あらしのよるに(中)

 カケルさんは『家族』って言葉についてどう思いますか?


 血のつながっている人? いっしょに住んでいる人? それとも自分のことを、愛してくれる人?


 私にとって『家族』は、色んな人のために私事を削って働く素晴らしい人でした。


 でも彼らにとっての私は、しょせん社会的にいないと不自然だからというだけの理由でつくられた子供どまりで。


 だからそこに愛はありませんでした。


 いえ、私が覚えていないくらい小さなときにはあったのかもしれません。赤ちゃんの頃の写真を一枚も見たことがないので……それすらも都合のいい妄想でしかないですが。


 そうだったら、まだいいのになぁって。思ってしまいますよね。


 一度でも愛されたことがあるなら、それだけで十分だって。もらいすぎなくらいもうもらってるよって、言えると思うんです。


 私には……口が裂けてもそんなことは言えません。


 親が家には寄り付かず、ベビーシッターとお手伝いさんだけしか知らなかった幼年期の私の世界。


 あの頃は何も知らなかったから、無邪気でいられました。


 広いおうちはかっこうの遊び場で、まだ幼すぎる私は遊び疲れて眠る以外の選択肢は与えられていませんでした。


 でも保育園に進んで、他の人と出会うようになって、世界が広がって。そうなってもまだ無邪気でいられるほど、甘いことがこの世にありましょうか。


 もちろんなかったのです。


 他の子たちをその子のおかあさんたちが毎日迎えに来るのを見ていて、不思議に思ったことがあります。


 わたしのおかあさんは、いまどこでなにをしているんだろう。


 それって、わたしがみんなとことよりだいじなことなのかな。


 わたしは、わたしはおかあさんとあってしゃべったことすらほとんどないというのに、ふつうのおかあさんはまいにちこどもをかわいがるものなの?


 ……ふつうって、なに? おかあさんって、なに?


 当然、私は保育園ではひとりぼっちでした。


 親が毎日迎えに来ない子など、彼ら彼女らにとってはからかうのにうってつけで。


「おかあさんはどうしたの?」「きょうもこないの?」「おかあさんにきらわれてるんじゃないの」「おうちからすてられちゃったんだ!」「そーいうのいえなしこっていうんだぜ!」


 そう言って、私を囲んで言葉を投げつけるのが園内で流行りました。


 私は『家族』というものについて当時よくわかっていなかったので、彼らのからかい……と言うには行き過ぎた幼気いたいけな悪意を毎日浴びても、不思議には思えどあまり傷ついてはいませんでした。


 なぜなら、彼らが思っている以上に、私の疑問の方が大きかったからです。


 「おかあさんはどうしたの?」「きょうもこないの?」「おかあさんにきらわれてるんじゃないの?」「おうちからすてられちゃったの?」「そーいうのいえなしこっていうの?」


 を知らない私にとって、それらの言葉は傷つくこと以上にいろいろなことを教えてくれました。


 わたしは、『かぞく』ということばをしりました。


 ……今思うと、あれだけの言葉を投げつけられて全然平気だったのは、彼らがだったからなのでしょうね。


 カケルさんもそう思いませんか?


 少し人と違うところのあるひとを、わざわざあげつらってあざ笑って、そうすることでしか仲間内のコミュニケーションを取ることができない人たち。


 そんな人たちを見ていて、私に向けられた言葉に乗った感情よりも、そのあわれな生き方に同情していたのだと思います。


 なんてばかで、おろかなひとたち。わたしが、あげなくちゃ。


 もちろんそんな平気そうな態度で日々を過ごす私が、彼らにとって面白いはずがありません。


 ある日、男の子のうちの1人が、「なんで泣かないんだよ!」と言って私の頭を殴りました。


 いたかったです。だれかからぼうりょくをふるわれたのは、はじめてだったので。


 大問題になりました。


 私の両親は、保育園に結構な額の寄付をしていたそうなのです。


 これはどういう始末だ? 金をいくら払っていると思っている? と、父が園長に詰め寄る姿を今でも覚えています。


 そして、そうやって保育園までやってきたのに、肝心の私には一瞥いちべつしかくれずに仕事に戻っていったことも。


 わたしをまもるためにきてくれたんじゃないの? じゃあ、なんのためにきたの?


 ぷらいど? あとつぎ? ……わたしのためじゃなくて、のために?


