『聖女』は『魔法使い』を抱きしめたい

「もちろん、先生の言うことが全部正しいわけではありません。それは、中学校を卒業してから冒険者として活動してきたこの1年半でよくよく身に沁みました。先生が先生なりの答えを出したみたいに、私は私なりの答えを出さなければならないんです」


 アカリは、話している間中ずっとつつきまわしていた枝豆のフライを一つつまむと、ぽいっと口の中に放り込んだ。


 ふんにゃりとその表情が幼げに緩むのに合わせて、シリアスじみた雰囲気に支配された場もゆるりとした空気が流れ始める。


 アカリが、また口を開く。


「私は冒険者になってから誰一人もパーティメンバーを死なせたことはありません」


「そりゃすごい。誰だって大なり小なり犠牲を出して冒険者やってるってのに」


「でもカケルさんは先代の『聖女』さんと組んでたんですよね?」


「一時期だけな。まぁあの頃はさすがに誰かが死んだ状態でダンジョンを出たことはなかったな。死人自体は山ほど出てたけど」


「その『聖女』さんは蘇生魔法がお上手だったんですね! 私も多分できるんでしょうけど、成功させたことがないので、ちょっと自信がないです……」


「ならここらで練習しておくか? ちょうどレンの『祢々切丸ねねきりまる』があるし、具合がよく実験台がそこに2人寝こけてる。切り口が良ければくっつけやすいだろ」


「いやいやいや、誰かを殺して蘇らせるって本末転倒すぎませんか!? 嘘ですよね!? 『聖女』ってそんな練習積む必要あるんですか!?」


「はは、ジョークだよジョーク。俺らが手を下すまでもなく、レンを始めとした脳筋どもが魔物に突撃して死にまくったから、先代はそれで練習したのさ。バカの尻拭いでいつも貧乏くじ引かされてた。ま、後衛職の宿命だな。前衛がトチったらリスクは全部こっちに来る。死を覚悟するのは、いつも誰かが死んだ時だけだ」


 会話が少ししか続かない。


 アカリはあいまいな笑みを浮かべ、また枝豆をつつき始めた。


 ええい、いつまでうじうじとしているのだこの娘は。


 言いたいことがあるならしゃっきりせんか!?


 そんな俺の想いが伝わったのか、アカリは箸をおいて姿勢を整えると、深呼吸を一つ落とした。


「私の両親は、去年亡くなりました。交通事故にあって、ほとんど即死だったみたいです」


 そして切り出された話題に、ガツンと頭を殴られた気分になった。


「私がダンジョンに潜っていた時のことです。病院に駆け付けた時にはもう、2人とも顔には白い布がかかっていました。笑っちゃいますよね。死んでからも私と顔を合わせたがらないなんて」


 くすっと笑うアカリだが、どう考えてもそれは無理した笑いとしか思えなかった。


「結局、最後まで仲直りできないまま。あの人たちがどんな人たちだったのかすら知らないままに、どこかに旅立たれてしまいました」


 アカリの表情は変わらずあいまいな笑みのままで、それがどんな顔をすればいいのか未だにわかっていない迷子の顔に俺には思えて……。


「蘇生魔法、使ってみたんです。でも、2人とも死んじゃってから時間がたったからなのか、全然効かなくて。当時は『聖女』でもなかったので、そもそも正しく使っても蘇らせられたのかわからないんですけど。……知識では知ってたんですけどね。治癒魔法は生きている時にしか効かないって。だから、体中の傷を消すこともできなくて」


 その小さな体を抱きしめてやりたくなった。


 一人ぼっちで生きることと、一人ぼっちにされることは全然違うんだ。


 遺されるってことが、どれだけ辛いか。俺にはわかる。


 なんで死んじまったんだって、現実が受け入れられなくて。


 なんで連れてってくれなかったんだ! って、理不尽に怒りたくなって。


 なんで、俺だけが1人で生きていかなきゃならないんだって、涙を流して問いただしたくなるのだ。


「あれだけ立派に、自分の子供すら捨て去って立派にふるまっていたというのに、30代でこの世を去るってどんな気持ちだったんでしょう。かなしみより先に、疑問がわいてきました。いえ、1年たった今でもあんまりかなしくはないので、私にとっても彼らの存在は大したものではなかったのでしょう」


 手を伸ばす。


 俺と同じように一人ぼっちの女の子に、届くように。


 何ができるとも思わないが、傷をなめ合うくらいは許されるだろう。


 社会からも神からも、誰からも見捨てられた俺たちが、せめてまた立ち上がれるように。


 手を……。


 伸ばした手が、アカリにやさしく両手で包まれる。


「ショックではありました。私はパーティメンバーを一人も死なせたことはありませんし、これからも死なせることはありませんから、それが最初で最後の死別になります」


「アカリ……」


「でも、ちょっとだけ嬉しかったんです。私は死というものを畏れてはいましたが、本当の意味で死を理解したのは、その時でしたから。カケルさんも言っていたように、『死を覚悟するのは、いつも誰かが死んだ時だけ』なんですよね」


