第2章 凍てつく心
「今日はお疲れ様ー!!みずほちゃん、今日はよく練習してきましたねー!」ピアノ教室の松崎美和はいつもより上手にテーマ曲が弾けたみずほの努力を過剰なほど労ってくれる。それはいつも美和は何かしら褒めてくれる。みずほはすっきり気分がよくなり、帰路につこうとしたけれど、明日、絵里ちゃんの家にまた来てとさっききたメールをみていたら、急に手作りクッキーが作り、明日は絵里ちゃんの家にもって行きたい気分になった。みずほはまっすぐに続く駅までの帰路を変えて材料を買い足すためにスーパーに向かった。スーパーの近くには交番とそこから50メートル先は伊予西条駅があった。みずほはスーパーに向かう途中で数人の人たちがチラシを配っていた。チラシを配る女はどこか悲壮感が漂わせながら、数少ない通りゆく人に必死にチラシを配っていた。みずほのようなまだ小学生にもその女性は藁にもすがるような気持ちでビラをくばるとみずほは少し戸惑いながらもチラシを受け取ると小学生の男の子が写っていた。それが昼間にテレビでみていた隣町の小学校の男子児童が誘拐された事件の男の子だということがすぐにわかった。
(テレビの事件の子か?)
「もし、なんでもいいの!!息子が、いや、この子に関する情報があったら教えて欲しいの」悲壮感が漂っている尚代の顔をみながら、みずほは少し緊張した顔で頷きながらビラを受け取った。みずほはビラを受け取ると母親らしき女性の顔はどこかやつれ、目の下にクマが出ていた。
「なんでもいいの!!息子のことで手がかりがあったら教えて欲しいの!!」尚代はみずほに掴みかかるようにすごい剣幕でいった。
「あっ、はい」みずほが遠慮がちにいうと尚代は我に返ったように両手をみずほから手を離した。
「あっ、ごめんなさい」尚代はそういうと後から来た人にも近寄っていきビラを配った。みずほはビラをみながらも、スーパーの中にはいっていった。
みずほはスーパーに入りクッキーの材料を買うと急に嬉しくて幸せな気持ちになり、意気揚々と家に戻った。家に戻り門を開けようとした時、隣の家から男が出てきて、家の中に入ろうとしたみずほと目があった。男は一瞬、凍りついたような顔をしたが、すぐに軽く会釈した。
「こんにちはー!」男はみずほをみて軽く会釈をした。
みずほはつられるように小さくお辞儀をした。
「今日は、いい天気だね。この家ね、ずっと空き家だったろうけれど、ここはおじちゃんの親戚の家だから、たまに会うことがあるかもしれないけれど、よろしくね」男は親しげな笑顔を浮かべてみずほにペコリとお辞儀をした。みずほは不自然なくらいいい人には見えない人相と気持ちが悪いほど親しげに話しかけてきて身をすくめるように後ずさりをしながら軽く会釈をするとみずほは少し顔を引きつらせながら家の門に入ると、男は一瞬、チラッとみずほをみたが、すぐに通りすぎた。
(何も聞いていないのに、ベラベラ喋るあのおっさん、こっわー!!)みずほ心の中で恐怖が芽生えながらも怖いものみたさで門の外をそっと覗くと、男も振り返ってみずほをみていて、思わず目があった。みずほは慌てて中に入り、家の鍵をかけた。
(怖いっ、怖すぎる。やばい奴だ。隣のおっさん、やっばい奴だ)
みずほは訳もなく駆け足で階段を登るとカーテン越しの隣の窓ガラスを眺めた。
(あの少年は隣のおっさんの連れ子かぁ。それにしても不気味だわ。変だわ。こんな変なのが隣にいるなんて怖すぎだわ)
窓が微かに空いていたが、誰の姿も見えなかった。
(なんでいつも窓が微妙に空いているだろう?あのおばけのような少年は今日はみなかった。よかった。よかった)みずほは部屋に戻ると買ってきたクッキーの材料をみてニンマリと笑った。
みずほは台所でクッキーの材料を眺めながらクッキーの作り方をみていた。頭の片隅で突如、見知らぬ気味の悪い男と目があった時の様子がフラッシュバックした。
(普通じゃない・・・イヤ、考えない、考えない!!)みずほは頭を振り払ったが頭の片隅に残っている残像がまるで消えないシミのように残ってた。
みずほはラッピングしたリボンをみながら、少しソワソワした気持ちで明日を待っていた。
ウサギ型をしたクッキーや星の形をしたクッキーなど、バラエティーに富んだ疎らなクッキーをみていると訳もなくウキウキした気分になってくる。
(早く明日になって欲しいよぉ)
みずほは出来上がり、ラッピングしたクッキーを眺めていた。
(こういう気分を・・・イヤダイヤダ。これがカレなんて。やだー)
「みずほー、いつまで起きているのー?早く寝なさいー!」
「はーい」みずほが適当に返事を返すとみずほは部屋の電気を消して、ベッドに潜ろうとしたら、余りに熱くて起きあがって窓を開けたら少し心地よい風が吹いた。
(暑すぎる。汗が凄いわ)みずほは部屋の窓から斜め前の家をみていた。
電気はついていなかった。隣の家をみていたら今日みたあの不気味なおっさんを思いだして、急に怖くなった。
(考えない、考えない!!)
