1-6 仙崎誠、後日談①
〇
俺が肩でぜぇぜぇ言いながら彩音に追いついたとき、既に事は終わっていた。佳純にしなだれかかって動かない彩音を見て、よもやとも思ったが事情を聞けば笑える話だった。
彩音は、わんわん声を上げて泣きじゃくり、その内に酸欠になって意識を失ってしまったらしい。体格もあいまって、どっちが姉で妹か分かったものじゃないが、近頃長女ぶりに磨きをかけようとしていた彼女に真相を伝えるのも赤面ものだろうから、俺と佳純は、その真実をため息とともに路地裏の夜闇に溶かしたのだった。
半年ほど続いた佳純の素行不良はこれで一件落着、と言いたいところだが、そうは問屋が卸さない。そもそもとして、佳純の非行は、彼女の亡き父親と先崎家の現母親に端を発したのであって、そこを解決しない限りは問題の根治には至らない。
しかして、その手掛かりは意外なほど早く、手紙という形で仙崎家へともたらされた。
「誠、ちょっとこれ……」
仕事から帰って来た彩音が手にしていたものは、トリコロールカラーのエアメール。夕食を食べ終え、家族それぞれ自室に戻ったタイミングであったのは、幸か不幸か。
志津香から聞いた佳純の事情も彩音には伝えてあるから、彩音は神妙そうな顔つきで一通の便箋を、割れ物でも扱うように机の上に置いた。
「読まずに捨てる、というのも選択肢としてあるにはあるが」
薄情な行為には違いないが、いったん落ち着いた状況をさらに引っ掻き回されるくらいなら、佳純にも、ほかの誰にも、俺たちにさえ読まれないまま葬り去る、というのもひとつだろう。
「わたしが、開けるわ」
頷いて承認する。鬼が出るか蛇が出るか。
便箋の中には、写真はなく、計七枚もの半分折りの手紙が封じられていて、その内一枚を摘まみ上げると、綺麗な文字で「誠さんへ」と宛名が記されてあった。
「これ、『仙崎家の皆様へ』だって」
俺と彩音は一瞬顔を見合わせて、生唾を飲む。
「仙崎家の皆様へ
改めましてご挨拶申し上げる、というのもおかしな話ではありますが、皐月と申します。皆様には半年前にいちどお目に掛かったあまりで、爾来母親らしいこともできずに大変申し訳なく存じております。……」
という謝罪に始まり、ややうんざりしそうになって、しかしその直後の内容を読んで、俺は目を見開いた。
「さて、大変身勝手で申し訳ありませんが、以前の手紙にもお書きした通り、私は現在、亡き夫の遺志を継ぎ、国境なき医師団の看護師として、中東にて活動しております」
硬質の整然たる文字の羅列が教える通りであれば、そこから先に書かれていたことは、俺や彩音の母親像を根底から覆すようなものだった。
再婚後、いちど会っただけですぐに海外へ行ってしまった理由――内紛の激化により、急を要したこと。
その後、更なる激化のため、国境なき医師団自体が一時的に避難せざるを得なかったこと。
これから再び戦地へ向かい、医療活動に従事すること。
帰国の目処はまだ付いていないこと。
そして最後に、
「帰国した折りには、ぜひ皆様のことを、息子・娘と呼ばせてください。草々不一」
と締めくくられていた。
「…………」
俺も彩音も、なにひとつ言葉にできないでいた。目を合わせることすらなく、自分の名前の書かれた手紙に手を伸ばす。
「誠さんへ
半年前に初めて会った時には、十分なご挨拶もできずにすみません。それから、本当ならば、私が佳純や志津香の面倒を見なければならないところを、不出来な母親で大変申し訳ありません。
ですが、あなたに任せておけば問題ないという史郎さんの言葉に甘えて、亡き夫との約束を優先してしまい、本当に母親失格です。
志津香は、まだまだ子どもで手のかかる娘で、きっと面倒事もたくさん起こすと思いますが、根気強く付き合っていただけると助かります。
