『ハストルの黄金蜂蜜酒』

「さて、そろそろサンマも焼けたし、俺も本格的に混ぜてもらおっかなー?」


 俺たちがどの料理が一番美味いか頭突き合わせて喧嘩していると、ケンがわざとらしく声をあげた。


 サンマを携帯フライパンから大皿に盛りつける手際は、まさにイタリアンのシェフさながらだ。


 先ほどから香ばしい匂いが漂ってきているなとは思っていたが、目の前で食欲を煽るように取り分けられると、こう、抗いがたい魅力が生まれるな、うん。


 ニンニクとオリーブの食欲そそるいい香りだ。


 アカリとレンも目を輝かせていまかいまかとフォークとナイフを構えている。


 一応女子なんだから、ニンニクを気にするポーズくらい取りなよ……。


 俺自身はいっぱい食べる君が好き、ってやつだが、世間の目をね。


 気にするようなやつらでもないかぁ。ほな問題ないか。


「うちの姫様たちはまだ食い足りないみたいだが」


「そこの二人にいつまでも構ってたら、俺が食いっぱぐれるっつーの! いくら作りながら味見できるとはいえ、まだつまみしか食ってねーぞ。肉食わせろ肉」


「じゃあひと段落ってことにして。……あけちまうか?」


「待ってましたぁ! よっ、大臣!」


 ケンのご期待に応えて、『亜空間収納魔法ストレージ』から一本の酒瓶を取り出す。


 この間ソロでダンジョンを潰した時にボスからドロップした一品だ。


 邪神系と呼ばれる魔物から極稀に落ちると聞いてはいたが、実物どころか市場で出回っているのすらまず見たことがない珍酒だ。


「『ハストルの黄金蜂蜜酒』……こんなバカ高い酒をあけるのはじめてだわ。流石にちょっと手が震えるな」


「それよりもけた違いに高い杖を普段から適当に振ってるやつのセリフとは思えねぇな」


「『ユグドラシル』は俺の手元から離れることはないからな。誰かが勝手に値段をつけたって、そんなものに意味はないさ」


「カー君アタシもそれ飲みたい、吞みたい、のみたーい!」


 俺とケンがムードを高めていると、レンが横入りしてくる。


 愛嬌〇って感じだし、普通に高いだけの酒なら別に飲ませても構わないんだけどなぁ。


 はなぁ……。


「ええい、酒の味もわからんようなやつに飲ませる代物じゃねぇんだよ! お前はこっちのサンマでも食ってろ! これは俺とカケルで飲むの!」


「えー! カー君とツルッパゲだけズルーい!」


「いいから、ほれ、焼き立てだぞ! 冷める前に食っちまえ」


「むー。後で一口ちょうだいよね……」


 ケンも同意見なのか、両手に持ったサンマのガーリックオイルソテーの大皿を片方レンに押し付けた。


 レンも諦めたのかしぶしぶサンマを食べ始めたが、想像以上に美味かったらしい。


 アホ毛がピンと立ち上がると、次の瞬間には猛烈にがっつき始めた。


 これ、2皿分焼いてなかったら絶対に食いつくされてたぞ。


 アカリはさっきからリスみたいにちまちまとナッツを食べるのに夢中みたいだから、もう一つの皿が平穏なうちにこの酒をあけちまおう。


 つまみのない酒ほど味気ないものもない。


 味見してみないことには、他人に勧めずらいしな。


 『ハストルの黄金蜂蜜酒』。


 18オンスほどの古めかしい手作りのガラス瓶には黄のラベルが貼られ、「『Hastur』王よりたまわりしかぐわしきもの」とだけ記されている。


 そのしずくをとろりと口に含めば、えも言われぬ快感が舌を這いずり回り、喉に滑り落ちると焼け付くような痙攣けいれんを引き起こし、最期には胃酸と混じり合うこともなくはらわたでその異質な存在感が主張し続けるという。


