青い果実

「さて、一応だが決闘だ。名乗りが必要じゃないか?」


「お得意の杖魔法もなしで、随分と余裕だな『魔法使い』様よお!」


 髭面の男は今にも飛び出しそうな低姿勢でステップを踏み体を揺すっている。


 ウォーミングアップも兼ねているのだろうか。戦闘前の動きとしては激しすぎるくらいに見える。


 その勢いは流石、前衛職としてモンスターの目の前に立ち続けてきた貫禄がある。


 互いに準備は整っているのだ。


 きっかけがあれば、今すぐにでも戦いが始まるだろう。だが、それでは些か文明人として野蛮すぎる。


 あいさつは実際大事。古事記にもそう書いてある。


「まぁまぁ、そういきり立つな。礼儀みたいなもんだ」


「ちっ。『剣闘』のマルだ。どうせ、お前からしたら覚えるに値しないとでも考えてるんだろうがな。気に食わない奴だぜ」


「ご存じ、『魔法使い』のカケルだ。だが、俺はそこまで傲慢じゃない。まったく、どんな印象を抱かれてるんだ?」


 壁際に逃げた冒険者たちに目をやれば、全員が俺から目を逸らした。


 ……流石に傷つくかなー、その対応は。


 そんなに横柄な態度で振舞ったことあったか? そもそも古参組とか有望株としか話さないからよくわからないなぁ。


 印象定まるほど話したことないし、偏見じゃないそれ?


 ま、さっき見せた魔法にビビってるとかはありえるな。


 ギルドでもめ事を起こすってだけで自信満々の上級冒険者か、考えなしの馬鹿だし。一般の冒険者からしたら、どちらも恐ろしいってのはなんとなくわかる。


 その印象をここで塗り替えて、イメージアップしなきゃな。


 こいつを華麗に下せば、評判も良くなるに違いない!


「よし、ひどい偏見を受けた気がするが、今はこちらに集中しよう」


 男――『剣闘』のマルの髭面に視線を戻す。向こうもこちらの顔を見ている。視線が、絡み合った。


 対人戦のコツは相手の見ているものを把握すること、そして相手の考えを読むこと。


 だから、冒険者と戦うときは、相手の目を見るのが常道になる。


 「お見合い」だ。


 対人慣れした冒険者同士の戦いがしばしば「お見合い」と揶揄やゆされるのは、こうやって互いに見つめあって相手の出方をうかがうところから来ている。


 マルとの距離は5mほど。ギルドラウンジはフロア奥がダンジョンに近く有利だ。


 たかが5m、されど5m。このたった5mの『減衰距離』の違いのために勝敗が決することもある。


 そもそも冒険者にとってはまばたきのうちに詰められる程度の間合いだしな。


 目に見えるものよりも、重視すべきことは多い。


「じゃあ、行くぞ」


 俺のつぶやきと同時、最初に仕掛けたのはマルの方だった。


 俺の方は離れたここからでも攻撃できる。


 それに対して、マルは見た目通り接近しないと何もできないのだから、いつでも飛び出せるように用意していたのだろう。


 非常に妥当な選択だ。だが、リスクがある選択に対して、想像以上に判断が早い。


 貴重な自身の有利な5mを投げ捨て、俺に急速に接近してくる。


 俺が焦って撃った魔法を身体で受けて、カウンターで一発KOってところか。


 肉を切らせて骨を断つ速攻。悪くない作戦だ。


 その潔さや良し。


 だが、それが通用するかどうかは別の問題だ。

 

「『風の障壁ウィンドベール』」


 指輪に埋め込まれた輝石が翠緑すいりょくに輝く。


 こちらは『魔法使い』。魔法を使うやつらマジックユーザーのその頂点。


 不条理を覆してこその勇名だ。


「ぐっ、短縮詠唱でこの強度の壁かよ!」


 


 詠唱を予測していたのか、マルは踵を床に擦り付け減速。


 俺の張った『風の障壁ウィンドベール』の位置にアタリをつけ、右足の震脚で慣性を殺し切ると、左拳で当て身を繰り出した。


 突風の勢いに阻まれこちらに届くことはなかったが、大気の壁を霧散させる程度の威力はあった。


 なんの対処もせずあのまま『風の障壁ウィンドベール』に身体ごと突っ込んでくれれば楽だったのに。


 乱流に体勢を崩されていれば、俺のテレフォンパンチでも簡単に餌食にできただろうになぁ。


 よく見切ったものだ。


 危険の直感的な感知。


 微細な風の流れからこちらの魔法の発動範囲を見切る目。


 そして自身の突進速度を全てパンチ力に変えた格闘技術。


 どれをとっても一線級だ。


 ああ、いい。実に、いい。


 命の懸からない戦いというのは、純粋に戦いを楽しむことができる。


 余計なことを考えなくていい。ただ、相手を叩きのめせばいい。

 

 口の端が吊り上がるのを感じる。


 冷静に戦局を見定めるのとは、別の自分がわらう。


 さぁ、心の底から楽しもう。そう簡単に潰れてくれるなよ?