 幸いなことに当時の私は、あまりに情緒が育っていなかったかもしれません。なぜなら、それを教えてくれる存在と出会ったのは、もっと後になってからなので。


 おかげで今思えば悲惨な幼少期を送っていたというのに、どこか他人事のようにそれぞれの出来事を思い出せます。


 ……他人事のようにしか、思い出を覚えていられませんでした。


 でもその事件からいいこともありました。


 私の両親は立派なお医者さまでしたから、次から暴力的ないじめに近いことが起こりそうになると、先生たちがあわてて止めに入ってくるようになったのです。


 体面のためならば、お金はいくらでも払うということだったのだとは思います。


 高名な医者が、多額の寄付金を入れている。という状況に園の方も全力で忖度そんたくしたのでしょうね。


 おかげさまで私はそれ以降一度も直接的にいじめられることなく、無事に誰からも無視される孤独な存在になることが出来ました。


 やり方はいくらでもあったと思いますが、先生たちにもそれが精一杯だったのでしょう。


 たくさんの子供たちの面倒を見ながら個別の事情にまで踏み込むのはとても大変なことで、そんなことを安い給料でやりたくないと思う人の気持ちも理解はできますから。


 結局のところ、先生たちもあわれな被害者でした。


 すくわれるべきひとたちでした。


 、すくうべきひとたちでした。


 でも、当時の私にそんな力があるわけもなく……いえ、今でもまだそんな大層なことができるわけではないのですが。


 私に出来ることは、傷を癒すことだけ。


 人の心の歪みも傷の1つではありますが、一時的にしか正すことはできません。


 なぜなら、家族が、友人が、周りが、環境がまたその心をゆがめるからです。


 凝り固まった身体を癒すように、整体するみたいに心を解放してあげることはできます。


 でもどんなにのびのびと生きようとしても、社会のプレッシャーは、同調圧力は自由であることを許してはくれません。


 生きづらいですよね。この社会。


 ばかみたいですよね。この世界。


 私の小学校生活は、その小さな子供たちの社会で空回りし続けて6年間を消費しました。


 誰かがいじめられれば行って癒し、いじめっ子がもう二度とそんなことをしないように心を正し、先生含めクラスのみんなが気持ちよく生きていけるように。


 そうやってできたらなんと素晴らしいことだったでしょうか?


