第6話「姉妹の激怒」
「それで、誰が私のお姉ちゃんにあんな事をしたのか、教えてくれないかな?」
私は今にも目の前の者達を後悔させるまで屈させようとする心を抑えつつ、現時点で出来る精一杯の笑みを浮かべた。
だが、今にも爆発しそうな怒りの炎と何処までも冷徹な理性の氷が私の中でぐちゃぐちゃに混ざり合っている。
こんな不安定な精神状態は今までに経験してこなかったからなのだろう。
「待って、待ってよ! こんな馬鹿げた話、聞いてないわ!!」
「アレは……本当に人間、なのか……?」
「うぉいおい、嘘だろ。この魔力は、いくらなんでも洒落にならんぞ!!」
一度開いた魔力の扉から膨大な魔力が次から次へと湧き出し、その勢いは私の理性に反して扉を押し開いていく。
地面が私の魔力によって漆黒に染まり、周囲の光という光を奪って闇へと移っていく。
そして、鉄砲水の如く溢れ出た魔力は空中へと溶け、残るのは私本来の魔力。
何処までも深い漆黒の闇に染まっていながらも、輝かしいばかりの銀色の光を見せる、相反する魔力の結晶。
私の髪が銀色から黒へと僅かに変わり、魔力が更に跳ね上がっていく。
何処までも、際限なく。
膨大な魔力が外に出た事の障害だろう。
呼吸するようにと大きく息を吐き出すと空気中に溢れ出た、魔力を一気に呼び戻す。
その時、世界から音が一瞬だけ聞こえなくなった気がした。
そして、グッと力を手に込めると音が弾け、全てを吹き飛ばさんとするの黒の衝撃波が女達を襲った。
「きゃあ!!」
「……ッ!!」
「ッ、クソッ!!」
バタバタと女が着るローブがはためいては後ろへ飛ばされ、魔石の欠片に似た物を持つ男のフードが突風によってその素顔を見せる。
姿は人間としての姿だ。
だが、その内方する魔力は全員が闇の魔力であり、魔力だけならばそこらの学生が束になっても適わない膨大な魔力量という異質な存在。
大方、その巨大過ぎる魔力を使う事で人間との戦闘でも優位に立ち回る事が出来たのだろう。
「なるほど、これが魔族ね」
私の内に溜まっていた魔力の残滓がすっかりと消え失せ、代わりに、純粋な魔力の力が顔を出す。
家族を傷付けられた怒りによって、私が望む力まで魔力は龍の雄叫びを上げ、周囲の空間が高密度の魔力によって歪んでいく。
「違う、違う! 私じゃない!!」
「アイツは、怪物かッ!?」
「あり得ない! そんな魔力量、まさかあの魔王達でさえ——————ッ、アッ!!」
目の前で女達がぎゃあぎゃあと騒いでいる。
しかし、私にとってはアミルを死なせさせようとしたアイツらを許す事は出来ない。
そして、私がひたりと足を前に出した時、視界に黒の線が無数に走った。
「ふん、少しはやるようだが……図に乗るなよ!! この、魔力だけが高い下等種風情がッ!!」
しかし、私はそんな男の攻撃に思わず、
「……は?」
「ぇ、なんで……」
「ッ!?」
「おいおい、嘘だろ……嘘だと言えや、ヴェルタッ!!」
男の瞳には何も映っていなかったのだろうか?
