『魔法使い』は失敗を認めない

 黒豹の魔物はこちらを睨んで隙を窺っているようだ。


 流石に不用意に飛び掛かってくるようなことはしないのか。


 そこらへんにいる雑魚魔物だったら、今頃考えなく突撃をかまして俺に返り討ちにされていたはずだ。


 フィジカルが強いとは聞いていたが、それに見合うような賢さも身に着けているのだろう。


「そこはもうちょい獣相応の頭の出来でよかったんだがな」


「グルルルルルゥルルルゥルルルルル!」


「賢いのはペットのフクロウちゃんだけで十分なんだよ! 『氷河の瀑布ワールドオブグレイシア』!」


 だが、どれだけ賢かろうが、フィジカルお化けだろうが、自然の脅威にまで抗えるわけがない。


 この凍る世界に閉じ込められて虚しく息絶えるがいい!


 俺の足元がパキパキと音を立てて、霜に包まれた。そこを起点として、一気に放射状に床が霜に覆われていき、やがて壁にも辿り着いた冷気はそこに分厚い氷を張る。


 俺の放った氷の最上級魔法は、対象となる黒豹だけではなく、ダンジョン丸ごと凍らせんと俺の視界に映るものすべてを平等に呑み込んでいく。


 魔物相手に隙を与えるなど、馬鹿のやること。できるのならば、いつだって一撃必殺が望ましい。


 時間も魔力も体力も、すべて消費せずに次へと進めるならば、それに越したことはないだろう。


 それに、いつまでも様子見をしていたら、不利になるのはこちらだ。


 アカリが戻ってきてしまうというのもそうだが、この黒豹、バレないようにじりじりと俺との距離を詰めていた。


 頭にマルの姿が浮かぶ。


 そういうのは、武道をかじってるやつがやるから許されるんだろうが。


 たかが魔物風情が生意気にもひと様の真似事してんじゃねぇよ。


 抵抗せずに、やられとけって話だ。


「さて、俺としてはこれで終わってくれるなら楽だったんだがな」


「ガルルルル……」


「別に手を抜いたつもりはないんだが、お前、どうやって生き残った?」


 黒豹は、相変わらず俺との距離をじりじりと詰めつつ、飛び掛かるタイミングを図っている。


 まるで最初から効かないことが分かっているかのように、その姿は自然体だった。


 目に映るものすべてが凍りついた世界で、俺と黒豹だけが動くことを許されている。


 壁に張り付いた目玉模様ですら動きを封じられた、停止の氷結界。


 すべてを呑み込む冷気の濁流の中、この黒豹は何をした? なぜ息をしている?


 黒豹は、俺が魔法を放った瞬間から大きな動きを見せていなかった。


 俺の魔法が迫ってきても、泰然自若たいぜんじじゃくとしてそれに対応する様子も見せなかった。


 いや、あるいは効かないことを本当に理解していたのかもしれないが。


 氷属性に超越的な耐性がある? 詠唱省略しているとはいえ、この『魔法使い』の最上級魔法を無視できるほどに?


 そんなの、氷属性専門の上級魔術師である『氷術師アイスサモナー』でも耐性抜けないだろ。


 属性無効ができるほどの耐性を持つ魔物など聞いたことがないんだが、そんなことがありえるのだろうか?


 いや、原理は不明だが『氷河の瀑布ワールドオブグレイシア』が効かなかったことだけは真実だ。


 他の属性の魔法なら通るのか?


 次の手を考えなければならない。


 そう思った瞬間だった。


「グロゥウル!」


一瞬の思考の間隙。そこを突かれた。


「ぐっ、マジックユーザーが一番襲われたくないタイミングってのがよくわかっていやがるじゃねぇか!?」


「グル! グラゥ! グラ! ゴァアアアア! 」


 黒豹が一気呵成いっきかせいに飛び掛かってきた!


 ここまでの慎重さがなんだったのかと問いたくなるくらい迷いのない襲撃。


 しなやかな黒艶の身体をたわませ、自然界由来の柔軟なばねによって生み出した脅威的な運動能力が解放され、俺に叩きつけられる!


 右! 右! 左! 右、と見せかけて噛みつきだとっ!?


