第27話「黒剣・前編」
優しく微笑んだあの笑みが脳裏で再生される。
そうだった。
あの時は季節の変わり目だったからか、涼しげな風が吹いていたんだ。
『ミレイア、魔法学園に行ける事になったのよ!』
楽しそうに笑った姉様が居て。
長年の夢が叶うかのように、きゅっと手の中で掴んだ手紙が印象的だった。
『次は貴女の番ね、ミレイア』
ふわりと揺れた髪を抑えながら向けられた言葉に私は何を返したのか分からない。
『楽しみだわ、姉妹二人で一緒に魔法学園のオリジン一位を独占してやるの!』
でも、姉様は心底楽しそうに笑みを向けると、未来に想像を膨らませる。
あぁ……。
確か、私がここで感じたのは、焦りと恐怖だ。
姉様に置いていかれるという焦り。
そして、今まであった温もりが消えるような、そんな恐怖。
入学したとしても、魔法の才能がある姉様と違い、私は魔法の才能なんて無い。
きっと、来年になったら。
私は————、
『可愛いミレイア。私の大切な妹』
柔らかな姉様の匂いが私を包み込んだ。
安心する。
そうだ、まだ一年ある。
それまでに、私が頑張って姉様に認めてもらえるぐらい強くなればきっと、————姉様の側に自信を持って立てるだろうか?
*
「……んぅ……っは!!」
私は飛び起きるようにして目を覚ました。
昔の夢を見たからだろうか。
「はぁはぁ」と荒い息がとめどなく溢れ出し、寝巻きにぐっしょりと濡れた汗が心底気持ち悪い。
起きたのは薄暗い夜。
ゆっくりと息を正し、少しだけ開いた窓から差し込んだ双月の明かりをぼんやりと眺める。
もうすぐ始まる祭の高揚と静謐な優しい風が頬を撫でた。
その風は先程の夢の風を思い出せる。
静かでゆったりとした時間だ。
「姉様も……」
その中で、ふと漏れた声。
零れ落ちた言葉は誰にも届かず、答える者も居ない。
「ん……んぅ……ミレイア様……」
同じベッドでは、昔から私と共に歩んで来てくれたイーサラ・アルビエフが穏やかな寝息を立てている。
思えば、イーサラとは私が幼少期からの友人だ。
私が幼少期に出会った最初の令嬢。
そして、姉様にとっても……。
彼女にも会えば昔の姉様に戻るかも、そんな淡い期待を持っていない訳ではない。
オリジンを取れば、昔の約束を思い出してくれるんじゃないかと、ラウ・ベルクリーノとビクトリア・レオノールの二人の決闘にイーサラと乱入までしたというのに、なす術もなく敗北。
私と会った時に見た姉様の瞳には私の姿は居なかった。
姉様に幾ら呼び掛けても目的が達成されない限り、会ったとしても私達の声が届く事も無いのだろう。
今はそれよりも。
遂に今日に迫った対抗試合で私は私の為すべき事をやって姉様を取り戻さなくちゃいけない。
「同級生を殺す事になっても。私は私の目的の為に全力を尽くすだけ」
「んんぅ……ミレイア……様?」
「まだ、寝てなさい。少しは体力を付けとかないと持たないわよ」
瞳を手のひらで閉じる。
再度、穏やかな寝息を立てて眠るイーサラの髪を撫でた。
ゆっくりと進む時間がこのまま続けば良いのに。
けれど、時間の進みは時に残酷で。
窓から差し込んだ月明かりは一本の線となって、白色の制服に差し込んであった黒石の如く黒い短剣に光が差していた。
*
「ミレイア様! 凄い人ですね!」
「えぇ、そうね。それよりも、早く会場に向かうわよ?」
「勿論です!」
流石は魔法学園の行事と言うべきか。まだ朝早いというのに視線を何処に向かわせても、人で埋め尽くされている。
それだけ、多くの人がこの試合を見るのだろう。
「ミレイア様、今日こそはアイツらをギャフンと言わせて、オリジンを奪ってしまいましょう!」
「…………そう、ね」
