第五章 新入生部隊対抗試合編

第1話「始まりの贄」


 魔法学園からガルス砦へ向かう樹木生い茂る森の中で、白ローブを着込んだ男達が一箇所に集結していた。


 パチパチと火が跳ね、細枝をべる男の隣に彼等を率いるマルス・カラフェルトが横たわった木の上に腰を下ろしていた。


 男達の側には雑草を食べる馬が数頭、木に繋がれている。


 魔力が尽きた場合に備えて持ってきていた長剣を太い幹に立て掛け、マルスが炎の揺らめきを眺めていると、


「なぁ、マルス。俺達、こんなゆっくりしてて良いのか?」


 一人の男がマルスへ声を掛けた。


 それに追随する様に他の男も声を上げる。


「そうだぜ。いくら、ガルス砦があんな状態とはいえ、総務会の連中と教授達も行ったんじゃ俺達が着く頃には終わってんじゃねぇのか?」


 確かに、男達の進行速度はユリア達とは比べ、明らかに遅い。


 学園からガルス砦まで最低でも一日。


 それが通常の馬を走らせた場合の目安だ。


 けれど、そこに馬を強化魔法で走らせ、途中の都市で馬を交換するなどすればその目安はガラリと変わる。


 だが、マルス達は馬に強化魔法を使う訳でもなく、途中で休憩を挟むなどして時間を使っていた。


 これでは、ガルス砦を襲った強い魔物を使い魔として得るどころかユリア達に倒されて残るのは死骸だけになってしまう。


 それを最も危惧しているからこその、男達の焦りの声だった。


「うっせぇな。お前らは俺の言う事に従ってれば良いんだよ、クズ共が。大体、テメェらがガルス砦なんか行ってどうなる? 無様に屍を晒すだけだろうよ。俺はテメェらの事を考えて行動を遅くしてやってんの。これだから、クズ共は」