みずほは気をとりなおして前をむくと、今日もずっと向こうにある臨海沿いには工業の施設に灯る赤いは休むことなく赤いランプが規則正しく点滅している。
(退屈だわぁ。こう運命を変えてくれる運命的な出会いがないのかしら?)みずほは一分一秒たりともズレることなく動き続ける赤いランプをみて溜め息をついた。
真っ暗な暗闇の中で悠人は汗だくになりながらも両手足を縛られ誰もいない部屋の床にうずくまっていた。真っ暗な部屋で意識を失っていたが、目を覚ました。
(・・・・熱い、熱い。水が欲しい。水が飲みたいよ)悠人は汗にまみれながら意識が朦朧としていた。
(誰か助けてー!苦しい!お天道様でも女神さまでもいい。神様、ここからだしてください)
「お父さん、神様っているのかな?」
「あぁ、お父さんもよくわからないけれど、太陽ではないかっていう説もあるな」暢三は眼鏡をかけて書斎で本を読みながら悠人に答えた。
「太陽って地球から三番目に離れているんだよね。でもなんで太陽が神様なの?」
「・・・さぁな。そんな日本神話があるからな。でももし、太陽が一秒たりとも地球から姿を消したらこの世界は一瞬で暗闇の世界になり、誰ひとり生きていけない、それくらいすごいものなんだよ」
「一秒でも!?」
「あぁ、たった一瞬でもだよ」暢三は本から目を離して頷いた。
「太陽は僕らをみているってどういう意味なんだろう?この間、本で読んだよ」
「さぁな。太陽がなくなったら暗闇の世界になってしまうなんて怖いよ」悠人は想像力を膨らませていった。
「そんな心配しなくても大丈夫さ。そんな心配よりも、将来はこの会社はお前がゆくゆくはお前の手に渡るんだから、しっかりと勉強して世の中の経済の仕組みを勉強して、経済通になってくれ。お前の将来は他の人よりとても有望なんだぞ」暢三は悠人の目をみて強く諭すようにいった。
「うん。僕は社長になるんだ。その為にも頑張る!!」悠人も暢三の目をしっかり見据えて力強くうなづいた。
太陽が一瞬でも消えてしまったらこの世界は暗闇の世界に一瞬で様変わりしてしまうという内容の暢三の昔の言葉を悠人は思いだしていた。
(僕は今、暗闇の中でお腹を空かしたままだよ。水が欲しい、水が欲しい。太陽さえ届かない牢獄のようなこの暗闇に光を照らして欲しい。だれか、だれか助けて。神様、光を僕に与えてください)
悠人は真っ暗な蒸し暑い部屋の中で両手足を縄でしばられ、口は塞がれたままかろうじて鼻で呼吸していたが、猛烈な空腹で気がおかしくなりそうだった。悠人はどんどん意識が朦朧としていく中で、不思議な程、最後にみたあの子の残像が目に焼き付いていた。
それは、窓越しにこちらをみつめていた、幸せそうな少女・碧名みずほの表情(かお)だった。
みずほが起きると窓から強烈な日差しで起きた。
ゆっくり起き上がると目覚まし時計は午前10時を指していた。
(あっ、ラジオ体操!)みずほは慌てて起き上がると階段を駆け下りた。
「お母さん!ラジオ体操!どうして起こしてくれないの?」みずほはいきりたって椅子に腰かけてテーブルでコーヒーを飲んでいる芙美に声をかけた。
「今日は土曜日でラジオ体操がないのよ!あんたボケているの?」
「今日・・土曜日だっけ?じゃあ、また寝よう」
「ちょっと、みずほ、ご飯食べなさい。あとご飯食べたらちょっとお使いをお願いしたいわ。電気屋のゴンちゃんにこないだうちのエアコンを無償で治してくれたからゴンさんに渡してきて欲しいの」芙美はそういうとみずほに紙袋に菓子を包装したものを入れるとみずほにもっていくように横においた。
「絵里ちゃんの所に行く時、持っていくよ」
