらの方は」
こんどはその手に、青文字系というにも奇抜がすぎる色合いの洋服を持った柚有子が帰ってくる。絶対に着ないから、それは。
「妹。ほら、さっき話した」
「なるほど、奇遇なこともあるものですね」
柚有子の姿を見るなり、急にもじもじし始める佳純。すこし前までは、他校の男子生徒と殴り合いの喧嘩を繰り広げていたというのに、意外にも人見知りする様子はかわいらしい。
「は、は、はじめまして。妹の、佳純です。こちらこそ、ウチのねー……姉がお世話になってます」
「ご丁寧に。拙者、彩音さんのマネージャーをしています、原田柚有子に候う」
「拙者!? 候う!? 時代劇かよ!」
「彩音さんの妹さんとお会いしたと思うと、つい繰り上がっちゃいまして。御容赦被下度」
「繰り上がる!? 算数かよ! それに候文は口語じゃ使わねーよ!!」
「あ、繰り上がるで思い出しましたが、前の撮影、思ったよりも早く終わったらしくって、いまから来てほしいそうです」
「なんで無視!? つーか、なんでウチが突っ込んでんの!?」
「……さすが彩音さんの妹さん、逸材ですね。これだけの素質をお持ちでしたら、私たちの事務所にも欲しいくらいですね」
「素質って何の!? ねーちゃんとこの仕事って、モデルだったよな!?」
飄々と冗談を口にする柚有子と、肩で息をしてそれに対応する佳純。
「勝負あったわね」
「いや、勝負してねーから!!!!」
「あはは。まあ、柚有子はこういう子だけど、まぁ仲良くしてあげて。なーんて、私もお世話になりっぱなしなんだけど」
そう、柚有子には本当に頭が上がらない。彼女が仕事を取ってきてくれなければ、私なんて食うに困るに違いないし、そもそも面と向かって男の人と会話なんてできやしない。
「よろしくお願いしますね。佳純さん」
「お、あ、はい。よろしく、お願いします……」
自分の好きな人同士が新たに知り合い同士になるというのは、なんというか、ちょっと恥ずかしいような、くすぐったい喜びがある。いつか、家族みんなに柚有子のことを紹介できたらな。
「そういえば柚有子、撮影繰り上がったって言わなかった?」
「はい。すぐ来てくれ、とのことです」
「ん、了解。ごめんね佳純、服はまたこんど買ったげるから。そうだ、三人でショッピングしようよ!」
「や、別に。……でも、楽しみにしてる」
そう言ってはにかむ佳純は素直でいじらしい。
佳純のためにも、もっと頑張らなくちゃ。
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