 その出現率の低さから超希少な酒とされており億を超える高値で取引されているが、その味とレア度だけがその値の本質ではない。


 この酒には、飲んだ者に悪夢めいた宇宙的恐怖を幻視させるという一風変わった効能があるらしいのだ。


「確かに俺が倒したボスは海産物めいた見た目をしていたが、そんな狂気を宿すほどの精神的ダメージはなかったけどなぁ。倒すまで邪神系だと気づかなかったくらいだし」


「前回も言ったが、詳しく聞きたくねぇからな。邪神系のダンジョンとか関わりたくもねぇ。カケルお前喋るんじゃねえぞ?」


「の割には、この酒は飲みたがるんだからなぁ。酒飲みってのも難儀な生き物だぜ」


「酒に貴賤きせんはねぇだろうが!? まぁ怖いもの見たさも否定はしねぇけどよ。見るにしても幻だけで充分だ」


「正直、俺はこのダンジョンの『固有環境』の方が嫌だけどな。ただ魚介類っぽい敵が出てくるだけのダンジョンと、ずっと壁から無数の目が監視してるダンジョン、どっちがマシかって話」


「このダンジョンも実害ないってことになっちゃあいるが、なんかしら精神面に干渉しててもおかしくないよなぁ。何もないにしては、事故を起こすパーティが多すぎる」


「ま、その辺も含めて調査あるのみだな。ケンとレンが来てくれたし、明日からは捗るぜ」


「やっぱり俺も頭数に入れられてるんだよな……荷物持ちだけして帰ろうかと思ってたんだがなぁ」


「しゃらくせぇこと言うなよな! ケンが前衛張らなきゃ、俺が後ろでのんびりできねぇだろ? というわけで景気づけに!」


 蝋で封のされた瓶の口を無詠唱の風魔法で切り飛ばす。


 さて、噂に悪名高き狂気の酒の試飲といきますか。


「ああああ! もったいないことすんじゃねぇよ! 瓶だけでも好事家こうずかに売り飛ばせたろ!?」


 ……何故どいつもこいつもムードをあげるのを邪魔するんだ?


 ケンのやつ、どうでもいいようなケチくせぇこと言い出しやがって。


 瓶なんざ中身がなけりゃ大した価値ねぇよ。


 そんなものを後生大事にするやつは、好事家気取りの成金くらいだ。


 本物の好事家がこんなもんありがたがるわけねぇだろうが。


 そういうところがみみっちいからいつまで経ってもメリダに馬鹿にされてるんだぞ。もう少しどっしり構えることはできませんかねぇ。


「ちっ、おいグラスを出せ。そんな小さなことでピーピー喚くな。男なら、酒は味で判断しろ」


「え、カケルなんでキレてんだよ……わかった。わかったから睨むのはやめてくれ。黙って飲む。それでいいんだろ?」


 わかりゃそれでいい。


 高い酒を飲むんだからよ。


 誰にも邪魔されず自由でなんというか救われてなきゃあダメなんだ。静かで豊かで……とにかく、安っちい俗世から離れてねぇと本物の味がにごっちまうだろうが。


 割り材は……まぁロックでいいだろ。ソーダで薄めるのももったいない。


 2人分のグラスに『ハストルの黄金蜂蜜酒』を注ぐ。


「じゃあ、乾杯」


「乾杯!! うへへ、こんな酒が飲めるなんて、持つべきものは友だなぁおい!」


 チン、とグラスとグラスのぶつかる音があたりに響きわたる。


 グラスを傾けその蜂蜜色の液体を舐めるように口に含むと、まずは芳醇ほうじゅんな甘さが広がり、そして段々と燃え上がるような酒精が主張を始める。


 だが、噂に聞いたほどの驚きはないな。上等なウイスキーを飲んだ時と大して違いがわからん。


 俺が貧乏舌だからか? 高級すぎると味がわからなくなるもんなのかもしれん。


 よくわからんが、とりあえずサンマのガーリックオイルソテーを食べてからもう一口いこうか。


 一口大にカットされたサンマを口に含む。


 ケン謹製のガーリックオイルソテーはありふれたレシピのようだが、塩分多めのアレンジがされていて酒のあてにちょうどいい味の濃さだ。


 ダンジョン産の採れたてのサンマ特有の身の柔らかさが、甘いくせに辛口の蜂蜜酒に侵された口にやさしい。


 ブルスケッタ用に使ったバゲットの残りと合わせてアヒージョみたいに食っても美味いだろう。


 なんにせよ酒が進む。


 黄金蜂蜜酒をもう一舐め。


 サンマをもう一口。


 もう一舐め。


 うむ、美味い。


「これぞ、幸せスパイラルよな……ケンどうだ? 美味いか?」


 俺は十分に満足している。


 値段ほどの価値があるかと聞かれれば、まぁフカシだなとは思うが、十二分に美味い酒であることには違いない。


 あとは宇宙的恐怖とやらが見られれば文句なしなのだが……。


 一向に幻聴も幻覚もやってこねぇんだよなぁ。ガセだったのかなぁ。


 そう思いながら、さっきから反応がないケンの方に視線をやった。


 彼は虚空を見つめ、ぶるぶると震えていた。


 様子がおかしい。


 これだけ美味い酒を飲んでケンが騒いでいないというだけでもおかしいのに、その異様に血走った目といい、身体の震えといい……。


 そう考えていた瞬間のことだった。

 

「ああ! 窓に! 窓に!」


 突然ケンが叫び出し、腕や足を振り回して席を離れ走り出した!