「よろしくってゴンちゃんに伝えておいて」
「うちのエアコンを治してくださってありがとうございます!!これつたないものですが、お母さんからです」みずほが近所にある電気屋のゴンちゃんという愛称の店長に芙美から預かってきた包み菓子を渡した。
「いつもありがとうね。そんなに気を使わなくてもいいのに!」
「こないだエアコンが故障した時、もぉ、熱くて熱くて扇風機だけじゃダメでつらかったから、すぐに来てくれて助かりました。メーカーにいったら1週間後なんていうから、それじゃ遅いよってなったとき、来てくれて助かりました!」
「いいんだよ!困った時はお互い様なんだ。こんな狭い田舎では助けあわなくちゃな」勤三(ごんぞう)は愛嬌のある顔を浮かべた。みずほは電気屋の中に今までみたことがないくらいの大きさのテレビが否が応でも目に入ってくる。
「わぁ、大きなテレビ!!すごーい」みずほはそういうとテレビ画面の前に走っていった。
「それは80インチのテレビなんだよ」
「映画館みたいだよ。いいなぁ」
「うん。大きくなったら働いて買いなさい」
「はーい」
<続きまして、松山市で起きた小学校4年生の蔵田悠人君が誘拐された事件でついに写真を公開しました>キャスターは淡々と伝え、テレビの大きなモニターは誘拐された男子生徒の写真が写しだされた。
「なんかひでぇ話だよな。子供に罪はないだろーに!」勤三はテレビをみながらせんべいを口に入れながらしみじみといった。
「でも隣町ですよね」
「まぁな。お嬢さんも変なおっさんに声をかけられてもついていっちゃダメだよ」
「おっちゃんなら大丈夫だよね」
「そういう安心が怖いぞ。ひょっとしたらおっさんだって心の中で何を考えているかわからないぞ」勤三は笑いながらいった。
「おっちゃんの考えていることはわかるよ。綺麗なお姉ちゃん来ないかなぁーっていうことぐらいでしょう」みずほは勤三の心の中を見透かすようにいった。
「よく知っているじゃねぇか?」
「知ってるよ。スケベ親父!!」
「おいおい、そんな言い方ないだろう?せっかくただでエアコンを直してあげたっていうのによぉ、ひでぇ、言われ方だよ」勤三はわざと無表情になった。
「ごめんね。おっちゃん。おっちゃんがとてもとても心が暖かな人だっていうのは知っているよ」みずほはそういうとにっーと笑った。
「お、おおっ」勤三は少し照れ臭そうな顔になった。
ー息子は人見知りで簡単に人を信用する子ではないんですよ。だから知らない人についていくような子ではないんですよ。だから力ずくで拉致されてしまったか、ついていくとしたら、本当に親しい人にしかついていかないと思うんですよー顔にモザイクがかかった母親の声が流れた。みずほは昨日、スーパーに向かう途中でみた被害者の母親の顔を思い出していた。あの時、何故か自分の顔をみて思いを訴えてきたのは何故だろう?すぐに我に返ったけれど。。
「おじさん、昨日、このお母さん、駅前でビラを配っていたよ」
「・・そうか、大変なんだよ」
「うん」みずほは深くうなづいた。
ー息子さんの特徴ってなんですか?ー
インタビュアーが尚代に聞いた。
ー写真にも出ているんですがら息子は嬉しいで指でこう丸い輪を描くクセがあるんですよ。あと首の耳の下との真ん中あたりにホクロが2つありますー
ーお母様としても何か心あたりはないんですか?ー
ー身代金の要求もないですし。どうしていいのかわからない。だから困っているんです。犯人の意図がわからない。だから身代金目的ではないような気がするんです。
ー・・・と申しますのは・・