 初撃の飛び掛かりで俺との距離を0にすることに成功した黒豹は、間一髪防御へと間に合わせた愛杖『ユグドラシル』へと組みついた。


 後ろ脚の筋力だけでその巨大な体を支え切った黒豹は、その両前脚を機敏に繰り出すことで、何とか俺の防御を抜こうとした。


 鋭い爪! 巨体ゆえの質量! 圧倒的なフィジカルが生み出す運動量!


 すべてが後衛職でしかない俺のキャパシティの限界に迫ろうとしてくる。


 フェイントも含まれていて、ただでさえ目で捉えるのも難しいほどの速度なのに、より一層の負荷がかかる。


 防御自体は鍛え上げた杖術のおかげでどうにか間に合っていたが、それも本命の噛みつき攻撃が来るまでの間だ。


 防ぎきれなかった。


 一撃でも食らえばそのままマウントを取られて押しつぶされそうな剛腕の攻撃に集中しきっていた。


 俺の隙を突けたのは、純粋に頭が2つあったからだろう。


 普通の獣型の魔物ならば、体の大きさも相まって飛び掛かりと噛みつきを主軸にした格闘戦を仕掛けてくる。


 だから、最初はその尖り切った牙を一番警戒していたのだ。


 しかし、この双頭の黒豹は俺に飛び掛かったあとも、ジャブのように、というには重たすぎたがその腕と爪を使った切り裂き攻撃だけを繰り出してきた。


 一時的とはいえそれ以外の攻撃を繰り出さなかったことで俺の思考を縛り。


 そして、その重い連撃によって俺の余裕を奪い取った黒豹は、満を持して切り札の噛みつきを敢行したのだ。


 ただ双頭で噛みつかれたのなら、逆にその隙をつくこともできだろう。


 しかしこの小賢しい黒豹は、その特徴的な2つの頭を、片方の視界で俺をつぶさに捉えながら、もう一つを噛みつきに使うという、想像だにしなかった方法で活用してきやがった。


 隙を生じぬ二段構えだ。


 俺が逆襲の構えを取らなければ、もう1つの頭でより効果的な部位へと噛みつくつもりだったのだろう。


 まぁ不幸中の幸いで、黒豹の方が思った以上に慎重だったおかげで、もう一つの頭は俺を睨みつけるばかりで噛みついてこようとはしない。


 おかげさまで用意した魔法をすぐに放つ必要はなくなった。


 だがっ!


 クソっ。余裕ぶっこきやがって、むかつくなぁ!?


 双頭の犬オルトロスとは戦ったこともあるのだが、あの犬っころは水属性が弱点なのが周知されている。


 毎回水責めをしていたので、こんな接近戦をしたことがなかったのだ。


 まさか、先制の魔法で何の手傷も負わせられないとは思っていなかったという油断もある。


 おかげで少し動揺したところに詰め寄られて、あっという間に形勢不利だ。


 あぁ、腹が立つ。


 いくらイレギュラーとはいえ、たかが一魔物に好きにされているこの状況、到底看過できるもんじゃねぇ。


 そもそも俺が格闘戦が得意ではないという以上に、この黒豹が戦巧者みてぇな面してんのがより苛立つ!


 まるで、お前は馬鹿だと見下されてる気分になる!


 俺が上で、てめぇが下だろうがよぉっ!!!


