『聖女』は苦痛を認めない

「さて、そろそろ帰らにゃ晩飯を食いっぱぐれるな」


「もうそんな時間ですか? 3層はメインのルートしか見て回れませんでしたね」


「まぁ、今日全部終わらせる必要もない。2層までで切り上げてもよかったくらいだ。3層では2~3本小道を見れればいい方だろうと思ってたよ」


「カケルさんがふざけるからその2~3本の道すら見られなかったんですよ?」


「アカリもはしゃぎまわってただろうに、俺だけのせいにするのか」


「誰かに可愛がられたりとか、上級冒険者として指示を出したりとか、そういうのはたくさん経験がありますけど」


「お、隙あらば自分語りか? これは隙を与えた俺が悪いな」


「茶化さないでください! もう。このままじゃ牛さんになっちゃいますよ、もう」


 アカリはもーもー鳴いているが、牛になるにはちょっと足りないものが多すぎるかもしれないな。


 身長もそうだし、そのなだらかな丘陵きゅうりょうといい……まずは牛乳飲むところから始めた方がいいと思う。


「いま、絶対失礼なこと考えてました。もう、君にはデリカシーが足りなさすぎますよ。でりかしー」


 もーもーと俺の脇腹にへなへなパンチを入れてくるアカリ。


 こちょばしいだけでまったくダメージになっていないどころか、癒し効果がついてる気までしてくる柔らかさだ。


「大事な、それはそれは大事な話ですが今はおいといて」


 ひとしきりパンチして満足したのか、アカリはそう言うとどこか恥ずかし気にローブの襟元を正した。


「対等に誰かとおしゃべりするなんて私初めてで。こんなこと言うと失礼かもしれないですけど、カケルさんが年上とか全然思えないっていうか、なんか友達っていうか、本当の仲間ってこんな感じなのかなって」


 『ユニークジョブ』持ちは、それだけで孤独だ。


 社会に馴染めるような生き物だったら、今頃サラリーマンとしてぶいぶい言わせてるっての。


 そっちの方がよっぽど生きやすいじゃないか。いちいち命張る必要もないんだぜ?


 でも、それが向いてないやつだって世の中にはいる。


 そして、その中で一等我が強かったやつら。


 世界を侵食するほどに、他人の意見なんてどうやったって聞けないくらいに意志がガンギマリだった俺たち22人……今ではもう少し増えたが、そんな人間だけが『ユニークジョブ』を持っているのだ。


 とびっきりの異物として生まれてきてしまったからこそ、誰とも真の意味で分かり合うことはできない。


 それはたとえ『ユニークジョブ』同士でもだ。


 俺とレンですら境遇が似ているだけで、傷のなめ合いの関係性が精一杯だった。


 それはある意味で対等ではあったけれど、そこに上下がなかったからそうなっただけで、本当の意味で認め合えたパートナーだったかと言われれば俺には自信がない。


 むしろ、そこで断言できるような関係だったなら、今俺の横にいるのはアカリではなくレンだったはずだから、そうではなかったということだろう。


 アカリだって『ユニークジョブ』に覚醒したのは後天的とはいえ、その資格者であったことは間違いない。


 出会って2日ぽっちの相手に聞くことではないから黙っているが、アカリにも相応の、昨日聞いたエピソードとタメをはるような不遇な過去があるのだろう。


 そうでもなければ、中学を卒業したばかりの女子が腕一本で冒険者になろうとなどするものか。


 しかも、自分の腕っぷしでどうにかできるジョブでもなく、ヒーラーという自分一人ではどうやっても立ちいかない役割で。


 そこに、どれだけの覚悟と、そうせざるを得ないだけの理由があったのだろうか。


「アカリ……」


「彼女たちも、すごいいい人たちだったんですけど、私が年下だったからでしょうか。それとも、新参だったからでしょうか。私とふれあうときに、どこか対等ではなく下に見られていた気がしていました」


「まぁ、人間どうやったって色眼鏡で見るのはやめられないからな」


「はい……だから、今までずっと諦めてきたんです。私は幸い年上の人には可愛がられるタイプですし、手に職持ってるので、これ以上は望みすぎなのかなって」


 「身長はもうちょっと伸びてほしいですけど」、アカリはそう言ってかかとを持ち上げ背伸びしてみせる。


 そのかんばせにはあの薄い微笑みが浮かべられている。


 あの愛想笑いの最上位みたいな笑い方はそうやってできたんだ……。


 数多の絶望と、満足できるだけの境遇と、それ以上の自分の欲望と。


 すべてがない交ぜになって、諦念深く世界に対してフラットに、これ以上傷つかないように、何にも期待していないような笑いを浮かべるようになってしまったのだ。


「でも、それだけじゃ満足できなくなっちゃったんですよ」


 そんな諦めが、脱ぎ捨てられる。


 まるで蝶の羽化だった。グロテスクで神秘的な、明けの明星。


 蛹のように硬く自分だけの世界に閉じこもっていたアカリの笑みが変質していく。


「私は本当は欲深くて、可愛がられても、人より上に立ってても、そんなことじゃ満たされないんです。そんな、で評価されるような、安い女じゃない」


 獰猛に、すべてを喰らい尽くさんとする獅子の顔だ。


 その猛々しい笑みを見て小動物などと呼ぶことは誰にもできまい。


「私の目の前で死ぬなんて、誰に許可を取れば許されると思ったのでしょうか。私の前で傷ついたままでいるなど、それが神罰だろうと否定します」


 そこにいるのは、体は小さくとも覇者たるオーラをまき散らす一角ひとかどの王であった。


「そうです。あの時、目の前で彼女たちがたおれた時に一度得心していたはずでした。私は、誰かが苦しんでいるのを見逃すことがどうやったってできない。それが相手にとって救いになるのかどうかなんて、どうでもよかったんです」


 アカリの眼光は、鋭くまっすぐにダンジョンの暗闇の奥へと注がれている。


「ただ、私が救いたいんだから、救われていればいいんです」


 アカリの急変は、ただ俺という他の『ユニークジョブ』持ちとコミュニケーションを取っただけで起こったわけではない。


「感謝でも怨嗟でも、好きなものを返せばいい。そんなものに、興味なんかない。私に関わる暇があるなら、黙ってそのまま元の生活に戻ればいい」


 そんなものはきっかけにすぎない。


「私は、花園灯ハナゾノアカリは、『聖女』は苦痛を認めない」


 呼んでいるのだ。ダンジョンが、運命が、アカリのことを!


「グゥルウルルルルルルルルッ!」


「そう、決めてたんです。またこの状況に陥るまで思い出せないなんて、ちょっと平和ボケしすぎていましたかね」


 アカリの覚悟に相対するように、闇の薄衣を纏った影が段々と近づいてくる。


 生半可じゃないプレッシャー。


 間違いなく異変に関わるナニカだろう。こんな浅層で出くわすことになるとは……。


 俺の警戒など意に関するものかと、その巨大な影は薄暗闇からひたりひたりと現れ出でる。


 そいつは、俺の身長の倍以上の大きさを誇る、悠然とした表情の双頭の黒豹であった。


 俺とアカリは、同時に杖を掲げ戦闘態勢に入る。


「……先日は大変お世話になりました。あの時のお礼、存分にさせていただきます」


 その宣言を聞いて、黒豹は一つあくびをしてのけた。


 まるでアカリの言葉をばかにするように。

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