ー主人の事業を巡っていろいろとトラブルがありまして、でも万が一、万が一、それが原因であるなら、息子は何も関係ないんで、どうか、どうか息子の命だけは助けてあげて欲しいー
尚代は懇願するようにモザイクがかかった画面を通していった。
「なんか主人の事業のトラブルってコンビナートの反対運動のことだろうよ」勤三はいつのまにか団子を食べながらいった。
「おじちゃん、知ってるの?」
「誘拐されたのクラタ工業の息子さんよっ!」
「えっ?家から工場が見えるけれど」
「コンビナートを拡大しようとしているけれど、環境が損なわれるっていう理由でいろいろ問題になっているよ」
「恨みを買ったのかな?」みずほませた子供のように詮索するようにいった。
「そりゃ、恨みを買ってるだろうよ」
「どーして?」みずほはすかさず聞き返した。
「どーして?ってそんな大人の事情を知ってどうするの?」
「知らないよりは知っていた方がいいじゃない?大人たちが都合のよいことばかりを教えることを鵜呑みを信じるなんて、やだよ。真実が捏造されていることなんてよくあることだよね」みずほは少しドヤ顔でいった。
「随分、大人じみているじゃないか?」勤三は目を細めていった。
「こうみえても毎月5冊は本を読む読書家だからね」
「たった5冊で読書家とはいわねぇよ。まぁ、恨みを買うっていってもよぉ、いろいろある訳よ。ああいう環境を汚染してしまうと、よく公害なんて言葉があるけれどよぉ、それで犠牲になってしまう人だっているんだし、よくそういう所の影響で、病気や障害をもって生まれてくる子供が出てきたり、いろいろあるんだよ。だからよくない訳だけれど、企業は利益を追求するためなら、多少のリスクを背負ってでもやりたいというのが本心さ」
「ふーん。利益追求なんてやめてしまえばいいのにね」
「そんなこといったら世の中は社会主義になってしまうだろう。それはそれでいろいろ問題が出てくるのよ。子供にはわからないだろう」勤三は鼻にかけるようにみずほを上から見下すようにいった。
「反対派の人の仕業かなぁ?」
「さぁな。そんなことしてもプラスにはなるような気がしないけれど、でも何かありそうだよな。よりによってこの時期にあそこの社長の坊やなんてさ、何かおかしいよな」勤三は推理するようにいった。
「大人の事情ってヤツですかね」みずほは端的にまとめた。
「100パーセントそうだとはかぎらんぞ。頭が可笑しいヤツかもしれないしな・・・」
「・・・」
「あの夏の甲子園を昨日のことのように思い出すんだ」
「一体いつの話をしているだよ」暢三は少し呆れるようにいった。
「俺の心はあの夏の甲子園の時のままだよ。ずっと友情を信じていたんだ。あの時と同じ気持ちでお前といたんだ。こんな皮肉なことが起きるなんて、なんでこんな風に変わってしまうだ?何がそんなにお前を変えてしまったんだ?」
添田は泣きそうになりながらいった。目の前のテーブルの隅に白黒の高校球児の写真が並んで写っていた。
「大人になればいつまでも青春のままではいられないんだよ。利害が絡んでくるんだよ」
「だからって俺に責任をみんな押し付けたのか?子供が工場に進入して亡くなった事故を隠蔽したのはみんな俺の指図だと?有害物質で爆発して作業員が亡くなって隠蔽したのは俺だっていうのか?んな訳ないだろ!みんなお前の指図だろ?濡れ衣を着せておいて横領したとか訳のわからない罪で懲戒解雇して、裁判だけを俺に押しつけて来やがって!!会社の不利益を俺に押し付けて、それでも会社を大きくしたいのか?お前はいつからそんな暴君になったのか?ええっ!お前は人の形をした悪魔だっ!