「……『土蛇の牙アースクエイク』」


「グァァガッ!?」


「土魔法は、効くのか。ちっ、こんな肩じゃあ次の攻撃は受けきれんぞ」


 黒豹が飛び退ったのを確認したところで、いったんクールダウン。


 心は熱く、頭は冷たくだ。


 この煮えたぎる怒りを発散するためにもまず、自身の損害状況をチェックしなくてはいけない。


 痛みはもう閾値を超えている。


 戦闘中でアドレナリンがドバドバ出ていることも相まって、激痛が走っていることは分かるのだが、感覚が麻痺してしまっているようだ。


 痛みに慣れているというのもあるが、頭がカッカしすぎて小さなことを考えることができないのだ。


 加えて、ここまでのダメージを負ったことが久しぶりだからだろう。どこか現実感が欠如している。


 よく見えないが、左肩がやつの鋭い牙によってずたずたになった。左腕の動きがあまりに緩慢だから、筋もほとんどやられただろう。


 だが、咄嗟に頭を庇えただけでも上々だ。


 口と脳みそさえ生きていれば、何の問題もない。


 多少追い込まれはしたが、勝利の方程式に紛れはない。


「はぁあああ! クッソだりいなぁおい。なんの耐性があるんだかもよくわかんねぇし、さかしい真似までしてきやがる」


 右手に握った『ユグドラシル』に寄りかかり、双頭の黒豹を睨みつける。


「お前、今のでうまくやったつもりじゃあないだろうな」


 黒豹はまた慎重に俺との距離を図り始めている。


 魔力に敏感だからなのだろう。俺に対して、非常に警戒心を持っているようだ。


 普通これだけの傷を獲物に負わせれば、弱っていると思って追撃をかけてもおかしくないと思うのだが。


 俺としてもその隙を突くべく魔法を練っているわけだし、こんなところでもう一度リズムを向こうに握られるのはしゃくに障る。


 ……いっそのこと、こちらから打って出ようか。


 詠唱をフルでするには前衛もいないし時間もないが、よくよく魔力を練って放てば、詠唱省略でもそれなりの威力が出る。


 やつの耐性の謎は解けていないが、何となくの仮説はある。


 『氷河の瀑布ワールドオブグレイシア』みたいな間接的に結果をもたらす魔法が効かない可能性があるというのなら。


 『土蛇の牙アースクエイク』のような物理現象を引き起こす魔法をぶつければいい。


 熱や冷気や風のような曖昧な属性魔法が無視されるかもしれないというのなら、究極の質量をぶつけてやればいい。


 ちょこっとダンジョンが崩れるかもしれないが、その程度でどうにかなるなら安いものだ。


 別にダンジョンの1つや2つ瓦礫の山になったって、俺のこの腹の虫を収めることと比べたら大した問題じゃねぇ。


 あぁ、思い付きでしかなかったが、いいアイデアじゃねぇかこれ?


 ダンジョンごと取り潰しちまえば、異変だって解決だろ。


 また起きたらどうするんだって言ったのは俺だが、そもそも起きる場所ごと失くしちまえばいいだけの話だ。


「はっ、新しいパンツをはいたばかりの正月元旦の朝みてーな気分だぜ!」


 難しく考えてる方がバカバカしい。全部吹き飛ばしちまうのが一番早ぇに決まってる。


 清々しく逝こうぜぇ? 猫っころも、ダンジョンもよぉ!!!