 この『聖女』の力を持たなかった私は、しょせん親の七光りのこまっしゃくれたメスガキにすぎませんでした。


 先生たちは私の見ている前だけでは正義っぽく振舞うようになりました。裏でいじめを見逃していることを私は知っていました。


 いじめっ子たちは、私に絶対バレないように悪質ないたずらを進化させていきました。決定的な証拠は常になく、彼らは私をあざ笑っていました。


 ……いじめられっ子は、不登校になってもう私と会うことすらありませんでした。今思えば、彼から一度でも助けを求められたことはなかった気がします。


 たかが小学校のいじめです。


 されどそれは社会の中でのいじめでした。


 大人たちにとっては、ちっぽけな出来事なのかもしれません。


 いじめといじりの違いもあいまいで、社会勉強程度に放置していたのかもしれません。


 私に、心の貧しい人たちの思うことはわかりません。


 どう考えたっておかしなことを放置するということは、小学生レベルにすら考えていないのですから、そこに触れようとするだけばかを見るだけです。


 保育園で覚えた大人というものへの疑問は、小学校で不信へと変化しました。


 彼らは、結局我が身かわいさに誰かを見捨てるいきものなのだ、と。


 私は絶対にああならない、すべてをすくえるようになってみせる、と。


 やり方も何もわからなくて、力も全然なくて、でも理想だけは捨て去ることもできなくて。


 6年間がんばってがんばってがんばって、何もむくわれなくて。


 ……中学校に入る頃、私はきっと疲れ切ってしまっていました。


 家族も友達もいない。この世界に生れ落ちてからずっとひとりぼっち。


 親しい人が人生で一度でもいてくれたら違ったのかもしれません。


 でも、間違いを間違いのまま放置することを私は許せませんでした。


 それは例え仲良くなれそうな人だったとしても、清く正しく生きることの方が重要だったのです。


 そんな女と誰が親しくしようと思うでしょう。


 口うるさく欠点ばかり指摘してくる女と知り合い以上の関係性になりたがる人など、子供の中にいるわけがありません。


 『家族』は、小学校に入ってからも相変わらず顔を見ることすらほとんどなくて。


 運動会も授業参観も、三者面談も保護者会も全部、お手伝いさんが代理で来ていました。


 もちろんそこに情があるということもありません。


 互いに情を持たせないためにか、お手伝いさんは1~2年ごとに入れ替わっていたからです。


 私からしても、彼女たちは出入りの業者にしか見えなくなっていました。


 ……いえ、人間というものを人間としてフラットに見ることでしか、個人として見ないことでしか自分を保てなくなっていたのだと思います。


 私にとって自分以外の他人というのは、全員が全員私にすくわれるべきあわれな存在で、それ以上の感慨を抱かせてくれる人とは12年もの間出会うことはなかったのです。


 そんな私の世界の見方が変わったのは、中学校生活が2年目に入った春でした。


 もう世界と人間というものに疲れ始めていた私は、その頃医学と心理学を猛勉強していました。


 他人に言うことを聞かせるには、立派な人間にならなければならない。


 立派な金と権力を持った人間が言うことは、正しいかどうかよりも重要な価値があるのだと、そう妄信することでなんとか自分を奮い立たせていたのです。


 『家族』のように医者になるというのは、私にとって冴えたアイデアに思えたのです。


 もちろん迷走していました。


 誰が言ったことかなんて重要なわけがないじゃないですか。


 正しいことは、誰が言っても正しいことだから、正しいとされているんです。


 そこに権威だとか、有名だとか、人気だとか、他のものが絡む余地は一切ありません。


 数学の定理についてピタゴラスがしゃべったって、普通の会社員がしゃべったって、どちらも正しいことを疑うばかはいないはずです。


 ……私は、いないと思っています。


 いないでくれたらと、祈っています。


 もう、私は現実に負けそうになっていました。


 賢く正しく高潔に生きることは、とてもむずかしい道で。普通の人たちにそんなことはできっこないんだって。


 ばかで、おろかで、あわれな人たちがだましだまし間違いながらそれを開き直って生きている方が、なんだって。


 そうじゃなかったら、そもそもは存在しないんだって。


 そう、気づいてしまったのです。


 それなら力をつけよう、誰かを騙しとおせる力を。


 バレることなく騙しきったならば、それはその人にとって真実でしょう?


 嘘というものがなぜ必要悪とされているのか、私は理解しました。


 正しいこと以上に、の方が世間では重要なのだと。


 化けの皮がはがれない限り、正しいっぽいことはとても耳ざわりがよく社会に浸透していくのだと。


 私は13年間の人生でついに学んだのです。


 それからの私の中学校生活は平穏そのものでした。


 心理学というものはとても便利なツールで、応用しようと思えば、悪用しようと思えばいくらでも使えてしまうものでした。


 1年生の時はあんなに誰とも喋らなかったのに、2年生の終わりごろには気づけば私はクラスで一番の人気者になっていました。


 もちろんいじめなんてものはないし、みんな仲良しなクラスです。


 なぜなら、不和のたねは私がすべてつぶしてしまったからです。


 とても居心地の良い空間で、みんなが毎日笑顔でした。


 とても簡単なことで、ただみんなを正しいっぽいことで騙すだけでした。


 とても歪で、みんなが偽りの上でそれに気づかずに無邪気に笑っているのでした。


 ああ、なんて、


 小学校で6年間かけて正しくあれなかった人たちは、たった1年でそれらしくなりました。


 1年生の時はいじめっ子といじめられっ子だった2人が仲良さそうにスマホゲーで遊んでいます。


 なんてすばらしい光景なのでしょうか。


 なんでそれを見て私は笑えないのでしょうか。


 ……なぜ彼らは笑いあえているのでしょうか?


 いじめられたトラウマも、いじめていた心の貧しさも、私は癒すことはしませんでした。


 ただ、彼らの共通の趣味を使って間を取り持っただけです。


 ただ、いじめにならないように、ちょこっとの罪悪感を植え付けていじりの範疇はんちゅうに収まるようにしただけです。


 きっといじめやすい対象を他に見つければ、彼はまたいじめを始めるでしょう。


 他のいじめっ子に見つかれば、彼もまたいじめられっ子になるはずです。


 だって、何も解決していないのですから。


 ただなぁなぁに、正しいっぽいことで上っ面だけを飾った不自然に灰色な青春の1ページ。


 私は、彼らをのでしょうか?


 これが、すくいだと言うのでしょうか?


 これを、すくいと胸を張って言うことは、正しいことなのでしょうか?


 クラスではみんなが毎日笑顔でした。


 私の顔にも笑みが張り付いて、まるで仮面みたいでした。


 仮面の下で私は、毎日涙を流すのでした。


 ……涙の理由すら、もうわからなくなっていました。


 理想を叶えるために歩んでいるはずなのに、私はどこで踏み間違えたのでしょう?


 それとも、これが私の求める理想だったのでしょうか?


 現実は、冷たく私をあざ笑い続けています。


 そんな私が次の転機を迎えたのは、中学3年生に上がった時のことでした。

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