アーシェの出会い編

女神様に出会ったのはいいが、勇者なんて嫌です

 そう――あれは二か月前。梅雨が始まり、初夏の訪れた六月。俺はあの日、いつも通りに学校に向かっていた時だった。

 ピーン―ポーン……とドアチャイムが鳴り、コンビニの自動ドアを潜り抜ける。ぶわっと湿気が全身に伝わり、コンビニのクーラーで冷えた体がその湿気によって一気に侵されていた。


「あぁ……ジメジメする」


 なんでこんなジメジメするんだろう……これさえなけえれば、清々しい初夏を迎えられるのに……と思いながら、先ほどコンビニで買ったテイクアウトアイスコーヒーを啜った。

 うん、今日もコーヒーの香りがいい。そしてインスタントコーヒーよりもキレの良い味わいがある。一時間目の授業があるときは、必ずコーヒーを飲まなければ始まらない。朝の楽しみを迎えながら、俺は近くにある新幹線の駅へ向かった。乗り遅れたら遅刻確定だ……少し早歩きしよう。


 俺は高校生にも思える外観だが、一応県外に通う大学一年生だ。少し肉付きのある体格で、少し茶色がかった短い黒い髪。女の子のように丸みのある瞳……このせいで女装してもバレない、と言う事実を妹によって発見した。


 ――今度、女装して一緒にお出かけしよう――と逝かれた誘いは断ったが。


 青いパーカーとジーンズに身を纏い、背中には四十リットル入るリュックサックを背負っている。リュックサックの中身は、全部大学で使う教科書だ。勿論ロッカーなんて無いので全部持ち運びだ。

 ものすごく重い、これは十キロあるのでは……?


「はぁ……はぁ……、くそぉ……七時十六分……あと七分しかない!」


 コーヒーに浸ってしまったせいで、腕時計を見たらあと七分しかないという事に気づいた俺はたたたッと新幹線駅へ駆け抜ける。間に合うのか……そう思っていた時だった。

 無我夢中で慌てて駅の方へ向かったから、前方なんてあんまり見ていなかった。そのせいで、俺は頭上から隕石のように落ちている少女の存在に気付かなかった。


「ひょわっ!?」


 その悲鳴と共に、俺は空から落ちる少女の存在に気づいた。衝突する直前――俺は少女と視線が合う。第一印象――とっても可愛かった……。こんな子が空から落ちてくるなんて……ハーレム主人公と錯覚している人ならどんだけ嬉しい事だろう(軽くディスった)。

 その少女は、まるで白銀の雪景色を連想させるような背中まで伸びた銀色の長い髪、宝石のように煌めいた紺青の丸い瞳。すらっとした少し細めのルックスだが、雪に触れると溶けてしまいそうな儚く華奢な体つきだった。

 まあ――そんなこんなで、俺と女神様は隕石の衝突みたいに額とキスしました――めでたしめでたし……。


「勝手に終わるなぁああああああああああああああああああああッ!!!!」


 その叫び声と共に、ドッゴーンッ――と隕石が落ちたような衝突音が響く。そのまま少女と一緒に吹き飛ばされて、俺は気を失った――






「――ぶですか?」


 なにか……聞こえる。それに……お母さんに抱かれたような、温かい抱擁感が伝わってくる……。温かい……このまま寝ていたいなぁ……。


「あの……大丈夫ですか……?」


 ううんっ……と呻き声を上げながら、意識を取り戻した。瞼を開くと、目の前に先ほどお互いに額をぶつけた少女の姿が見えた。……顔が近い……なんで真上から、俺の顔を……見ているんだ?

 それに、なんか枕の上で寝ているような柔らかい感触……。これは一体、何だ……? 

 手を伸ばしてこのフニフニした感触が何なのか、確認するために触った。

 なんだろう……フニフニしているけど、何処か硬い。それに分かれ道みたいな分岐点の中心に触れて――


「ふにゃんっ……!?」


 少女は猫のような発情したような声を上げる。あれ……拙いところを――って、これって少女に膝枕されているの?


「――――――のわああああああああああああああああああああああああああッ!?」


 こんな可愛い少女に膝枕された事に驚きの悲鳴を上げてがばっと起き上がった。その瞬間、ベンチの上だった事に気づいた。気づいた時にはもう遅し――ベンチから転がり落ちて顔面……鼻から殴打した。


「むぐっ!?」


「あ、ああっ! 大丈夫ですか!」


 うぅ、鼻が痛い……。そして、その痛みが脳に達して頭痛を引き起こしている。なんというダブルパンチな痛みに襲われなきゃいけないんだろう。


「あぁ……大丈夫」


 鼻を押さえると、ぬるっとした何かが触れる。それは血だった。うわぁ……鼻血かよ。最悪じゃん。


「あっ、鼻血が……」


 リュックからティッシュを……一体どこいった?


