第23話「井の中の蛙」


 キーンと耳鳴りが脳内で反射し、瞼の奥に移った眩いばかりの炎が視界に幻影を見せる。


「——————! ———い! 聞いてんのか、おいッ!! 何をボサっとしてんだ!」


 突如として、鈍い痛みが頬に走った。


「ぇ、あれ……?」

「やっと気付いたか! これ以上意識が戻らないなら置いていく所だったぞ!」

「は? 置いていく? って、確か俺は……」

「んなことを悠長に思い出してる暇なんかねぇんだよ!」


 そういや否や、名前も知らない男子生徒は激しい爆発音が聞こえると、険しい顔で後ろを振り返った。


 自分もその視線を追って向けて、思わず背筋が凍り付いた。


 ヒヤリとした汗が肌を伝っていくのが嫌でも分かる。


 だというのに、自分を襲う風は呼吸をすればするほど、肺が焼けてしまうのかと思う程に熱苦しい。


「ッ! ゲホゲホッ!」

「おい、大丈夫か! 息をする時はゆっくりだ。ゆっくり吸って、ゆっくり吐き出せ。そうすれば、今よりはまだマシだ」

「すぅ〜、はぁ……あぁ、すまない。助かった」

「そいつは良かった。が、今すぐにココから離れるぞ」

「なぁ、聞きたいんだが、アレは……一体なんだ?」


 自分でも答えは分かっている。


 ただ、聞いた姿と今の姿はまるで違ったからだ。


 アレは、この魔法学園で唯一オリジンを名乗る事が出来る化け物達の内の一人。


 中でも、特にオリジンエーナは他のオリジン達よりも頭一つ抜けていると有名だが、実際にオリジンエーナを開幕前に見た事がある。


 正直なところ、見掛けであそこまで見た目と内に秘めた実力が違う者はそうそういない。


 そして、この先にはきっとその彼女と一緒にいたあの赤髪がいる。


 奥で煌々と紅く染まった迷宮の壁がそれを物語っていた。


 すると、男子生徒はすぐに立ち上がる。


 徐に「お前は先に上に戻っていろ」と言うと、奥へ進もうとしたので思わず肩を掴んだ。


「ま、待て! お前はどうする!?」

「大丈夫だ、少し奥まで行って確認してくるだけだ」

「おい、やめろッ! もし他の生徒が居たとしても学校側の救護班がすぐに来てくれる! 戦闘不能になった奴らを抱えていくのをお前だって見ただろ!」

「だからって、オリジン同士が戦っている場所に放っておくわけにもいかないだろ! お前はすぐに迷宮から出たら棄権しろ。そんな傷を負った状態じゃ、来ても邪魔に加えて、足手まといだ! 分かったな!!」

