あらしのよるに(前)
あのあと意識を取り戻すことなくそのままぶっ倒れたケンはテントの中に叩きこんだ。
目覚めた時には正気を取り戻しているといいのだが……まぁ、アカリの腕なら大丈夫か。
笑い話で済むことを期待しておこう。
レンもまた『ハストルの黄金蜂蜜酒』を飲んで満足したのか、先ほどふらふらとした足取りで女子用のテントへと消えていった。
後片付けの手伝いくらいしてほしかったが、あまりに自由気まますぎるっぴ。
まだ料理も残ってるし、おねむだっていうのなら起こしておくのも悪いから止めはしなかったが……。
ま、あれくらい奔放に振舞ってるのを見るとこっちも爽快だから大目に見てやるか。
俺と初めての飲みだって言ってはしゃいでいたしな。酒のまわりも早かろう。ゆっくりおやすみ。
気づけばあたりはすっかり祭りの後の静けさ。
先ほどまでのトンチキじみたバカ騒ぎが嘘のようだ。
俺は残された酒飲みとして、1人
グイっと蜂蜜酒の残りを喉に流し込む。
「カケルさんは」
アカリがぽつりとつぶやいたのはそんなタイミングだった。
ケンの治療が終わってから、今度は枝豆のフライをつつくだけのbotになっていたはずだが、もろもろ整理がついたのだろうか。
何を言われるのだろうか。仇のことか、ケンのことか。
それとも、俺というモンスターについてか。
「カケルさんは、死をおそれることはありますか?」
だが、アカリが口火を切ったのはまったく別の話題についてであった。
死について?
むしろ恐ろしいと思わないやつがいるのか? 人間誰だって死ぬのは怖いだろ。
たとえいかに死から遠い位置にいる俺とて、昔は普通の人間だったのだ。
車にひかれりゃ、病にかかれば、階段で足を踏み外せば、それで死ぬ程度の一般人だった。
今となっては死の恐怖も忘れつつあるが、それが存在すること自体は流石の俺でも否定できない。
「怖くないと言えば噓になる、くらいの感覚かな。今はアカリがいるから死にたくても死ねなせてもらえないだろうし」
「そうですね。君を死なせはしません」
アカリはどこか茫洋と視線を空に漂わせている。
珍しくその顔にはどんな笑みも浮かんでおらず、かといって何かに悩んで眉を寄せているわけでもない。
即座に返された言葉が少し面映ゆく、なんだか誤魔化したくて手元のグラスをくゆらす。
からんころんと氷とグラスのぶつかる音と、時折弾けるぱちぱちというたき火の音だけが場を支配する。
言葉を探しているのか、アカリもしばらく黙りこくっていた。
「私は死を怖いと思ったことはありません。でも、畏れるべきものではあると認識しています」
そんな静寂が破られたのは、俺がグラスの中身を空にしてそろそろ次を注ごうかと考えていた折。
アカリにしてはひどく明確でかしこまった宣言だった。
「きっと心の奥底では昔からずっと思っていたのでしょうね。私の家は両親が医療関係者で、きっと世間一般からすると立派な人物だったんだと思います」
アカリはすぅ、と手を中空へと差し出した。まるで空から降り注ぐ光にでも触れるような清らかな……。
「当然のように2人とも忙しくて、私は両親よりもお手伝いさんの顔を見た回数の方が多いんじゃないかなと思っています。でもそのお手伝いさんも雇われた方ですからね。家事はやってもらっていましたが、だからといって親代わりに何かを教わるということも特にありませんでした」
「そんな身の上話、会って2日の俺に話していいのか?」
「いいと思ったから話しているんですよ。カケルさんなら、聞いてくれるかなって」
そこまで言って、アカリはくすっと花がほころぶように微笑んだ。
年頃の少女らしい笑顔でもない、『聖女』のような透明な笑みでもない。
アカリらしい自然な笑い方だった。
「いえ、君に聞いてほしいんです。他でもないろくでもない君に」
でも、綺麗な花にはとげがある。
笑顔とは裏腹に言葉はとげとげしい……。
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