「『風の祝福ウィンドブレス』」


 風の付与魔法エンチャントで身体強化をかける。


 鎌鼬の加護を得るこの魔法は、他の付与魔法エンチャントと比べても非常に汎用性が高く重宝する。


 動きが軽やかになるだけではなく、その風自体が敵対者に牙を剝くのだ。


 せっかくこちらから拳での喧嘩の仕方を聞いたのだから、魔法で全てを片付けるのは非礼にもほどがある。


 次は、拳と拳のぶつかり合いの時間だ。


 まぁ、俺の拳に当たったら鎌鼬で切り傷まみれになるけど。


「それくらいは承知の上だよな」


 マルが『風の障壁ウィンドベール』を破った際の硬直から脱し、もう一歩踏み込んでくる。


 その動きを見て、前に出していた右半身を一気に後ろに引き絞る。そして、風によって補助されたその動きの反動で左手を払うように高速で繰り出す。


 その左手は、マルが左拳と入れ替わりに打ち出した右拳のジャブを体の外側へと弾き飛ばした。


「今のは少し危なかったな」


「おいおい、今のに追いつくのかよ!?」


 マルが驚くのも少しは分かるな。


 ボクサーのジャブの速度は一般に時速40kmと言われている。


 それはこの拳が届く距離において、0.1秒あれば相手の顔面を叩ける速度だ。


 だが、それは相手が普通の人間だった場合にしか成立しない。


 一瞬だけの拳と拳の接触だったが、マルの右手から鮮血が飛び散った。


 鎌鼬の特性は痛みも感じさせずに切り裂くその速度。


 いかにプロボクサー顔負けのジャブを放たれようと、『風の祝福ウィンドブレス』によって風の加護を得た俺の動きは、それより速い。


「まだまだこんなもんじゃない。そうだろ?」


 この先を見たい。もっとマルが活躍するところを見たい。誰もが驚くくらいにその強さを見せつけてほしい。


 期待感が後から後から込み上げてくる。


 あぁ、そして。


 


 高揚のままに無詠唱で、体に纏った風の魔力をそのまま攻撃魔法ウィンドヴァレットへと転化して放出する。


 幾つもの小さな颶風ぐふうが不可視の弾丸となって、俺の指揮に従ってマルへと襲い掛かる。


 1つ1つが当たれば風穴を開けかねない威力のこの弾丸。


 マルはさばくことができるだろうか。……捌ききれるかな。大丈夫かな。


「お、武器を抜いたな」


「畜生! んなもん素手でどうにかなるかよ。今のは絶対っ! 上級魔法だろーが!」


 やはり腐っても上級冒険者。


 俺が魔力を放出し弾丸を形成した僅かな時間で、生身ではどうにもならないと悟ったらしい。


 背中に背負っていた手持ち盾バックラーを抜きざまに、腰をかがめて丸まりながら袈裟に振り下ろし、ほとんどの弾丸を防いでみせた。


 体を丸めながらバックラーの影に収まろうとする防御術は、『颶風の弾丸ウィンドバレット』のような散弾系の攻撃を受けるときのセオリーだ。


 攻撃に対して相対面積を小さくし、盾を動かすことで複数の射線をカバーする。


 まさに教本通り!


 危機に練習通りの動きをするには、咄嗟に出るくらい体に染みつかせなければならない。マルの努力が容易に思い浮かぶいい防御だった。


 とは言っても、全てを防げたわけではないが、十分すぎるほどの及第点だ。


 あー、楽しいなぁおい! 最近はダンジョン攻略もルーチン化しちまってよぉ。刺激的なこととか全然なくて。


 体がなまってなまってなまってなまって仕方なかったんだよなぁ。


 もっと俺を楽しませてくれよ? 活きのいいマルおもちゃ君っ♡


 『颶風の弾丸ウィンドバレット』で受けた傷が痛むのか、マルが身体をブルっと震わせた。

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