4.妖狐の里
鳥居の向こうは別世界でした。なんていうと、どこぞの映画のキャッチコピーみたいだな、と菜央は思った。
温度のない水のような不思議な感触の膜を抜けると、眼下に広がるのはのどかな田園風景だった。
どうやら自分は小高い丘かなにかの上にいるようで、見下ろす視界はとても開けている。山に囲まれた窪地には、水の張られた田んぼがいくつもひろがっており、ぽつぽつと茅葺屋根の日本家屋が建っていた。
田園の一角で黄金色の穂を揺らすあれは小麦畑だろうか? ビニールハウスが設置されているところもあり、色々な作物が栽培されているようだ。
「おぉ~!」と思わず感嘆の声を上げた菜央は写真を撮ろうと首元に手をやり、今日は愛用のデジカメを持ってきていないことに気が付いた。
(そうだった。撮影禁止なんだもんね)
もったいないなぁ~と思う。撮影スポットがたくさんありそうなのに。と心なし気落ちしていると、案内役の三房さんが前に進み出る。
「向こうにあるお屋敷で里長がお待ちです。さ、行きましょう」
三房さんが示した先を見ると、一際立派な作りの建物が目に入った。瓦屋根のお屋敷で、他の建物の二倍ほどの大きさがある。
「行こう、篠原さん」
見とれていた菜央に二宮が声を掛けた。はっと我に帰った菜央は先に歩き出していた三人に慌てて付いていく。
石畳から続く石段を降りる前にふと振り返ると、鳥居の内側の膜はもう消えていて、奥にお社が見えた。どうやらここは丘の上にある神社のようだ。なんとなく手を合わせてお辞儀をし、菜央は階段に足を掛けた。
結構な長さの石段を降りていく途中、一行は何人かのひととすれ違った。神社へお参りをしに行くのだろう。
普通の村人といった格好のひとたちの中には狐耳が生えていたり、太い尻尾が生えていたりと思わず見返してしまう格好のひともいた。
「見た? 彰くん」
これ、と両手を頭に当てて耳の真似をすると彰も頷く。
「見た見た。さすが妖狐の里だな」
コスプレと言われればそう見えなくもないが、質感が生き物のそれだった。ふわふわしてそうで触りたくなる。
「里の中ですからね。安心して気が抜けているのですよ。人間に見られることは滅多にありませんから」
もっとすごいのもいますよ、と三房さんは笑った。
石段を降り切ると土が固められた農道に出た。人が三人くらい並べる幅の道だ。車が通ることは考慮に入っていないらしい。
自然と三房さんと二宮が前を歩き、彰と菜央が後ろを付いていく形になった。
道の脇には小川が流れていて、堰で田んぼに繋がっている。田んぼの水は日光を反射してキラキラと光っていた。
畑で農作業をしているひとや道端でお茶を飲んでいるひとなどがいて、彼らには高い確率で狐耳が付いていたり尻尾が生えていたりした。
「里の中でも人間の姿でいるんですね?」
彰が三房に尋ねる。そういえば、と菜央も思う。もっと狐がたくさん戯れているところを想像していたのだけど、実際は違うようだ。
「便利なんですよ、人間の体は。特に農作業をするときや階段を上り下りするときは狐の姿だと辛いですから」
「なるほど」
確かにそうだ。狐の足だと農作業なんてまず無理だろうし、人間サイズに作られた石段なんかを登るのも大変そうである。
「あとは慣れでしょうか。四六時中人間の姿でいると、そっちの方が普通になってくるんですよね」
かくいう私もそのクチでして、と先導しながら三房さんは言う。
「こちらにいらっしゃるのは齢二百を超えた方々ですから、変化の術も年季が入っていますし。まあでも、ほら――」
三房さんが示した先を見ると、家の縁側で日向ぼっこをする狐の姿があった。
「ああして生まれたままの姿でのんびり寛いでいる方もいらっしゃいます」
「ほんとだー! 狐さん可愛いなぁ」
つくづく撮影禁止なのが悔やまれる。激写したい場面がたくさんあるのに! 菜央は指でカメラの形を作ってあちこちを見る。
今通り過ぎた家では、戸を開け放した部屋で将棋を指しているひとたちがいた。向かい合う二人の頭は完全に狐のそれで、目を細めて真剣に考える姿は絵巻物に出来そうなくらいだ。
「三房さんは里に住んでらっしゃるんですか?」
彰が三房に訪ねた。
「いえ、私は遠夜市のアパートに住んでいます。こうしてお客人を案内するとき以外は基本的に市内で会社勤めをしていますね。人間社会で暮らす妖狐は存外多いのですよ」
「「へぇ~」」
彰と菜央の声が重なる。もしかしたら、お隣さんが実は、なんてこともあり得るのだろうか。
「私もあと四・五十年ほど働いたら、一旦里に戻ることになるでしょうね」
そういった話をしていたら、目的のお屋敷が見えてきた。周りを塀で囲まれ、正面には屋根のついた門がある。
門の前まで来た三房さんは、門の屋根から吊るされた鈴を鳴らした。鈴の音が響いてからしばらく、向こうから誰かが歩いてくる足音が聞こえ、門の扉が開かれる。
現れた着物姿の女性へ三房さんが告げた。
「案内役の三房です。お客人をお連れしました」
「お役目ご苦労さまでございます。お待ちしておりました。ささ、こちらへどうぞ」
年の頃は四十を少し過ぎたあたりだろうその女性は、菜央たちににっこりと笑いかけた。
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