オリジン。
それは、私がこの学園に入る前から手に入れる事を望んでいたものだ。
だというのに、今手に入れたとして、どうにも嬉しくない。
アレは姉様との約束があったからこそ、欲したもの。
例え、わたしが一人オリジンを取った所で、姉様の憎悪は終わらないのだろう。
昔の姉様に戻る事も。
「ミレイア様。もしかして、ネラ様の————」
イーサラが続きの言葉を発しようとした時だった。
「おぉ、ミレイアにイーサラじゃないか」
背後から聞こえた男の声に思わず立ち止まる。
その声は今、一番聞きたくない声だった。
「ベルズィン先生、おはようございます」
「おはよう、イーサラは……いつも通り緊張してなさそうだな?」
「そんな事ないです。ですが、今日の成績次第ではオリジン入りが出来るのですから、ミレイア様と一緒に頑張るつもりです」
生徒と教師。
会話は至って普通の意気込みの話だが、
「そうそう、イーサラ。カーメル先生がお前をお呼びだ。あと数時間で始まる事だし、早く行ってくると良い」
「ですが……」
「良いわ、行ってきなさい。後で迎えに行くわ」
「分かりました。では、行ってきます」
手を振ってイーサラを見送る男——————新任教師であるベルズィン・ペトロフにチラリと視線を向ける。
「それで、何の用ですか?」
「ふははっ、随分と冷めてるな? そこら辺は本当にあの女そっくりだ」
「ッ! 姉様と話したのですか!?」
「ふはははっ、やっぱりお前らにはこの言葉が適任だわ。あぁ、話したぞ? っても、アイツの場合、気の抜けた返事だけだったけどな」
何処までも人を揶揄って遊ぶのが好きな男。
貼り付けた様な笑みには好感など微塵も感じられず、導具として見られているような。
そんな不快感が背筋に触れた。
「そうそう、お前に伝言があるんだわ」
私の内心など知らぬ存ぜぬで言葉を発する。
「期待してる、ってよ」
「ッ!」
振り返って損をした。
ベルズィンは口元を上げ、含みのある笑い声を上げながら去り際に私の肩に手を置く。
「しかし、お前は細いなぁ? 少しでも力を入れたら折れちゃいそうだ」
「っ!」
すぐに離れようとするが、爪を深く食い込ませたのか、鋭い痛みが肩に走り、自然と苦悶が漏れてしまった。
「おっと、暴れるなよ? 俺はお前らが何をしているかは知ってるんだから。周囲を見てみろ? 多くの人がこれから始まる
まるで、自分の思う通りにいった事を喜ぶように、目を細め、笑みを深くして。
「そうだ、良い子だ」
怖気が走る程に気持ち悪い。
首元を撫でた吐息も、髪に触れた指先も、この男の全てが気持ち悪い。
でも、なにより動けない今の自分が何よりも憎らしい。
「アイツは気にくわないが、お前は別だ。何せ、魔執会所属の可愛い後輩だからなぁ? さて、ミレイア。良いか? お前は俺の言う通りにすれば良い」
耳元で口を開いた呼吸音。
「いいか、その短剣で――――の胸を刺せ」
驚いて振り向くが、そこには悪魔の笑みがあった。
「どうした? 返事は? まさか、断ったりしないよな? お前は達成したい目的があるんだもんな?」
深く理解する。
コイツは私の敵だと。
しかし、今は。
今だけはコイツの力を借りなきゃならないなんて————ッ!!
こいつの言う事なんて碌な事が無いのはさっきも実感したじゃないッ!
「そうすれば、お前の願いを叶えてやるよ。っははは! ほら、良い提案だろ?」
なのに、聞きたくも無い声に耳を傾けてしまうのは、
「だから精々踊って俺ら、観客を楽しませろよ?
私がまだ家族を諦め切れていないからだ。
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