「なぁ、対消滅って知ってるか?」


「クルオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオン!?」


「『臨界オーバードライブ』」


 俺の顕在魔力を増大させる一時的なブースト魔法。


 その行使によって、俺の身体から爆発的な勢いで魔力が流れ出す。


 その余波だけで、分厚く張り付いた壁の氷が弾け飛んでいくほどだ。


 俺の魔力の圧にびびったのか、慌てて止めに入らんと黒豹が飛び掛かってくるが、俺はもう止まらねぇ。


「遅ぇよ」


「グォオオオン!!」


 目の前で閉じられようとしている二揃いのあぎとには、運命を変える力などない。


 運命は常に、我が手の中にあるのだから。


「『暗黒流星物質スターダストトレイル』」


 極大の負の質量を蓄えた流星が、一筋の軌跡だけを遺して、双頭の黒豹の巨体を左右二つに分かち、触れた部分を削り取るように蝕むように消し去っていく。


 見ている分には、それは雪景色のように静かだ。


 その純黒の肢体だけに留まらず、苦痛に喘ぐ断末魔の叫びすらも呑み込んで、暗き流星はその短き生の終点へとたどり着く。


 双頭の黒豹の頭から尻尾の先まで、たった5mの儚い輝き。


 しかしその輝きがついえるとき、その身に秘めた、喰い荒らした分のエネルギーが解放されるのだ。


「さよならさんかく、またきてしかく。まぁ、『魔法使い』の片腕を奪ってみせたんだから、十二分に健闘したんじゃねぇか?」


 いやー疲れた疲れた。やっぱり結構な強敵だったな。


 でもアカリが戻ってくる前に片づけられたし、けがも『聖女』にとってみりゃそんな重症でもない。


 完璧な仕事だったと言えるのではないだろうか。


 まぁ一つ問題があるとするならば。


 俺の目の前で、膨大な、ダンジョン一つどころか、国一つ吹き飛ばしそうなエネルギーが膨れ上がり、今にもすべてを無に帰さんと胎動を始めていることだろうか。


 あー。怒りに任せて加減とか考えずに極大魔法である『暗黒流星物質スターダストトレイル』使ったからなぁ。


 ……国一つで済めばいい方かも。


 最初に想定していた威力の何百倍くらいのやつ使ったんだろ。


 半分無意識だったし、考えたくもないなぁ。


 なにせ、もう『暗黒流星物質スターダストトレイル』の行使は終わっていて、残っているのはそれによって起きた物理現象の解決だけなのだ。


 つまり、俺のコントロールが効く段階は、とっくに過ぎちゃってるってこと♡


 ……………………。


「ちょっと計算間違えたか? でもなんだかんだどうにかなるだろ。どうにかならなかったら、地獄で会おうぜ、兄弟」


 遺言(暫定)とともに、視界が光に包まれていく。


 もう、ゴールするしかないのか……。


 ちょっとばかし星の命運も勝手にしちに入れちゃったけど、まぁ全人類許してクレメンス。


 短い一生だったが、我が生涯に一片の悔いもないからなッ!


 とりあえず、練れるだけの魔力を練って、これで相殺できることを祈るかぁ。


 そう観念しかけた時。


 俺の後ろから一陣の風が通り抜けた。


「カー君は、アタシがいないとやっぱりダメダメだよねぇ」


 次の瞬間には、すべてを滅ぼそうとしていた破滅の恒星が、あまりにあっけなく跡形もなく霧散した!?


 天文学的なレベルの破滅的なエネルギーを消し飛ばせて、俺をカー君と呼ぶ女なんて一人しかいない。


 だが、俺はさっきその一人を追い返したはずで……。


「カケルさん!」


「アカ、リ?」


「頼もしい強力な助っ人を連れてきましたよ!」


 は、ははは、はは。頼もしすぎるってレベルじゃないだろ。


 そいつ今、しれっと地球のこと救ってみせたところだぞ。


「いやー、こんな斬り伏せ甲斐があったの久しぶりだよ! カー君の極大魔法はやっぱり一月に一回は斬りたいねぇ!」


 そこには、『剣聖』レンがいた。


 自身の愛刀である1丈7寸の大太刀『祢々切丸ねねきりまる』を振り抜き、俺やアカリを襲おうとする災厄を切り捨て打ち払ったのだ。


 災厄を起こした側が言うことではないかもしれないが、あまりにカッコよすぎて、ちょっとキュンときた。


 まぁそれはそれ、これはこれ。


「そんな頻度で惑星レベルの危機を生み出してたら、俺はお天道様に顔向けできないっつの。俺は死の淵にいたってのに、呑気なもんだなぁ、おい!」


「え、今回のはジゴージトクでしょ。カー君一人で極大魔法使うとか、後始末どうするつもりだったのさ」


「別に俺一人でコントロールできねぇから極大魔法とか呼んでるわけじゃねぇんだぞ!? ちょっと威力が強すぎて、撃った後の被害が馬鹿みたいにでかいだけだ!」


「そんなモノをダンジョンで、しかもこんな低レベルダンジョンの浅いところでぶっぱなすのは、流石のアタシもどうかと思うなー。カー君のドアホ~!」


 ああ言えばこう言うやつだ。


 まったく……どうにかなったんだから、今回の俺の選択に何の間違いもありゃしなかったじゃねぇか?


 きちんと結果を鑑みてほしいもんだぜ。


「……うん、まぁ、来てくれてありがとうな、レン」


「イヒヒ! アタシとカー君の仲じゃん! 当然っしょ!」


 得意気に悪戯気に笑うレンの顔を見るのは久しぶりで、それが俺にはひどく眩しく心に残るのだった。





 

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