 だが、そんな心配もマルスにとっては苛立ちの起爆剤にしかならなかった。


 風の神童と呼ばれていた頃、周囲の全ての人間が彼を褒め称えた。


 神童、天才、逸材。


 数え切れない褒め言葉で彼を表現し、婚約の手紙やパーティーへの誘いは山の数ほどあった。


 大人達はまだ善悪も分からぬ子供が何をしても褒め、彼に反抗する者は親の権力によって叩き潰していく。


 一際、彼の心の中に印象深く残った、同年代どころか親の一言で自分に頭を必死に地面へ擦り付けて謝罪する光景は、彼の人生における価値観を大きく変えた。


「にしっても、暇だな。そうだ、お前とお前」


 マルスは木に腰を掛けたまま、同じように地面に腰を下ろす男二人に指を刺した。


 今まで、彼に着いてきても彼が突発的に言う事は碌な事がないのは分かっているからこそ、当てられた男二人は身体をビクリと振るわせる。


「確か来る途中に小さな村があっただろ」

「あ、あぁ。確かに村はあったが……」

「食料ならまだ持ってきた分が残ってるぞ」


 嫌な予感というのは何故こうも自分の意志に反して当たるものなのだろうか。


 マルスが口をにやけさせ、「おいおい、何も食料の話なんてしてねぇよ」と口に出す。


 口調が優しくなった事で、ホッと安心する事は出来なかった。


 何故なら、この男は優しい口調になった時が一番最悪な事を考えている時だから。


「お前ら。村から若い女を此処に連れて来い」


 火の弾ける音だけが周囲に響く中で、やけにその言葉は強く聞こえた。


「ま、待ってくれ! 女!? なんで、そうなる!?」

「そうだ! 小さな村とはいえ、誰かに見つかったらすぐに冒険者ギルドに頼むはず! それも村には貴重な若い娘ならなおさらだ」

「もし、そんな事になれば、俺達なんてすぐにバレて実家に帰されることになるんだぞ! 確かに、マルスのところは家が何とか揉み消すだろうが、俺達は……」


 互いに視線を合わせ、首を横に振る。


 貴族としての地位や親の多大なる期待、周囲の監視の目がある貴族だからこそ、それは出来なかった。


 そして、なによりも、自分達はこんな事をする為に一生懸命勉強して学園に入ったのではないと心の奥底にあった古びた決意を固くさせる。


 だが、マルスはそれを良しとはしなかった。


「おいおい、待てよ。何も連れてこいって言っただけで、何をそこまで神経質に考えてんだ?」

「そう、だけどよ……なぁ? 分かるだろ?」

「ったく、頭が硬い奴等だな。いいからさっさと—————」

「すまん。俺達は、俺には無理だ。それにそもそも、使い魔を得るっていう話で—————」

「黙れよ」


 マルスの言葉を遮り、弁明を始めた男に向かってマルスが素早く初級の風魔法『ウィンドショット』を展開すると、男に向かって発射。


 男の腹に直撃した勢いで木々の幹に激しい音を立てて崩れ落ちた。


「ガハッ!! ウ! ウォェッ……!」


 仲間の一人が攻撃された事で、男達の中に緊張が走り、同時に直ぐにでも此処を逃げ出したい恐怖が奥から迫り上がってくる。


「俺が喋っているだろう? 何故、喋ろうとする?」


 しかも、追い打ちをかけるようにマルスが立ち上がり、身体を一瞬震わせた男達の間を抜けて呻き声をあげる男の元へ歩いていくと、土の付着した靴を男の頬に押し付けた。


「グゥッ!」 

「あはははははッ!! 汚ねぇなぁ? そんな顔を泥塗れに化粧しやがって。平民と変わらねぇ男爵の女でさえ、もう少しまともな顔だってぇのにな?」

「マ、マルズッ! おまえッ」

「あ〜、そうだった。お前、男爵家の家柄だったな? あはははははッ! 納得だ! テメェは元からこんな、泥塗れだったな? そうだよなぁ!?」


 口調を荒げると同時に頭を木に押し付けるようにして踏み付けていた足を離すと、勢いを付けて頬に蹴りを入れる。


 悲鳴とも苦悶とも取れる声を出しながら地面に倒れ込むと、更に顔に足を乗せ、徐々に脚に力を加えながら笑い出す。


 他の男達にとって、それが最も怖い光景だった。


 学園にいた数時間前は学園内にも平民が通っている事もあり、マルスの嗜虐心は男達には向かなかった。


 むしろ、マルスが指示をすれば平民を殴って笑い合っていた仲だ。


 元からそんな仲間意識など、そこまで無い。


 だが、今、此処にいる男達の中で一番貴族の位が高いのはマルスしか居ない事で、今まで苛めていた平民の立場に自分達が移り変わったのだとすぐさま直感が走った。


 つまり、マルスの機嫌を損ねれば、次は自分達が標的にされるかもしれず、何をされるか分からなかった。


「良い事を思い付いた」


 だからこそ、その言葉は男にとって最悪の言葉の始まりに過ぎない。


「そういえば、お前、妹居たよな? 確か、一歳年下だとか。お前言ってたよなぁ? 俺に妹が今年入学してくるとか、自慢してたもんなぁ?」

「ま、待て」

「お前には言ってなかったが、俺。その妹と前会ったことあるんだよ。可愛かったぞ? お前に似てなくて。まさか、あんな可愛らしい子がお前の妹とはなぁ」

「お、おい、待てよ。妹は—————」

「なぁ。面白かったぞ? 妹、顔赤らめて俺を見て。なんて言ったと思う? 今度、家でお茶でもどうですかってよ! 汚れも知らなそうな純粋な顔が今後、どんな悲劇的な表情を見してくれるのかと思うと興奮してその夜は眠れなかったぞ? あははははははははッ!!」

「このクソ野郎がァ!! 妹は関係無いだろッ!!」

「はぁ? うっせぇよ。こんな夜中に大声出すんじゃねぇ」


 直後、バキリと何かが折れるような音が夜の森に響いた。


「グァァァァァぁぁぁぁあああああ!!」

「あはははははっ!! 瀕死の兎みたいにぴょんぴょん跳ねやがって! アイツら、自分の子供を守ろうと息巻いて突進してくるくせに、ちょっと遊んでやれば必死で逃げていくんだぜ? 面白いよなぁ? あははははははッ!!」