「あっ、おいッ!!」


 男子生徒は掴んだ手を振り解くと、此方の静止の声も聞かずに走り出し、その姿は小さくなっていった。


 このまま此処に居ても、この熱波にやられる事になると思うと地上へ出た方が賢明だ。


 それに、あの男子生徒が自分と同じく他の生徒達も助けていたのならきっと迷宮の入口辺りで集まっている筈。


 そこで、はっと気付いてしまった。


 自分と同じく化け物同士で戦っている中で縮こまるしか出来ない自分とは違い、奥へと他の生徒達を助ける為に進んで行った男子生徒。


 その小さくも大きな差はもう見えなくなった背中として物語っている。


 対して自分は、と唇を噛み締め、行き場の無い怒りを空中で振り下ろす。


「っ、くそっ! 俺は悪くないぞ! アイツが先に進んだから、ちょっと恩を返しにいくだけだッ」


 あの化け物達に敵わなくとも、自分の力には自信がある。


 あの場所へもう一度行くのは心底嫌だ。


 むしろ、願うなら行きたくなどない。


 誰が好き好んで凡人が化け物達の戦闘に加わろうと思うんだ。


 しかし、口で文句を垂れながらも、ズキズキと痛む身体の痛みを無視しながら前へと脚を進めていく。


 そして、より強く吹いた熱風に煽られながらも、その光景を目にした。


「なっ!? 嘘だろ……」


 時間を掛けてバレないように歩き出してようやく辿り着いたその場所は、先程の熱波と比べ物にならない程の灼熱が渦巻いていた。


 階層をつなぐ階段を塞ぐようにして立つ一人の女子生徒の前には、汚れた制服に所々穴の空けながらも走り回りながら攻撃を仕掛けているオリジンが三人。


 そして、その中に何故かあの男子生徒が居た。


 しかし、様子がおかしい。


 彼は他の三人に混ざるどころか、離れた岩陰の裏でジッと身を潜めている。


 もしかして、何か攻撃を喰らって動けないんじゃないだろうか。


 野蛮でありながらも実力で言えば既にB級冒険者以上の力を持つベニィとガヴェルでさえ苦戦するような相手だ。


 一介の生徒があの中に介入するなんて、それこそ自殺行為。


「ッ、クソッ」


 入学して僅かだと言うのに、あまりに高すぎる壁に挫けそうになりながらも、男子生徒の方へ向かおうと一歩を踏み出した時、後ろに何か気配を感じ、


「なん――――ッ、ぁ……」


 目の前に迫った水弾を真っ正面から受け、壁に衝突する。


「――――たぞ――――い――――」


 何かを呟く声が耳に残りながらも、意識は暗闇へと落ちていくのだった。



「AAAAAAAAAAAAAA――――!!」


 クアンが上層で他のオリジン達を食い止めている間、ミリアとビクトリアは目の前で暴れる魔物――――レッドオーガと戦闘を繰り広げていた。


 普段の二人ならば、そこら辺の魔物は相手にならない。


 しかし、二人の邪魔をしたのは思わぬアクシデントがあったからだ。


 元々、迷宮は地下へ潜る程に狭くなっていく性質を持つ。


 更に、迷宮で生み出された魔物は自身のいる階層の地形を把握し、縄張りとする事で自身の行動を獲物を狩る事の出来るように最適化させていく。


 その結果、ビクトリアの召喚獣であるウラヌスがその巨体から寧ろ邪魔になり、加えてレッドオーガの持つ強靭な皮膚により、物理攻撃が効きづらく、苦戦を強いられていた。


「邪魔くさいですわッ!! バレット展開、てぇーー!!」


 ビクトリアの周囲を囲むようにして錬金術から作り出した砲台からバラバラと高速で鋼鉄に加工された特製の銃弾がレッドオーガへ向かってばらまかれる。


 それは単なる銃撃による物理攻撃では無い。


 作り出した砲台から打ち出される際に銀の蝋液を混ぜた事で、一つ一つの弾が魔法弾として機能していた。


「GAAAAAAAッ!!」


 レッドオーガが腕をクロスさせる事で守りに徹するが、少しずつその腕に傷がつき始めた。


 しかし、レッドオーガが冒険者の中でも倒せるか倒せないかで、一種の壁として存在しているのは更に一つの理由がある。


「ッ!! やっぱり、早々倒れませんわよね!」


 全弾を撃ち終わり、カラカラと音を立てながら煙を上げる砲台とビクトリアを睨むようにして佇むのは、体内に秘めた魔力を攻撃に使わない事で腕や全身に入った傷を治癒する能力を得たレッドオーガ。


 普通の魔物では傷を付けたら回復する事は無いが、レッドオーガのような上級の魔物に匹敵する力を持つ魔物になると一気に戦う者の実力に差を付けていた。


 レッドオーガが唾を吐き散らしながら咆哮し、ビクトリアへ脚を進めようとした刹那、


「ですが、私はあくまでも引きつけ役ですわ。ミリア!」


 ビクトリアが口角を上げ、微笑む。


 その姿と彼女の後ろから飛び出した小さな影にレッドオーガの危機察知が働き、手にした鉄の塊を握ると一気に振り下ろした。


「きゃあ!? な、野蛮ですわね! 他の魔物でもここまでは!」

「ビクトリア!?」

「えぇ!! 平気ですわー! ミリアはそのデカブツに注力してくださいな!」


 大地が揺れる重い振動と共にオーガが咆哮し、迫るミリアへ鉄塊を振り下ろす。


 しかし、ミリアにとって見れば、他の生徒には危険な攻撃でも意識全てを向ける程度にはなれず。


 片手に持ったナイフを鉄塊に沿うようにして力を流し、もう片手に持った短刀をレッドオーガの肌に這わせた。


 一連の動きには一切の無駄は無く、離れて見ていたビクトリアの美に対する好奇心を刺激する。

 

「GAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!」

「ふふっ、まだですよ」


 どしゃりと落ちた自身の肉を確認するやミリアの危険度を更にもう一段跳ね上げる。


 腕を振り回し、なんとか自分の周囲から離れさせようとするも、


「此方を忘れてもらっては困りますわ!!」


 ビクトリアが作り出した弓を持った騎士十数名が矢を構え、一斉に射線をレッドオーガへ向けた。


 レッドオーガが脚に力を込め、後ろへ後退しようとして気付く。


 自身の脚に力が入らず、ミリアがレッドオーガから離れるようにして後退している姿を。


「――――――――AAAAAAAッ!!」

「穴だらけになりなさいな!」


 ビクトリアの合図と共に一斉に放たれた矢はミリアを信頼しての攻撃だが、同時にレッドオーガにとってはこの上なく邪魔な一手でもある。


「ぇ、あっ、ひゃあぁ!?」


 しかし、ビクトリアにとって想定外だったのは、あの状況下でもレッドオーガが迎撃に回った事だろう。


 片手に持ち替えた鉄塊を強く握りしめ、振るう事で矢を弾き返し、迷宮の壁へ衝突。


 一部の矢は壁に突き刺さった。


 けれど、全部を弾き返せたわけでもない。


 肩に矢が掠めた事で傷口からレッドオーガの血がドロリと噴き出す。


 徐々に回復するとはいえ、そこで防御に回る事は出来なかった。


 ビクトリアが攻撃を加えた事でレッドオーガの意識がミリアから一瞬外れ、彼女の姿を完全に見失ったからだ。


 レッドオーガが迎撃した際に崩れた壁や地面から巻き上がった少量の土煙も要因となっているのだろう。


 静まった静寂の中、視界の端で煙を裂きながら移動する何かを見つけ、力の限り鉄塊を叩き付けた。


 その威力で地面を揺らし、土煙を一気に晴れさせる。


 何かがひしゃげた音がレッドオーガの耳まで届く。


 一番厄介な敵を殺した。


 それはレッドオーガに喜色の笑みをもたらし、鉄塊を握りしめた手に力を込めて、ビクトリアへ振り向こうとして、


「あら、口角が上がってますよ」


 先程まであった確信した余裕はそんな一言で瓦解した。


 首元にトッと触れた微かな重みが身体全体を凍らせるかのように冷たくさせていく。


「あれが私に見えましたか?」


 ゆっくりと向けた視線の先には鉄塊の下に潰れた一つのナイフ。


 そうして、レッドオーガには理解出来ない人族の言葉が耳に届き、


「チェックです♪」


 一つの発砲音が迷宮内に響いた。

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