佳純は、大変なお父さんっ子で、もしかしたら、誠さんに父親の面影を重ねて甘えたがるかもしれません。すこしひねたところもありますが、根は優しい娘ですので、志津香ともどもよろしくお願いします。
最後になりますが、もしよろしければ、亡き夫の墓に花を一輪添えてやってください。
略儀ではございますが書中にて。皐月」
さっきの手紙よりも幾分か柔らかな字でつづられていたのは、ふたりの娘への愛情と、天国にいる夫への慕情であった。
遠い異国の地で、まるで我が家の現状を見透かしているようなタイミングで届いたものだ。
半べそをかきながら何度も文面を読み返す彩音を後目に二階へ上がり、一番手前の部屋の扉を叩く。
「佳純、志津香、降りてこい」
返事はないが、中でささやき合うのが聞こえる。奥の部屋にも声を掛けて、……いよいよ仙崎家勢ぞろいだ。
リビングに六人が集まって、そこで改めて俺は一枚目の手紙を声に出して読み上げた。そしてそれぞれに宛てられた手紙を配り、静かに彼女らの反応をうかがった。
実は、佳純が帰って来てから数日経つものの、こちらから他愛もない言葉を投げかけることもあるが、会話らしい会話は未だにない。
彩音と志津香がなにくれと世話を焼いてくれているようだから、そこに俺が割って入るのも遠慮している、というのももちろんあるが、それ以上にやはり距離感をつかみかねているのが本音だ。
だが、いつまでもこのままではいけない。いまぞ千載一遇の好機に違いない。
じっと佳純を見つめて、彼女の一挙手一投足、視線の動き、つぶさにリアクションを観察する。眉が跳ね上がり、目が大きく見開かれ、瞬きの回数が増え、手紙を握りしめる手に次第に力がこもり始める。
そうして、四六判の紙片を読むには長すぎる時間が流れ、佳純がつと顔を上げた時、その視線がぴたりと重なった。
「――――っ!」
椅子がひっくり返るくらいの勢いで立ち上がり、この場から逃げ出そうとしたのか、上半身が逸れたところで、しかし両手を突いた姿勢のまま動きを止める。そのままじろりと睨み付けてくるが、俺も退く訳にはいかない。
声も、身じろぎする気配すら誰も、彩音すらも立てない。ご近所の生活音や道路の通行音がどこまでも遠のいていく。
まるでこの部屋だけが世界から切り離されたみたいな錯覚。組んだ手のひらがじとりと汗ばんでいく。
五分、十分……どのくらい経ったのかは分からない。目の前の、佳純の唇が――いよいよ焦れて耐え切れなくなった――震えた瞬間、俺は機先を制して、
「なにか、言うことがあるだろ」
「……悪かった」
バツが悪そうに、鼻を鳴らしながら答えるのはいじらしいが、本当に聞きたいのはその言葉なんかじゃない。
「違う。それだけじゃない」
一瞬、ぽかんとしたように口を開けた佳純は、すぐに合点いったように、
「…………ただいま」
「おかえり」
「うわぁあああああああああああん!!!!! 良かった、良かったよぉ……」
「なにもそんなに泣くことないだろ」
「だって、だって、もし乱暴でもされてたらって……」
「明日からは佳純ちゃんのお弁当も作りますね」
「私、もう戻っていい?」
「まぁ、そう言うなって」
「これですみねーも兄ちゃんハーレムの仲間入りだな!」
「外聞の悪いこと言うな!」
「うわぁあああああああああああん!!!! 良かったよぅ……」
「だー! もう、俺の服で鼻水拭くな!」
先ほどまでの静けさはどこへやら、一気に騒がしくなるリビング。彩音は泣き止まないわ、志津香も調子に乗るわで、騒々しいったらない。時刻も時刻だから、ご近所から苦情が入るかもしれない。
けれどそんな喧騒の中、ふてくされたように頬杖を突く佳純は席を立つこともなく、どころか、すこし微笑んだようにさえ見た。
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