俺はそんな汚い後処理を受け入れてた理由がわかるか?そんなもの超えてお前を人生で最大の親友だと思っていたからなんだよ。それでも親友だって思っていたんだよ」添田は酒瓶を強く握りしめながら、泣き出した。
「わかった。俺もお前を守るから。どんなことがあっても守るからせめてお前の居場所だけでいい。教えてくれ。おまえの苦しみを深く理解する。だから教えてくれ。警察には言わない。もう、お前を苦しめたりはしない」暢三は添田の心に寄り添うようにいった。
「秘密基地さ。ささやかな秘密基地さ。キツイ、練習をさぼって逃げ込んだ、近所のばぁさんの家さ。よく豚汁を貰ったな。ここの婆さん5年前に亡くなって、お前に頼まれて弔辞を送ったよ。よく世話になった。もうボロボロだよ。懐かしいよ」添田は微笑みを浮かべながらいった。
「わかった。今からいくよ。変な気を起こさずにそこにいろよ」
「あぁ・・」
「もう悩むな。全てを保障するから」
「あぁ、昔のお前に戻ってこい。待っているよ。おっ、ここの小屋には<太陽と僕ら>のポスターが貼っているよ。この映画40年以上前の映画だ。お前と一緒に見に行った映画じゃないか?懐かしいなぁ」添田は陽気な声でいった。
「今からいく。俺一人で向かう」
「当たり前だ!待っているよ!」そういうと添田は電話を切った。
暢三は電話を切ると机を睨みつけた。
(やはり、犯人はあいつか?)
暢三は大嶋に電話をかけると、すぐに大嶋は電話にでた。
「あいつの居場所がわかった。今からお前も一緒に行くぞ。何を考えているかわからないキチガイみたいなヤツで危険だ。お前も行くぞ。あと警察にも伝えろ!!」
「かしこまりました!」
暢三は電話を切ると、緊張と憎悪で宙を睨みつけた。暢三の書斎のクローゼットの上には悠人と二人で写っている写真が立てかけられていた。
みずほは絵里の家に向かう途中だった。トコトコ歩いていると、電信柱にも誘拐事件のポスターが貼っていた。
みずほは立ち止まってそのポスターを眺めていると、ポスターの蔵田悠人はリュックサックを背負って指でマルを作っていた。
(嬉しいことがあると、指でマルを作るくせがあると、いっていたがこの写真を撮ったときは何か嬉しいことでもあったんだろうか?)そんなことを考えながら歩いていた時、みずほの脳裏に突如、となりの家の少年の顔が浮かんで来た。
(窓越しに小さなマルを作っていた・・たしか、小さなマルだったような・・)みずほの足はぴたっと止まった。金縛りにあったように身体が動かなくなった。
(まさか、まさか、隣にいるあの子が・・・)みずほは凍りついた。真夏の太陽が照りつけているので足がガクガク、ブルブル震えていた。みずほを不審そうにみていた男の顔を思い出していた。
ー嬉しいことがあると手でマルをつくるくせがあるんですー
みずほに向けられた下から必死に見えるようにマルを作っていたこないだの何気ない光景を思い出していた。
ー僕は君にほんの少しでも視界に止まってくれたことが嬉しかった。話もしたことのない、会ったこともなく、ほんの少しだけ目があっただけなのに、無性に嬉しかった。その理由はわからなかった。すごく苦しかったのに、君の顔をみていると、その苦しみが不思議なほど消えていく。だからただ、嬉しかった・・・ー
みずほは時間が止まったように、街のの流れが止まったように、何より心臓が止まったように、フリーズした。本当に凍りつくというのは真夏の太陽さえもどうすることも出来ない。
みずほはもっていた手作りクッキーが入った包装紙を落とした。落としたことも気がつかぬまま、一心不乱に走りだした。
幻(フレア)〜誘拐事件から始まった運命の愛〜 @bibibi39
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