そして『聖女』に至る

 いえ、今のは忘れてください。


 ちょっとこぼれちゃっただけで、私は、大丈夫なので。


 そう! 


 彼女たちと冒険をしていたのは、実際には3か月ほどでした。


 仲間に引き入れてもらって、最初は彼女たちが縄張りとしていた「新宿御苑ダンジョン」の一角で連携を練習することになりました。


 とは言っても、3人は小さい頃からずっと一緒にいたわけで、今さら変えるところはありません。


 私が彼女たちに合わせることができるようになれば、それでOKなのです。


 そこからは毎日のようにダンジョンに潜っていました。


 彼女たちの戦い方はオーソドックスなそれでしたが、戦闘中の声かけが少ないことが特徴でした。


 きっと心の底からお互いが何をするかをわかり合っているのでしょう。


 おかげで後から入った私は、彼女たちの動きが急に変わったりすると、あたふたしてしまって、支援魔法の管理を失敗したりしていました。


 その度に彼女たちは笑って許してくれるのですが、なんだか本物の仲間に入りきれていない気がして、頬を膨らませて拗ねていたことを懐かしく思います。


 結局、私たちはパーティメンバーではありましたが、それより上の関係に進むことはできませんでした。


 仲間に入れてもらったことは嬉しく思いますが、それでも命を預け合う関係となった時に、彼女たちは私のことを見捨てたのですから。


 ええ、私は捨てられました。


 あの異変の中、自分たちの命を守ることに精一杯になった彼女たちは、私を囮にすることで生き永らえようとしました。


 そのことを責めるつもりはありません。


 あの時、私がお荷物になっていたのは本当のことですから。


 彼女たちにとって苦渋の決断だったことも、よくわかっています。


 人を簡単に見捨てられるような人間だったなら、彼女たちがあんなに慕われることはなかったでしょう。


 歯を食いしばって、声を出せば未練が残るからと、何も口に出せずに後ろを振り向いた彼女たちの顔を見て、私は少し救われた気になったのですから。


 でも、こうも思います。


 あの時、私を信じて声をかけてくれていたのならば、きっと今も貴女あなたたちと冒険を続けていられたのだろうな、と。


 ……わかりません。


 もしもをどれだけ想っても、起きてしまったことを変えることはできません。


 私の『聖女』の力は、ある程度のやり直しを約束してくれます。


 それでも、決定的な別れを否定するほどの力はありません。


 私にできるのは、そんな終わり方は嫌だと、駄々をこねることだけです。


 死の淵にある方を呼び戻すことはできても、川を渡った人に手を伸ばすことはできません。


 そして、あの時。


 彼女たち3人は、確かにその川を渡りかけていたのです。


 幸いと言っていいのか、異変の原因とおぼしき魔物は激しく動くものに反応する性質を持っていました。


 彼女たちに見捨てられた絶望から、一歩も動くことが出来なかったことが、結果的に私の運命を変えました。


 その強力な魔物は、私を無視して3人の方に襲い掛かったのです。


 彼女たちはどうにか応戦していましたが、完全に連携が崩れて、いつ殺されてもおかしくない状況でした。


 私は、それをただ眺めているしかなかった。


 そのうち、前衛の片翼を担っていた方が、相手の攻撃を受け損ねました。


 それが決め手となったのでしょう。彼女は、次の瞬間には体中から血を噴き出して、ずたずたにされていました。


 その時、私の手が伸びたのは、奇跡だったのかもしれません。


 見捨てられて囮にされて、でも、私が彼女たちを見限ったわけではなかった。


 彼女たちは、大事な人たちのままだった。


 それが、奇跡を呼び寄せたのでしょう。


 私には治す力がありました。


 今にも死んでしまいそうなけがを負った彼女を、癒すことが出来ました。


 少し前までの私なら、できなかったはずのことが、その時は出来ました。


 何故だろう、と不思議には思いましたが、でも、そういうものだしな、という納得もありました。


 私の前に、けが人が存在することがあり得ないという確信だけがありました。


 きっと、その時に私は『聖女』として覚醒したのでしょう。


 でも、それがかえって彼女たちにとっての苦しみを長引かせることになりました。