 この男が怖い。


 今すぐ逃げ出して、こんな世界とは背けて暮らしたい。


 目の前で利き腕を脚で折られ、涙を流しながらのたうち回る仲間の姿にその言葉が男達の脳内を埋め尽くしていく。


 だが、男達に救いかはたまた、地獄への手を差し伸べたのは、またしても悪魔マルスだった。


「なぁ? お前達もそう思うよな? 賢いお前達なら、分かるだろ?」


 恐る恐る上げた視線の先には口元は笑っていようと、瞳は笑っていない。


 ここで、返答を間違えれば、間違いなく————、


「あ、あはは、ははは。お、面白……い、です」


 気付けば、自然と自分はそんな言葉を出していた。


 続くように男達の中からマルスを擁護する声が上がり始め、最終的には狂ったように腕が折られた男への罵倒が開始される。


 その時には、もう焚き火の音すら聞こえなくなっていた。


 誰もが悪魔マルスに狂わされている。


 けれど、一人だけ。


 マルスの足の下敷きとなる男だけが「この、最低のクソ野郎めッ」と唾を吐き捨てた。


「……てめぇ。何してくれてんだよ? あぁ、興醒めだわ。って事で、死ね」


 マルスは踏みつけていた足裏に魔法陣を展開し、一度脚を上げる事で、驚いて逃げ出そうとする男の頭を真顔で踏み抜いた。


 男達はその光景に一瞬で青褪め、罵倒していた言葉を失う。


 べちゃりと辺りに漂う血臭と木々に飛び散った血痕。


 そして、ビクビクと動いていた男の身体が最後の痙攣の後、遂に動かなくなった。


 けれど、マルスは人一人殺した後だと言うのにも関わらず、「さて。お前達は勿論、コイツとは違うよな?」と片方に血が付いた顔を振り向かせた。


「ヒッ!」


 何も映していないかのように深い暗闇。


 何処までも続く深淵が自分達を飲み込もうとしている。


 馬の世話をしていた男が悲鳴を上げて腰を抜かして倒れ込み、そのままズリズリと後ろへ下がっていく。


 しかし、それも背中に木々のざらついた感触を得ると同時に勢いが止まった。


「おいおい。悲しいだろ? なんで、そう俺から逃げるんだ?」

「ヒ、ヒィッ!! た、助けッ! 誰か、助けてくれぇッ!!」


 恐怖に心が耐え切れなくなったのだろう。


 男が地面の土を掻きむしって何とか森の中を走り出していく。


「そういえば、お前達は何故闇魔法が敬遠されているか分かるか?」


 マルスは逃げる男を遠くに見ながら嗜虐的な笑みを浮かべた。


 突然の問いに戸惑いながらも言葉を何とか捻り出す。


「や、闇魔法は魔族が主に使う魔法であり、その種類も拘束や洗脳、拷問等に適したものが多くある為だと聞いた事があ……ります」

「よく勉強しているじゃないか。その通り。闇魔法は相手の心を折るのにとても適した魔法だ。そして、その応用でこんな事も出来てしまう」


 そして、ゆっくりと見せつけるように白い手袋をした手のひらを顔に翳すと、いつの間にか周囲にどす黒い魔力が溢れ、マルス自身を覆い尽くした。


「な、なんだ、これは!?」

「ッ!?」


 呆然と立ち尽くす中、現れたのは女の姿をした全くの別人だった。


 どこか先程の男と似たような顔立ちをしているが、それよりも疑問の方が勝ってしまう。


「こうして、闇魔法であれば、自身の顔や体格すら偽る事が出来る。そして、最後にお前達に伝えておかなければならない事がある」

「最後……?」

「マルス。一体、何を――――」


 猛烈に嫌な予感は既にあった。


 逃げる隙なら沢山あった筈なのだ。


 こうして、今も彼の元にいる事で何か変わるのかと思った。


 だが、


「これはな、他の者に知らせてはならない決まりなんだ。もし、知らせてしまえば、私は契約で殺されてしまう」


 額に泥の様にへばりついた汗が皮膚を不快感を伴いながら伝っていく。


「しかし、黒魔法なんて珍しい力を得たのだ。こうして俺だけの力を見せるのも悪くはないだろう?」