私がした事を。
だとしたら、
「魔族っても、こんなものか。それとも、君が弱いだけ?」
失意の溜息を零し、腕を引いたのだった。
*
私は思わず、「ぇ」と小さな、あまりに小さな声を出した。
私達、魔族のリーダーになるには、私達全員を相手にしても勝てないと思わさる程の圧倒的な実力が必要となる。
私が知る限りでも、魔族という奴らは自分勝手で自己満足が過ぎて、自分さえ良ければ他なんてどうでも良い。
そして、何より、誰も彼もが自分こそが一番強いと信じて疑わない。
そんな奴らの集まりだ。
闇夜を切り裂いて現れた私達のリーダー、ヴェルタもまた、そんな男だった。
自分が強くなる為ならば、他の魔族を切り捨てても構わず、寧ろ、自分の強さにしか興味が無い。
それが……、
「魔族っても、こんなものか」
最初に仕掛けたのは、ヴェルタだった。
闇魔法を魔力によって、見えない程に細く、鋭く尖らせた糸は相手が何も知らずに踏み込むと、抵抗なく身体を切り裂き、死へと至らしめる。
所見ではどんな粋がっていた奴でさえ、ヴェルタの前では自分の血しぶきを見る羽目になる。
それは、肉体の強度が高い魔族ですら同じ事で、目に見えず、触れれば皮膚は容易く肉を切らす。
本来であれば、ヴェルタがそれを出した瞬間、そうなる筈だったのに。
少女を視界の外に外してなどいない。
そんな真似をすれば、いつ自分が死ぬかも分からないこの不安定な状況下で出来る筈など無い。
けれど、その少女は脳が気付いたらヴェルタの腹に腕を突き刺していた。
それは、ヴェルタでさえ、気付いていないようで。
もしかしたら、私達の全員が少女の動きを―――――。
「グハッ……はな、せッ!!」
ヴェルタが少女の腕を切り落とそうと、腕に巻き付けた無数の糸で振りかざそうとするが、それを嘲るように腕を引っこ抜く。
地面に血が飛び散り、魔族の持つ驚異的な再生能力で傷口も少しずつだが、治り始めたそんな時だった。
少女は腕を引いた遠心力を使って腕をギリギリの所で回避すると、―――――「ッ!?」、あまりに黒い、漆黒の闇の魔力が籠った小さな拳が一瞬の溜めの後にヴェルタの腹へ当たると、衝撃波を伴いながら枯れ葉のように吹き飛ばした。
ヴェルタが私達のすぐ側を吹き飛んでいき、爆撃にも聞こえる衝撃音が私の身体を縮み上がらせ、彼は木々に衝突してもなお、止まらず。
最後には、地面に叩き付けられ、ようやくその音は止まった。
だが、後ろを振り返る事は出来ない。
目の前の小さき恐怖がそれを許してはくれない。
「く、クソッ! 学園には彼奴らを気を付ければ良いんじゃ無かったのか!? こんな奴、聞いて無いぞ!!」
「ヤーチフ、お前は左から回り込め。その間に我とコイツが時間を稼ぐ」
「ッ、分かった。それで行こう。おい、お前も聞こえたか……おい! ルーフェス!!」
仲間の声がはるか遠く微かに聞こえるほどに、私は少女だけを見つめていた。
ガタガタと震える視線がヴェルタから抜き取った臓物を汚そうに捨て、顔を上げた頬に血が付き、それを拭う少女の瞳を捉え、彼女がふっと笑みを浮かべた。
それが、私にとって、
「い、いやだ、」
「は? 何を言って——————」
最大の恐怖の対象だと知りながら。
「君は、ルーフェスって言うんだ?」
気付いた時には、私の目の前に何処までも深い奥底に真っ黒な闇を抱えた青い瞳があった。
「ヒッ!!」
悲鳴と共に後ろへ下がろうとして、脚がもつれ、地面に尻を付ける。
あのまま、後ろへ下がれば逃げられただろうか。
いや、無理だ。
スッと尻餅をつく私の前にしゃがみ込み、「それで、君はなんでアミルにあんな事をしたの?」と声を出した。
あぁ、彼女は分かってる。
アミルだとか言うダークエルフの女にA級クラスの魔物でも死に至らしめる特製の毒を使った事も、桃毛の女を狙って更に怪我をさせた事も全部。
最初に少女が声を出した時に真っ先に反応してしまったのが、私だったから。
微かに手がビクリと反射的に動いてしまっただけ。
だ、だが、これは戦いだ、戦闘だ!
弱者が死に、一瞬の油断が命取りになる戦闘に何を自分勝手な都合を並び替えているんだッ!
……本当は、そう声を出したい。
叫んで、情けなくも此処から一刻も早く逃げ去りたいッ!!
だが、だけど、でもッ!