 彼女たちがけがをする度に、私はそれを癒しました。


 だって、死んでほしくないのです。私に出来ることはそれだけでした。


 彼女たちが幾度となく傷つき、癒され、また立ち上がり、痛めつけられ、回復していくのを、ずっと見ていました。


 また、傷つき、癒され、立ち上がり、痛めつけられ、回復していく。


 そして、傷つき、癒され、立ち上がり、痛めつけられ、回復していく。


 気づいたときには、3人全員が横たわって起き上がらなくなっていました。


 けがが治っていないのかなと思って、治癒魔法をかけても、彼女たちは何の反応もしてくれません。


 私の動きが緩慢すぎたのか、例の魔物は満足に動くものがなくなったと思って、どこかに行ってしまいました。


 そこには、私一人しか立っていませんでした。


「ねぇ、なんで起きてくれないんですか? 傷は全部治しましたよ。魔物もどこか行っちゃったみたいですし、この異変を伝えるためにも、ギルドに一度帰らないと」


 私は、現実を認識できていなかったんでしょうね。


 いつもの調子で彼女たちに話しかけたんです。


 決定的にすべてが歪んだのは、その瞬間でした。


「もう頑張れないよ。……アカリには、わかんないだろうね」


 その言葉が、彼女たちから返ってきた最後の反応でした。


 やっぱり彼女たちの身体には傷がなくて。


 でも、その心は壊れきってしまっていたのです。




 まぁ、冒険者にとってはよくあることなのではないですか?


 異変の後、新宿ギルドに戻った私は、嫌というほど、そんな話を聞かされました。


 「君は悪くないんだ」「誰でも通る道さ」「彼女たちでも逃れられなかった」「君が無事でよかった」「想定出来っこない」「出来ることは全部やったんだろ?」「甘く見すぎたな」「五体満足なのに植物状態、か」「身相応のことをしなくちゃな」


「パーティ壊滅なんてかわいそうに」


「で、君は次にどのパーティに入るんだい? もしよかったら、うちとかどう?」


 ……何も知らない癖に、言葉だけはいくらでも湧いて出てくるのですから。


 ありふれた出来事だったのでしょう。


 私はそう思うことにしました。


 そう思っていないと、きっと、心無い言葉で喚き散らしてしまう。


 ただ無知なだけな彼らに、無恥なだけな彼らに愛想笑いを残して、私は異変の解決を求めました。


 私にできることは、それくらいしかなかったからです。


 『聖女』となった私でも、彼女たちを治すことはできませんでした。


 私は傷つき病んだ体を癒し、心の傷を埋めることはできます。


 でも、壊れきってしまったものを直すことはできません。


 これは、成り立てだから力が足りないとかいうことではなく、そういう風にしか力を使えないという制約のようなものです。


 強大な力だからこそ、使える範囲が最初から定められている。


 神様というのはどうしてそんなに残酷なのでしょうか。


 救いを求めるすべての人に手を差し伸べたいだけなのに、なんの恨みがあってそんなことをするのでしょうか。


 私にはわかりません。


 だから、いつか証明してみせます。


 神様の定義する救いなんて、ちっぽけで間違っているのだと。


 それこそが、私が『聖女』になった理由でしょうから。

 




「肝心の異変の話をする前に、長々と身の上話をしてしまいましたね。あまり面白くない話で、すいません」


「アカリ、お前は……」


「同情ならいりません。私は私にできるだけのことをしましたし、きっとそれは、私以外の人たちも同じなんです。みんながみんな、自分のせいいっぱいで生きている」


 そう告げるアカリの顔はやはり、どこか超然として、あの小動物のような愛くるしい明るさは垣間見えない。


 それが俺には、息苦しかった。


「ただ、それが、嚙み合うかというのとは別問題なだけです。誰かにとっての救いは、誰かにとっての呪いなのです」


 「私はぶきっちょなので、もう愛想笑いして、適当な相槌を打つくらいしかできません」とつぶやく彼女は、自分が今どんな顔をしているかわかっているのだろうか?


 大丈夫と彼女は言い張るが、胸の内に傷を抱えて、無理やり笑うことが大丈夫なはずないだろう。


 そんな透明な作り笑いを浮かべて、『聖女』という拠り所に縋って、それが健常な人間のふるまいだと、本気で信じているのか?


