あらしのよるに(後)
その日は風が強かったことをよく覚えています。
春特有の、不安定な天気。春一番はいつも嵐を呼び込みます。
始業式があったその日、学校に新しい保健の先生がやってきたと紹介されました。
初めにその先生を見た時には、特になんとも思いませんでした。普通に年若そうに見える女性だなーと、それくらい。少し目を引くところはありましたが、特段騒ぐような
むしろ新任の先生にそれ以外の感情を抱く方が難しいですよね?
すべての出会いが劇的であることはありえませんから。
物語の中の世界でもあるまいし。
ただ、その人の存在を知ることと、実際にその人に触れることに違いがあるとするならば。
つまり、出会いというのはその相手と直接言葉を交わした時を指すのだとするならば。
やはり人生を変えるような出会いというのは、いつも劇的に始まるのかもしれません。
え? カケルさんとの出会いはどうだったのかって?
えぅ……その、えーっと、
今は昔の話をしてるんです! 君の話はあとでです!
あの、きっと長くなっちゃうと思うので……。
って、なんですかその顔!? なまあたたかい目でみるのやめてください! はずかしいのを我慢してしゃべってるんですよ? もうちょっと聞く側にも相応の態度があるでしょう!?
もう! 促されなくたって続きを話しますよ!
まぁもう話さなくていいかなぁって思っちゃってるんですけど……カケルさんも飽きてきちゃったみたいだし。
いいです。はしょっちゃいます。
始業式から数日後に、クラスで揉め事が起きたんです。新聞にも載ってしまうような規模の。
それで、その事件の解決は私の手の届く範囲を超えてしまって、なにもできなくて……。
そんな時にどうにかしてくれたのが、その先生だったんです。
だから、私はその先生に聞いたんです。
「どうして、そんなに冷静に、きれいに事をおさめられるんですか?」
その質問への回答が、今の私を形作っています。
「人ってね、簡単に死ぬし、簡単に殺すし、簡単に生きてるの。私のやり方がきれいに見えたのなら、それは貴女がきれいなものだけ見ようとしているからそう見えるのよ。酸いも甘いも嚙み分けずに何かを為しても、それは結局たまたま偶然を引き寄せられただけ」
「世の中には汚いものがたくさんあふれていて、どんなに見ないふりをしても、それをなかったことにはできないの。お偉いさんたちは、
「馬鹿じゃないのって思うのよね。水清ければ魚棲まず。理想を追うことは大事なことだと思うし、理想を忘れてはいけない。でも、それで今目の前にある人々の営みから目を背けても、何も得られるものはないでしょう?」
「ただ、ありのままを受け入れること。備えることは大事だけれど、起こってしまったことにいつまでも後悔していても、ただの時間の無駄。さっきの手際見ていたわよ。貴女も医療を志しているんでしょう? この先苦しむ人を救うのも大事だけれど、今目の前で嘆いている人を無視してまでするべきことなんて、この世には一つもないわ。貴女は、救えなかったことを後悔するよりも、誰かを救えたことを誇りなさい」
「今、貴方の手で出来る精一杯を為せばいいのよ。失敗しないことが正しいことじゃないの。世に言う失敗でも救われる人はいる。だいたい、失敗失敗ってこの国ではみんな人をあげつらいたがるけれど、そんなことをして得をする人がどこにいるというの? 確かにミスはあったかもしれない。でも、そこから再び立ち上がるためにミスを認めるのでしょう? ミスしないことなんて、人間に出来るわけがないんだから。立ち上がって、また手を伸ばして、転んで立ち上がって、手を伸ばして、成功ってのはそうやって掴むものでしょう?」
「そんな失敗を積み重ねた果てに、みんなを救えたのなら、それは誰からも褒められる正しい行いなの。そこにたどり着くまでに失敗することも多いでしょう。でも、その失敗がどれだけ社会から見て馬鹿みたいな行いだったとしても、救えた人がいたのなら胸を張りなさい。本当の失敗は、救える人に、得られるものに、手を伸ばさずに臆病に振舞うことを指すのよ。言い訳だけならいくらでも言える。技術がない。周りから何か嫌なことを言われるかもしれない。責任を負いたくない。誰かがやってくれるさ。そんな反吐の出るような言葉を重ねることは誰にだってできる。もちろん、貴女にも、私にもできる。それでも、それでもと手を伸ばす。誰かを救いたいと思ってしまう。そうでしょう?」
「……厳しいことを言っているかもしれないけれどね、貴女には必要なことだと思うの。貴女は自分が失敗したと思っているのかもしれないけれど、為すべきことを為していたわ。すべてを救おうと、最善を尽くしていた。安っぽい言い方をするならば、『考えるより先に体が動いていた』んだと思う。結果は伴わなかったかもしれない。でも、その行いは、その心はこの世で一番尊いものよ。だから、次はこの言葉を覚えておきなさい。『自分も救えない人間には誰かを救うことはできない』。貴女はこれからきっと多くの人を救うわ。だからこそ、一時の感情に流されず、一番多くの人を救える道を選びなさい」
「誇りに思うのよ。その理想は気高くて、そして未だかつて誰も為しえていない夢だって。今の世の中では、誰かを救うということは、誰かを救わないということと同義なの。すべてを救える人間はこの世に存在しない。だから人はすべてを救えるそんな存在に『神』という名前をつけた。そして、今の世界に『神』は実在しない。……そう言われていたわ、つい先日まではね」
「アカリちゃん。貴女が『神』を目指すのならば、ダンジョンに潜りなさい。きっと、そこには貴女の救いを待つ人との出会いがあるはずよ」
私には、なれそうもなかった。だから、今ここにいるの。
そう言って先生は私の頭を一撫ですると、事情聴取に来た警察の人と話に行ってしまいました。
その先生の足は片方が引きずられていて、もう二度と鉄火場に立てるような有様ではありませんでした。
それから私はダンジョンに潜るための準備を始めました。
クラスメートは2年生の時と違って、誰も控えめにしか笑わなくて、何かに怯えているようでした。
あれだけの事件があったのだから仕方ないと思います。
でも私にとって、そんなことはもう些末なことでした。
私は、先生に、夢を託されたのだと思っています。
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