1-2 仙崎誠、月曜から夜明かし



 三人ぼっちの夕食を食べ終え、今朝のこともあったし、食後の洗い物ぐらいは俺がしようと流し台の前に立ったものの、双葉があまりにも強硬に断るため、仕方なくリビングのソファで横になっていた。

 さっきまで志津香もいたが、思考や口調はおっさん臭いものの肉体はやはり女子中学生なもんで、あくびを噛み殺しながら自室へ戻って行った。双葉も、一緒にテレビも見ていたはずだが、知らぬ間にリビングにはひとりだった。


 時刻は零時過ぎ。あまり夜長をすると翌日に響くのは分かっているのだが、俺の方も体は正直で、疲れ切った体にアルコールまで入れてしまっては、ソファから離れられないでいる。

 既にビールは四缶目。こうなったら彩音が帰ってくるまで待とうかとも考えたが、二時を回ると返事が返ってきたので諦めた。そろそろ俺も布団にもぐろうと思ったところで、


「げっ……あなたがなぜいるの」


 リビングの扉を開けたのは、次女晶子。気配はなかったが、いま帰ってきたところだろう。家にいる間は下ろしている髪をひっつめ頭に結い上げて、研究資料や白衣を詰め込んだ鞄を抱えている。


「お疲れ、晶子。お前もビール飲むか」

「そこ、どいて」


 冷たい物言いにもこの四年で慣れた。多少不機嫌さはあるかもしれないが、別に怒っている訳ではないということを見抜けるくらいには。


「お前も見るのか? この番組、結構面白いな」


 番組名、月曜から夜明かし。三枚目系アイドルと愛嬌のある毒舌で人気のニューハーフのふたりがMCで、日本で起こっているちょっとニッチな話題を取り上げる番組だ。

 月曜日のこの時間帯に起きていることなんてほとんどないから初視聴だが、軽妙なトークとどこか抜けた空気感が堪らない。


「酒くさい。あっちいって」

「大学生だろ? 飲み会とかないのか」

「…………」


 無視。とはいえ、晶子の目はすっかりテレビに釘付けで、それどころではないといった様子。


「ビールはいいぞ。一日の疲れをいっぺんに癒してくれる。俺が院生だった時は、それこそ毎日のように友達と飲み歩いてたけどなぁ。それで、次の日二日酔いで観測結果書き取り間違えたりなぁ」

「絡んでくるな。目噛んで死ね」


 反抗期の娘に相手にされないという父親というのは、こういう気分なのだろうか。辛いとか悲しいというより、しょぼーんとなる。


「しょぼーん(´・ω・`)」

「…………」


 俺の必死の顔芸も眼中になし。これはさすがに撤退か。俺にとってのビールが、晶子にとってはこの番組みたいなもんだろう。その楽しみに横槍を入れるというのはあまりに大人げない。


「はぁ~……よっこらセックス」

「…………チッ」


 渾身のギャグも完全に空振り。どころか、舌打ちすら鳴らされる始末。


「お前もあんまり夜更かしするなよ。おやすみ」


 振り向きすらしない次女。兄貴は辛いよ。


 その時、ぺたんぺたんと階段を下りてくる足音が聞こえてくる。それと合わせて、牧歌的なメロディに乗せた歌声が届いてくる。


「たんたんたぬきのキンタマは~、風もないのにぶ~らぶら。そ~れを見ていた子だぬきも~、親のまねしてぶ~らぶら、っとぉ」


 この下品な歌詞は志津香に違いない。なにゆえそのチョイス?


「こんばんわー! 皆様の志津香チャンネルだぜ!」


 そして勢いよく扉を開いた。なぜか全裸。


「――って、誠兄ちゃん!? なんでぇっ!? おえぇっ、おろろろろおろろ!!!!」

「人の顔見ただけで吐くやつがあるか!」

「うっぷ、ごめん……誠兄ちゃん、もう喋らないで。これ以上誠兄ちゃんと同じ空間にいると脳が認識したら、ゲロだけじゃすまなくなるかも……」

「失礼な!」

「具体的には、愛液とか母乳とかがさ。未来の旦那様と子供に飲ませる分がなくなっちゃうぜ」

「お前、旦那に愛液飲ませる想定してんの? 変態じゃん」

「もぅ、そう教え込んだのは、誠兄ちゃんでしょっ♡ わたし、いつまでも覚えてるから」

「おえぇ……オロロロロロロロオロロ!!!!!」

「あれぇっ!? おかしくない!? ここ、ドキがムネムネ、超絶ロマンティックベイベーなシーンじゃね!? シコシコ動画にアップしたら、R18指定でもないのに、百万再生は固いシーンだぜ!?」