「アカリ、よく聞け」


 んなわけねぇだろ。


 この世で一番つれぇことは、笑えないことだ。


 望んだものが手に入らないことでも、大事なものを失うことでもない。


 心の底から、誰かのせいで、何かのせいで、笑うことは罪深いことだって、勘違いしちまうことだ。


 てめぇが笑えねぇで、誰を笑わせようっていうんだ?


 苦しんでる人間に手を差し伸べられなきゃいけないほど、誰も安い生き方しちゃいねぇよ。


 胸張って笑ってるやつが大丈夫って言うから、それを信じてみんな立ち上がれるんだろうが。


 大丈夫って言い張ってるだけで大丈夫になったら、医者もヒーラーもいらねぇよ。


「俺は同情なんてしない。そもそも諦めてるやつの考えてることなんて、俺にはわからないからな」


「諦め、なんていません! でも、本当に私に出来ることはなくて!」


「いーや諦めてるね。自分で自分の限界を決めちまってる。どこの誰が、お前には無理だと言ってやがるんだ。神か? 仏か? それとも自分自身か?」 


 だから、立ち上がり方を忘れちまったなら俺が教えてやる。


 俺が、お前の大丈夫になってやる。


「そんなくだらない枷、笑い飛ばしてみせろよ!! 天に唾吐け、理を捻じ曲げろ! お前が成すことが正しいのだと、世に示して見せろ! いつか神に証明するだぁ? 今がその時だろうが! 何を腑抜けたこと言ってやがるんだ! お前がやらずに誰がやるんだよ!」


 俺は、『愚者』だ。


 表面だけを見て、ああこいつは面白そうだ、一緒にやっていけそうだ、なんて。


 どれだけ頭が空っぽならそう思えるのだろうか。


 んなわけがなかった。


 かつての『はじまりの冒険者』たちの中に、絶望を味わったことのないやつは一人もいなかった。


 誰もが社会との軋轢に苦しんで、家庭で、学校で、職場で、はみ出し者としてすら存在を許されていなかった。


 俺たちが許されたのは、ダンジョンの中にいる時だけだった。


 冒険者としてしか、俺たちは誰かに省みられることはなかった。


 それは、に『聖女』になったアカリも同じだったのだ。


「常識なんかに縛られてちゃ、どこにだって行けやしねぇ。やろうと思った時にゃ、もうやってるくらいでちょうどいい。身勝手に振舞って、信じられないくらいの無茶をして、それでも結果は後からついてくる。それでこそ『ユニークジョブ』の名を冠するに相応しい」


 アカリは今、色々なことが起きて、混乱しているのだろう。


 まだたった17歳の女の子なのだ。


 信頼していた仲間に裏切られ、そして自分だけが助かって、心無い言葉を受け続け、2人目の『聖女』というイレギュラーに祭り上げられる。


 そんな出来事が起きて、たった4日なのだ。


 表面上でも普通に振舞えるだけ、称賛に値する。


「どんだけ無責任だろうが、お前が笑って、そのパーティに頑張れ私がついてる、って言ってやれてれば、それだけで全部うまくいってたんだ」


 俺の言葉だって、無責任に好き勝手言ってるように聞こえて、きついかもしれない。


 それでも。


「選べよ、アカリ」


 それでも、俺たちはにしか在れないんだ。


 悩むのはいい、自分を見失いかけることもあるだろう。


「諦念の果てに、ちっぽけな仇討ちをして満足するか」


 それでも、その矜持が折れちまったら、俺たちは誰でもない自分自身であることを誇れなくなる。


 に成り下がっちまう。


「お前の『仲間』を助けるために、今度こそ前を向いて笑う覚悟を決めるか」


 二つに一つだ。


 笑えよアカリ。


 笑ってるやつが、この世で一番強ぇやつなんだ。


 もっとわがままになっていいんだ。


「今ここで、選べ。ここがお前の分水嶺だ」


 安きに流れるか、気高く険しい道を行くか。


 したいことをすればいい。


 覚悟とは、負けないという意志だ。


「一人で立ち向かうのが怖いって言うなら」


 それに、一人で決める必要もない。


 今は、俺がパーティメンバーなのだから。


「俺が隣にいてやるから」


 頼りにならない、魔法を使うことしか能のない男だが。


 それでも、同類として、賑やかしくらいにはなれるだろう。


「笑えよ」


 無邪気に笑う君が見たいから。


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