第一章『聖女』と『魔法使い』
池袋サンシャインダンジョン前通り
クソみたいな暑さにもかかわらず、今日も池袋のサンシャインダンジョン前通りは冒険者たちの猥雑な活気で満ち溢れていた。
俺のローブ姿も朝の通勤電車ではまだ目立つが、ここまで来れば風景に溶け込む。
「あー、お前さんたちの安い命よりかは安い、お買い得なポーションはいかがー」
「矛盾ってのはな、矛が盾より優れてるから、
「過激派に聞かれたらしばかれるぞお前」
「こんなん向こうの乙女ロードの婦女子に聞けば一発で教えてくれるぜ? 前にある方が攻めで強えーに決まってるだろ!」
「おい、受け攻めをそんな軽率に語るな。それに、誰からの受け売りか知らないが多分、
ポーション屋台のおっちゃんのやる気のない客引き。
剣と盾のどっちが優秀か、口論するパフォーマンスを毎日やっている武器防具屋の仲良し♡店主たち。
明らかにこの通りの人口密度を上げている、タピオカミルクティー専門店の大行列。
見てくれに差はあれど、この通りに
池袋もかつてはガラの悪い若者たちの街だったが、今となってはガラの悪い冒険者の街だ。
大の大人が成り上がることを夢見てダンジョンに潜る時代。
その割にはタピオカはいつまでも人気だが。
かくいう俺もダンジョン攻略をやめられなくなった立派なダンジョンジャンキー。
コンビを解消した今でもソロで潜り続けることをやめられない。
それはそれは立派な中毒者だ。
朝特有の低血圧気味な思考を回しつつ騒がしい通りを少し歩くと、左手にギルドの妙ちくりんな建物が見えてきた。
隣のユニクロでは、最近流行りの『ダンジョン・ヒーローズ』のコラボTシャツを大売出ししている。こんな朝から大声で宣伝する女性店員もご苦労様だ。
「はい、サンマ一本お待ち!」
「ありがとさん」
ギルドの下の屋台で『冥海サンマ』の串焼きを買って朝飯にぱくつきながら、ギルドの入り口横のエスカレーターに足をかける。
あ~、クーラーの冷風が俺を癒やしてくれる~。
夏の外出は、この一瞬を味わうためにあるのかもしれない。慣れてしまえば肌寒いとか文句を言うけど、そんなことを差し置いてもこの冷たさの甘美さよ。
その日一杯目のエールがバカほど美味いのと同じ理屈だな。
屋台もビルの中にあればもっと快適なのにな。
夏でも冬でも旨いサンマを食べられるのは嬉しいが、待ち時間の暑さも寒さも勘弁だ。
魔法を使えば自分の周りの気温くらいはどうにかなるが……いちいち発動するのもかったるい。
ダンジョンで採れたてをその場で焼いた方がまだ手間が少ないような気までする。
「そういえば、普通に食べてるけどこいつも大概おかしいよな」
手元の食べかけの串を見るが、ぱっと見普通のサンマに見える。いや、ダンジョン産なだけで味も普通のサンマなんだが。
『
雑草みたいに生えているから最初に発見したときは植物だと思い込んでいた。しかし、研究者によれば体組織や味などなにもかもがサンマそのものである。
つまるところ、こいつはダンジョンに生えているサンマである、という結論が出たのである。
ふざけた話だが、事実は小説よりも奇なりというやつだろう。
そんなそこらへんに生えているサンマがなぜ冥海などという大層な名前を付けてもらったかというと、これもまた珍妙な話になる。
ある時ダンジョンを探索していた冒険者が、ダンジョン内をふよふよと漂う細長い物体の群れを発見した。
それを
よくよく観察してみれば、そこにはサンマが生えていた、と。
この逸話は酔っ払いの作り話だったと言われているが、ダンジョンという
なので、それを聞いたギルド酒場の看板娘がその話にあやかって『冥海サンマ』という大層な名前をつけたのだ。
そんなわけで『冥海サンマ』はこの池袋サンシャインダンジョン前通りにおいて、ある種の名物となっている。
エスカレーターで2階に上がった先には、そのギルド酒場が開いている。
物語の中に出てくるようなファンタジーな酒場をイメージしたというここは、冒険者たちに非常に受けがいい。
ここで酒を飲むために冒険者になったというやつまでいるくらいだ。
まぁ、実際ここで攻略終わりに飲むエールはめちゃくちゃ美味い。
雰囲気と合わさって、自分が最高に冒険者なんだという実感を得られる。
正直『冥海サンマ』を食べてエールが一杯欲しくなったが、朝から酒というのは一応の社会人としては避けた方がいいだろう。匂いもつくし。
だから、そう、さすがに朝から飲んでるようなろくでなしは……いるわけないと思ったんだけどな。
「よぉ、カケル!」
「ああ、朝っぱらから酒とは、元気そうだなケン」
よりによってそこにいたのは我が親友であるケンだった。今日もスキンヘッドがテカリと眩しい。
彼は確かに女に弱い男ではあるが、それ以外は比較的普通の冒険者で、朝から飲んだくれるほどのクズではない……はずだ。
普段の言動だけを見ていると、酒場に朝から通い詰めていても違和感がない男なんだよな。いかにも盗賊の親分やってますみたいな見た目してるし。
手招きされたから、近くに寄る。
どうやらもう2杯目らしく、思ったよりも酒の匂いがきつい。ダンジョンに入る前に、モンスターを呼び込む強い匂いをあまり体につけたくはない。
つけたくないのだが、酔っ払い予備軍に言ったところで聞いてはくれないだろう。
「それがよぉ! はぁ、聞いてくれよぉカケルぅ。今、上のラウンジにめっちゃ可愛い
「ああ、いつも通りだな。さして特別なこともしていない。強いて言うなら、それで上手くいったことが今までに何回あったか、ということだけが問題だな?」
問いかけるように、首を
「茶化すんじゃねぇよ! 両手の指を超えちゃいねぇが、成功したのは片手では数えられん!」
6回だけだと素直に言えばいいのに。
その先に1回も進んでいないんだから、そこで見栄を張ったって意味なかろう。
「とにかくだ、声をかけたまではよかった。その嬢ちゃんもめっちゃいい
なんだと?
あまりに男臭い風情の、軽薄な態度と相まって初見の女子からの印象最悪なこの男に、まったく怯えなかったと?
なんて肝の据わった娘だろうか。
「言っとくけど、カケルの思ってることは大体わかるからな。お前ぇは冷静なふりして顔に出やすい」
「いや、少し驚いただけだ。それで? 悪人面を気にしないその気立てのいい娘がどうしたんだ」
「ちっ、あとで覚えとけよカケル」
ケンは苛立ちを飲み込むようにジョッキの残りを喉に流し込むと、一気に事の次第を話し始めた。
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