「はい、これ使ってください!」


 少女はポケットから白いハンカチを取り出すと、俺にそれを差し出した。


「えっ……、でも……これは君の――」


 ハンカチじゃあ……と言おうとしたが、首を横に振りながら「えぇ」と言う。


「けど、まずは貴方の鼻血を止める事が先じゃなくって?」


「まあ、そうですけど……」


 いいから、と俺はハンカチを使う事を拒む言葉を無視して、少女は俺の鼻をハンカチで押さえた。白くて儚いハンカチが俺の鼻血で真っ赤に染まっていく。なんか、汚してすまねぇな――と内心で謝罪した。


「……あ、ありがとう」


 お礼を言って、俺は少女への視線を逸らす。こんな可愛い少女に鼻血を拭いてもらえるなんて、実際にこんなラノベみたいなシチュエーションをやられてみると……思った以上に恥ずかしい。誰も見ていないよな?

 誰か見ていないか……キョロキョロと周囲を見回す。大丈夫だ……今日は平日だから誰もいない。俺と彼女の二人っきりだ。


「どうかしました?」


 キョロキョロする俺の行動を眺めて、少女は心配そうに見ていた。


「あ……いや、何でもないです。あははっ……」


 笑ってごまかす。「そうですか」と言って、少女も俺の笑いに釣られるようにふふっと微笑んだ。


「それじゃ、俺は行きま――あれ? そういえば俺のリュックって、何処にあるか知りませんか?」


 キョロキョロとリュックを探すが見当たらない。目の前にいる少女なら、リュックの居所を知っているのかな? 


「ふふっ、あそこにありますよ」


 少女は微笑みながら、大きな桜の樹木の方へ指した。


「サンキュー! あぁ……結局サボりになっちまうのかよ……」


 大学に入った時にサボりなんて絶対しないって決めていたのに……。まあいっか……可愛い女の子に介抱された事だし、今日は何かついている日だなぁ……。なんて、ムフフとにやけながらリュックサックを取りに行き、背負った。


 ――――そして、透明な結界に閉じ込められた。


「……え? 何これ……、幻覚でも見ているのかな……?」


 ごしごしと目を擦る。幻覚なら、こんな結界なんて無いに決まっている。そうだ……結界と言う概念なんて無いんだ。ここは現実世界だ、ファンタジー世界じゃないんだ。そうだよ、これは現実に決まっている……!

 恐る恐る目を開ける。ほら、結界に閉じ込められているなんて――


「――あったわ。まだ結界があるんですけど……一体どういう事ですか?」


 目の前の少女に言う。もしかしたら……いや、絶対あり得ない……。だってこの世界はファンタジーじゃないんだよ、伝奇小説みたいなやつじゃないんだぞ。異界と現実が繋がっている世界じゃないんだよ、ここはッ!

 でも……これしかありえなかった。アニメ、ラノベ、漫画……それに浸っている俺は今の状況にすぐに把握できた。


 ――――この女、魔法が使えるのか!?


「ふふっ……、結界が見えているのですね。ごめんなさい、こんな手間でもしないと、あなたを連れていけないから」


 不気味に微笑みながら、結界越しに居る俺の顔を覗いた。


 ごくりと、固唾を飲む。一体何をするつもりなんだ……この女。


「では改めて――初めまして勇者さん。私は、アーシェ・アーガリア。アスタリア王国を授かる女神ですわ。単刀直入に言います、アスタリア王国を邪竜の魔の手から救ってください! 勇者様――!」


 少女――改めアーシェはワンピース型の羽衣の裾を摘んで一礼をする。

 俺は、神秘的な光景に吸い込まれるように彼女を見ていた。異世界を救う――その言葉を聞いた瞬間、鳥肌が立った。恐怖ではなく歓喜と言う気持ちの鳥肌が……。

 これは……ラッキーな展開だ。こんなラノベのようなシチュエーション……俺は待っていたんだ!


 心をウキウキさせて、女神の問いを俺は答えた――





「――――嫌です。勇者なんてやりたくありません」





「ありがとうござ…………え?」


 ありがとうございます――さあ行きましょう! アスタリア王国へ! と言おうとしたのか喋る前に女神様は口が固まってしまった。俺の否定的な答えに女神様は唖然とした表情で俺を眺めていた――


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