 あいまいに浮かべていたはずの笑みは、気づけばほがらかなものになっている。


 さみしい半生を語って、親の死を語って、どうしてそんなにあたりを照らすようなまぶしい笑顔を浮かべることができるのだろう。


 辛いじゃないか、心が痛いじゃないか。


 それを隠すように笑みを浮かべるならわかる。笑顔は仮面だ。どんな負の感情も隠してくれる。


 だから人は笑うのだ。


 笑っている奴が一番強いのだ。


 そう考えこむ俺を見かねたのだろうか、アカリがふと立ち上がる。


 そして、何を思ったのか俺の肩にしなだれ寄りかかってきた。


「人でなしだと思いますか? 親が死んで、それをかなしまずにむしろよろこぶような女を、君はどう思いますか?」


 耳元でささやくその声はまさに運命の女ファムファタールめいて、俺の耳を犯す。


 アカリは強がりで笑ってるわけじゃない。自分も律せない人間がこんな他人を操るようなことができるものか!


 陰も隠すような人工の明かりじゃない、影も何もかも許さない太陽のようなひまわりのような笑顔だ。


 いつまでも過去に囚われている俺とは違う、本当に前を向いている者だけが浮かべられる、迷いのない顔だ。


 その灼熱の熱さに、俺はたじたじにならざるを得ない。


「俺は……別にアカリが何を思っていても自由だと思う。それに、そんな露悪的なことを言ったって、お前の人の好さはこれっぽちも隠せやしないだろうに」


 俺の歯切れの悪い答えに、アカリはくすくすと無邪気そうに笑う。


 捕まえた俺の手を壊れ物でも扱うように撫ですさりながら、まるで出来の悪い子供でも見るみたいにしょうがなさそうに笑う。


「ふふ、ありがとうございます。そういう君はどんな時もひねくれ屋さんですよね。もっと自由に、心のうちを打ち明ければいいのに」


 はずかしいですけど、すっごくきもちがいいですよ。


 耳の奥の奥、脳髄まで痺れるような甘い甘いささやき。


 再び耳元でささやかれたその声は、今度こそ確信犯めいて俺を堕としにかかっていた。


 待て待て待て、これ、今どういう状況だ?


 俺はアカリのお悩み相談を受けてたわけじゃなかったのか!?


 いつの間に俺はイメクラに入店したってんだ???


「な、な、な、何が言いたいんだよ!? 自分が話したんだから、俺も話せってか?」


 声が裏返る。


 動揺を隠しきれねぇ。わし、童貞じゃもん。レンみたいに色気がない女としかつるんだことねーんだよ。こういう時どうするのが正解だってばよ!?


 くすくすくすと、小悪魔の笑い声が脳を揺らしにかかる。


 抗わねば……このままでは、なんだか大事なものを握られてしまうような気がするっ!


「君の話は、また今度聞いてあげます。今は他のことがしたい気分なので♪。ふふ、カケルさんってかっこつけたがりですけど、実際はかわいい系ですよね。年下の女の子にちょっと詰め寄られたくらいで情けないくらいに動揺しちゃって」


 アカリの左手が頬を愛おし気に撫ぜる。


 右手は相変わらず俺の手に添えられたままで、人差し指だけでつーっと円を描くように俺にその存在を忘れるなといつまでも語りかけている。


 頭が沸騰しそうだ。


 全然そういう気配なかったじゃん! 頭のギアがシリアスから切り替わってないのに畳みかけてくるのはさすがに卑怯すぎるだろう!?


 動揺くらいアホほどするわ!!!


 でもアカリの中ではもう全部整理のついた問題だったのだろう。


 話したのは、吹っ切るための儀式のようなものだったのかもしれない。


 ただただ優しく、その温かい手は俺を撫で続ける。

 

「普段のふるまいも、その弱さを隠すための強がりなんですよね。いっぱい傷ついて、それでも歩みを止めるわけにはいかなくて。だから、笑ってごまかして。そうすることでしか、『魔法使い』でいられなかったんですよね」


 その温かさで、俺の冷たい部分にまで踏み込もうとする。


「俺、はっ!?」


 開こうとした口が、柔らかいものでふさがれる。


 は? は???


 放心する俺の頭が、たたみかけるように温かいものに包まれる。


 柔らかい……。柔らかい???


「ふぅ、今はまだしゃべらなくて大丈夫です。私が一方的に、君にたくさんしてあげたいだけなので」


 もしかして今、アカリに抱きしめられている、のか?