 その時だった。


 女の姿をしたマルスの影が僅かに伸びると、人一人分の闇が出来、ぬるりともう一人の女の姿をしたマルスが現れる。


「ど、どうなってるんだ?」

「マルスが二人?」

「これも闇魔法の力だとでもいうのか!?」


 そして、「行け」という小さな言葉に従い、女は男の逃げた先へ走っていった。


 直後に鼻から匂ったどこまでも甘く吐き気を催す匂い。


 その時、気付いた。


 ぼたりと何かが口から垂れていた。


 手を震えさせながら上げ、手のひらをまじまじと見る。


 その光景が嘘であって欲しい、そう願いながら。


「ふはははっ!! 実に、良い顔だ。恐怖の中で必死に抗いつつも、結局は光を失った絶望の顔。それが俺の好物だよ」


 顔を上げた先にはどこまでも邪悪な顔に染まったマルスがいて。


「あぁ、全く使えないお前達でも仇はきちんと取ってやるさ。だから今から、俺の力の糧となれ」


 視界が暗転する時に見た最後の光景は、遠くから聞こえる爆発音とマルスの高い笑い声だった。



「やっと終わったか」


 目の前で全員血を吐きながら死亡したのを確認した後、俺はそれぞれの身体から魔力を吸い上げていく。


 すると、男達に向けて翳していた指先から黒い刺青のような模様が腕に走っていった。


 奴等が言うには他者から魔力を奪う時に必ず起きる代償のようなものだという。


 しかも、厄介なのがこれは闇魔法で姿を変えようとも消す事が出来ないという点だろう。


 だが、こればかりは仕方ない。


 むしろ、これだけの代償で更に自分の魔力量を拡張する事が出来る上に威力も上がるなんて、これ以上無い効果だ。


 全員の身体から更なる魔力が沸きだす事を認した後、「もう、いいぞ」と言葉を出した。


「まさか、アイツの前に出した時、強い使い魔が必要だなんて嘘ついたのはこの時を狙ってたのか?」


 俺の足元に広がる影からスッと音もなく出てきた飄々とした装いの男は地面に倒れる男達に視線を送った後、此方に視線を向ける。


 そこには、口元を隠すように黒のマスクを付け、そこに大きなギザ歯が描かれていた。


 つり目の眼差しと相まって気味悪い印象を与えるこの男は、人間と長く敵対する魔族の一人だ。


「学園内でコイツらの死体を放置すればすぐにバレるからな。だったら、学園が混乱している今が一番都合が良い。それに、居なくなったとて、普段から素行が悪い奴ばかりだ。コイツらの当主は子供の所為で、貴族内での自分のメンツを潰さない為にも勝手に理由をでっちあげるだろうさ」

「そういうもんかね〜。まぁ、俺にはどうだって良いさ。それよりも、どうだい? 待ちに待って、ようやく力を増した感想は?」

「まだだ。まだ、足りない。そうだな、魔力のある奴らはガルス砦に出ているが、魔法学園にいけば、それなりの奴等も少しはいるか」

「けっ、人間は何処までも欲望に貪欲だが、お前もその口か。とはいえ、俺も手伝えというお達しだからな。精々、こき使ってやるさ」


 魔族の男は腕を宙で振る動作をすると、目の前に長剣で斬ったような空間が出来上がった。


 その先は真っ暗で先も見えない。


「ほれ、行くぞ。アイツ等がもう現場に向かってる筈だからな。ッケケ、約束通り、これを手伝って計画が上手くいったのならお前の野望とやらを手伝ってやるよ」


 男は先に一寸先も見えない闇の中へ消えていく。


 俺も肘まで捲り上げた学生服の裾を戻し、何処にも違和感がない事を見ては、男に続いた。


 これからもっと魔力を奪えば、更に俺は強くなれる。


 そうなれば、魔執会のリーダーの代替わりも見えてくるだろうさ。


「さて、次は誰が俺の糧となってくれるんだろうな?」


 そして、マルス達が忽然と消えた頃には男達の死骸を貪る魔物の姿だけが残ったのだった。

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