 ……ああ、宇宙的恐怖が云々はガセではなかったんだな。


 ただ、俺の耐性が高すぎて効いてなかっただけか。


 ちょっとがっかりだなぁ。俺も一度くらいは一時的発狂してみたかったんだけど……。


 ケンは何もない中空に向かって手を伸ばし、そこにあるはずもない窓枠を乗り越えようとしては失敗してこけている。


 見ている分には滑稽こっけいだけれど、当人からしたら死の淵にいる気持ちなんだろうなぁ。


 流石に笑えない。


「完全に発狂しちまってるな……どうしたもんかなぁ、これアカリ治せるよな?」


「ふぇ?」


 俺らが『ハストルの黄金蜂蜜酒』を開ける前から、ナッツを食べるだけのげっ歯類になり切っていたうちのマスコットに頼るしかねぇんだが……。


 この娘、自分がヒーラーだって自覚がないのか?


「あ、そうか。そもそもこの酒の効能説明してなかったか」


「アタシもなんも聞いてないけど、ツルッパゲがなんか愉快なことになってるし危ないお酒だったのー?」


「そうだな。飲んだらちょっと見てはいけないものが見えて発狂する珍酒だ。で、アカリ治せそうか?」


「いやカケルさんすごい冷静に言ってますけど、君も飲んでましたからね!? そんな危ないもの飲むなら先に言っておいてくださいよ! 君までああなってたらどうするつもりだったんですか!?」


「あー。全然考えてなかった。アカリ賢いな! ダハハハハハハ!」


「よ、酔っ払いってばかすぎます……」


「でも、カー君になんもなかったってことはアタシも飲んで大丈夫そう! ダメそうだったらアカリちゃん頼むね!」


「こっちの酔っ払いも自由すぎます!?」


 目の前で治療の話が出ているのに、それを無視して自分から首を突っ込むアホ娘が一匹。


 まぁこのアホのことだから、なんだかんだ大丈夫だろう。


 そんなことよりケンだケン。


 このまま暴れられてると、火の元につっこまれて後始末が面倒になりかねん。


 とりあえず動けなくなるように適当な拘束魔法でもかけておくか。


「ほれ『自縄自縛バインド』。よし、捕まえたしアカリ頼んだ!」


「ああ、蜘蛛糸に絡めとられし憐れな聖餐せいさんよ。いあ! いあ! つぁとぅぐぁ!」


「なんかやばめの呪文唱えてませんか……? 私にはケンさんを元に戻す以外は何もできませんからね?」


「それだけやってくれりゃ十分よ! 所詮は幻見てるだけって話だからな。発狂から帰ってこれなくて廃人化したなんて話もあるけど、どうせ悪ノリした都市伝説だろ!」


「いますぐ! 全力で治させていただきますっ!」


 アカリは真面目でいい娘だねぇ。


 ちょっとあおっただけでやる気MAXになってくれてお兄さん嬉しいよ。


 俺に出来ることは縛って転がしておくくらいしかなくてよぉ。


 まぁ、発狂したらアカリに任せればいいかなーと無責任に思ってたのは否定しないが……。


 その分、美味い飯は食えたろ?


 何事もギブ&テイク。役割分担、支え合いだ。冒険者の世界は厳しいね。


 その手から翡翠ひすい色のやさしげな光を放ってケンを元に戻そうと必死になっているアカリをさかなに、俺は蜂蜜酒の瓶を傾け2杯目へと進むのであった。


「これ甘くて美味しいねー! サンマもよく合うし、ツルッパゲにしてはいい仕事かも」


「……こっちはこっちで平和ではあるんだけどなぁ」


 酒は飲んでも飲まれるな、ということだな。


 酒飲み3人とアカリの温度差で風邪ひきそうだぜ……。


 なんて、俺が言えた義理じゃねぇよなぁ。


 あとでなんか詫び入れなきゃなあ。煤けたアカリの背中を見てしみじみとそう思った。

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