 この柔らかい感触は、なだらかな丘陵と馬鹿にしたアカリの胸……。


 ……後衛職のローブって、思った以上に着痩きやせするんだな。


 そんなアホなことを考えている俺とは裏腹に、アカリは至極真面目に言葉を続ける。


「君も返そうとしてくれるのは嬉しいけれど、そんな君だから、この言葉を送ります。『自分も救えない人間には誰かを救うことはできない』」


 俺はアカリのことを庇護すべき対象だと思っていた。


 俺は、アカリから見て強者に見えなかったのだろうか。


 誰かを守るために無理をしている人間に見えたのだろうか。


 ……そう見えないように、足掻いているのがわかってしまうものだろうか。


「私はすべてを救う女です。まずは私を救ってみせました。だから、ここから先は誰かさんを救う人になります。なにせ、今目の前で嘆いている人を無視してまでするべきことなんて、この世には一つもないんですから!」


 アカリは『聖女』としての道を踏み外さずに歩き続けている。


 誰かを救うという至上命題のために、アカリは本当にすべてを救い続けている。


 失敗することがあっても、それすら糧にして進み続ける。


 生まれた時からずっと、まるでその道だけが輝いているかのように、彼女の前には開けているのだ。


 俺はどうなのだろう。


 最初の仲間を失った時も、梅田ダンジョンの攻略後にパーティ解散した時も、レンと別れた時も。


 俺はいつも1人になる道を選んでいた気がする。


 斜に構えて、厭世えんせい気分で諦めて。


 どうせ誰も俺のことなんて愛しちゃくれないなんて、どうせ誰も俺は愛することができないなんて、ひねくれて。


 そんな道は、『魔法使い』にふさわしい道だったのか?


「君には自覚がないみたいですけど、救われるべき人、その中には、君のことも含まれているんですよ?」


 アカリに救われるだけの人々と同じような、100人中98人が辿るような人生と似たような道を歩こうとしていたんじゃないのか?


 ……俺は、それでいいのか?


 救われるだけの男って、かっこ悪くないか?


「以上! お説教終わりです! 私はもう寝ますので! 明日の探索に備えてカケルさんも早めに寝てくださいね!」


 最後にぎゅーっと頭を抱きしめると、アカリがそそくさと離れていく。


 その顔はちらっとしか見えなかったが、リンゴよりも真っ赤だった気がする。


 いつになくきびきびとした動きでテントに向かってしまったので、見間違いだったかもしれないが……。


 手元のすっかり氷の融けきって腑抜けた蜂蜜酒を一息に煽る。


 酒精がかろうじて俺の正気を保ってくれている。


 酒に頼った正気ほど頼りないものもないが。ましてや幻覚を見せると噂の酒に。


 せめてさっきの一幕が、幻覚じゃなかったことを祈りたいものだ。


「そうだよな。俺、さっきキスされた? されたよな??? しかもそのあと抱きしめられて……」


 もしかして、いやもしかしなくてもそういうことなのだろうか?


 出会って2日で即合体ってか?


 いやー! モテモテ男はつらいですなぁ!


「はぁ……あほらし」


 そんな素直に喜べるもんじゃねぇだろうが。


 女に、ダメなところが素敵ねって、そんなところを支えてあげたいと思ったのって言われて、喜ぶ男がいるかっつー話だ。


 だせぇ。


 だせぇだせぇだせぇくそだせぇ。


 全部お膳立てされて、最後だけちょろっとかっこつけてきゃーきゃー言われて満足できるほど、男捨ててねぇっつーの。


「自分だけいい空気吸いやがってよ」


 女ってのはどいつもこいつも自分勝手で困るぜ。


 俺だって、好き勝手振舞ってやってもいいんだぜ?


「ああ、なんだか難しく考えてたのが馬鹿みたいじゃねぇか」


 世界はもっと単純で、本当は好き放題すればいいのかもしれない。


 でも、それで俺は本当に何かを壊さずにいられるのだろうか。


 本当に、誰かを傷つけずにいられるのだろうか。


 もう二度と、誰かを失わずに済むのだろうか。


「なぁアカリ、教えてくれよ……俺は、どう振舞えばお前に捨てないでもらえるんだ?」


 答えを持つ相手は、もう夢の中だろう。


 起きてたって、聞く勇気が出るとも思えないが。


 『亜空間収納魔法ストレージ』の中から、隠していたもう一本の『ハストルの黄金蜂蜜酒』を取り出す。


 せめて夢で逢えたなら。


 なんて、こんな酔生夢死を送ることのどこに意味があるというのか。


 迷子だったのは、アカリではなく俺だったらしい。


「すべて忘れられたら、どれだけ楽なんだろうな」

 

 叶いもしない、叶ってほしくもない願いのために、俺はただ、盃を傾け続けた。

 

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る