「その感性が正しいと思ってるんなら、死ぬか消えるか爆発四散した方がまだマシだな。まったく、親の顔が見てみたいわ」

「うちの両親はいま、イスタンブールにいます(´◉◞౪◟◉)」


 そういえばそうだったな。なんだその顔。


「チッ、チッ、チッ、チッ……」


 背後から聞こえる無数の舌打ち音。振り向くのが怖い。


「おほー。愉快な小鳥のさえずりが聞こえると思ったら、しょーねーじゃんか! あちゃ、そういや今日月曜日か。やっちまったぜ」

「次その口開いたら死んでも殺す」

「参ったぜぃ、こりゃあ。今週の練習、今日中にやっとこうと思ったんだけどなぁ」

「死んでも殺すって意味を真に受けなさいよ。仮にあんたがここでいますぐ死んだら、私も後を追って、天国でも地獄でもついていって、ずっと傍であんたを殺し続ける。永久に殺す」


 怖い怖い怖い怖い怖い怖い。背中にビシバシ殺気が刺さってる。さすがの志津香もこの殺気を前に、これ以上ふざけることなんて……。


「あれあれ? もしかしてしょーねー、死後の世界とか信じちゃってる系のタイプの人? そんなもんある訳ねー! 非・科・学・的ですよ。これからはもっとサイエンティフィックにアカデミックする時代――あだぁっ!」


 我が愚妹は怖いもの知らずであった。テレビのリモコンが額に直撃して、ようやくその口を閉じる。


「お前、何しに降りてきたんだよ。しかも全裸で。寝てたんじゃないのか?」

「ばれちゃあしょうがない。誠兄には白状するぜ……。あれは、練習なのさ」


 こいつの登場シーンは、「あれ」の一言で片付けていいものなのか。どれだ。


「たぬきの養殖業でも始めるつもりか?」

「ああ、そっちはただの鼻歌。気分良いとつい出ちゃうんだよ」


 いよいよ変態ぶりも極まってきたな。こいつと縁を切る日も近そうだ。


「実はわたし……もとい、あたいは、ユーチューバーを目指してるのさ!」

「なにそのキャラ付け。ていうか、あれひょっとして冒頭挨拶のつもりか? ダダ滑りだぞ。毎週全裸であのクソつまんねーのやってんのかよ、引くわ。二回死んでやり直した方がいいんじゃ――いだぁっ!」


 レコーダーのリモコンが俺の後頭部を直撃して足元に落ちる。


「あー、しょーねーはあんな風にドライぶってるけど、自分の持ちネタパクられるの許さへん、チャキチャキの関西人気質やから、気ぃ付けた方がええで!」

「お前も関西人気取ってるけど、チャキチャキは関東弁だからな」

「え、ほんまに? 新発見でんがなまんがな」

「しつこいっちゅーねん」


 パシンッと志津香の額をはたいてやる。うわぁ、血が付いた。


「漫才するなら外でやってくれる? 次騒いだら、燃やすから」


 燃やすって何をだ。


「そう邪険にせんでくだせぇよぉ。あんまりいじめられると、しょーねーが必死にこの番組見てる本当の理由、誠兄ちゃんに言っちまいやすぜぃ?」


 まるで妖怪のように足音なく、晶子の隣に這い寄り距離を詰める。志津香の言葉に思うところがあるのか、そこではじめて晶子はテレビから視線を外した。


「……あんた、なにを知ってるの」

「えー、どーしよっかなー。しょーねーが優しくしてくれるんなら、『実はしょーねーは完璧なイケメンよりもちょっと不細工の方が好きで、特にこの番組のMCくらいの感じが一番タイプ』ってこと言わないであげてもいいけどなぁ。あっ、つい言っちまったぜ。てへぺろりん」


 驚愕の事実。いままで一緒に暮らしていて、彼氏や浮いた話どころか、それこそ男の趣味としてすら話題に上らなかった晶子の性癖が、こんなところで暴露されるとは。いやまぁ、人の好みは千差万別。すべての男が巨乳好きじゃないのと同じことだ。


「死ね。目噛んで死ね。二回死ね。死んでも死ね。いや、いまここで私がお前を殺す」


 次の瞬間には晶子の手が志津香の首に回っていた。手の甲から青筋が浮き出るくらいに力いっぱい。一方志津香は、口から泡を吹きながらも、俺の方を向いて満足げな表情でサムズアップ。お前の死は無駄にしない。


「落ち着けって晶子。人の恋路を邪魔するやつは、馬に蹴られて死んじまえって言うだろ? だから俺は別に……」

「馬に蹴られて死ぬか、いまここで私に絞め殺されるか、選びなさい」


 俺は逃げ出した。だって、晶子の目がマジだったから。この世の憎悪と痛みと呪いをぜんぶ鍋にぶち込んでグツグツに煮込んで出来上がった虚無みたいな目を、妹から向けられる日が来るとは。たぶん、一秒でも判断が遅れていたら、俺も今頃……。


 志津香がどうなったのかは、俺は知らない。

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