「勿論、私の望む答えを言ってね?」
この少女はそんな卑俗な言葉など、微塵も望んじゃいない。
少女の細く真っ白な指先が私の目元を優しく伝い、私の視線が彼女の瞳だけを映し出す。
そして、目元から頬へ下りてくると、私の唇をヴェルタの血が付いた指先で優しく拭った。
彼女は笑みを浮かべるが、それが怖くて仕方が無い。
何処までも傲慢で、何処までも自分勝手で、何処までも、圧倒的で不気味な強さを持つ。
「わ、私が……」
私の世界が真っ黒な少女に塗り潰されていくような感覚を覚えながら、うまく噛み合わない口で言葉を発する。
「何をしているッ! いい加減、離れろッ!!」
「一気に行くぞッ!!」
少女に向かって、繰り出された二人の攻撃は、「はぁ……うるさ」と言う溜息と苛立ちの声によって出されたあまりに小さな結界によって阻まれた。
攻撃の一点を止める様にして出された極小の結界は魔族二人の攻撃をもってしても突破する事が出来ず、見上げた先に見える結界と擦れ合って出る火花はこんな状況下でも、やけに美しく映る。
「どうなってる!? 結界ッ?! だが、結界なら、その膜が見えるはずだろう!?」
「奇妙奇天烈な技をッ……!」
二人が何度も刀を振るい、長剣を振り下ろそうとその軌跡の一点を抑えるだけで全ての攻撃が無になってしまう。
片手で剣を振るい、もう片方で魔法を出そうとも同じ。
ならば、数を増やせと数十にも及ぶ魔法も、彼女の顔を動かす事すら出来なかった。
普通の人間なら、確実に一瞬で死んでいるであろう魔族二人掛かりの攻撃も、二人を見ずに行うこの少女が私は心底恐ろしく、何より出会ったどの魔族よりも怖かった。
その時、「邪魔だァァァァッ!!」と声を荒げながら飛び込んで来たヴェルタが少女の張った結界に遮られる。
ギャリギャリと大きな火花を散らし、素手で掴みかかる様にして腕を前に出す。
目元は血走り、先程よりも更に魔力の跳ね上がったドス黒い魔力は元々の彼とは決定的に何か違う。
「まさか、あの欠片を体内に取り込んだのかッ!?」
黒マスクを付けたヤーチフの叫ぶ声が私の耳に入るのと同時にビシリと結界に
「ウァァァァァァァァァァァァッッ!!」
そして、遂にヴェルタが結界を壊し、少女を殴り付けた。
巻き上がった砂埃と衝撃波で少女が見えなくなり、それをチャンスだと思ったのか、「今のうちだ! 目的の物は手にいれたんだ。こんな場所から、さっさと逃げるぞッ!」と声を掛けられる。
仲間に腕を掴まれ、ヤーチフが専用の長剣で切り裂いた闇へと向かって全力で走り出す。
逃げられる?
本当に?
少女が目の前から消えた事で、恐怖を無理矢理に押さえ込む。
逃げるなら、今しかない。
だったら、此処から数秒でも早くッ!!
だが、私達がヤーチフの持つ改造された疑似魔剣が生み出した空間へ走り出す中、何故か私達に視線を向けるどころか、見たものを全て壊す様な獰猛な目つきをしたヴェルタは私達の声に反応すらしない。
「ヴェルタ! 早くしなさいよ! ヴェルタッ!!」
「待て! 止めろ! 大声を出すなッ! アイツはもう……ッ、クソッ! いいから、行くぞ! アイツはまた後で———————」
「ッ、止まれッ!」
二人が走り出そうとした脚を急に止め、私の顔がヤーチフの背中に弾き飛ばされる。
「何、どうしたって……あの少女は、あそこ……に……」
きっと、私はこの屋敷に足を踏み込んだ事を一生後悔するだろう。
過去の私に戻れるのなら、私は殺してでも絶対に此処には来ない程に。
「何処に、行こうと言うのですか?」
私達の前に生み出された闇の虚空が声と共に落ちてきた何かによって粉々に破壊され、突如吹いた弾丸の如き突風が私の言葉を黙らせる。
「今度は一体なん……、嘘だろ、おい……」
私達が見上げた先、木々の上に立つ女は私達に怖気も走る冷徹な視線を向けており、月を背にしたその姿は女神の様な美しさを醸し出す。
私達にとってこの女を倒さないともう後には引けない。
あの女を避けて、またあの少女の元に行くなんて、絶対に、絶対に嫌だッ!!
私がさっき起きた少女の声を耳元で思い出し、ガタガタと震えが止まらなくなる。
「おい、怯えるな! まだ、ヴェルタが抑えていてくれてる!」
そうだ、そうなのだが。
何故だろう。
さっき、少女に感じた、奥底に眠る不気味で異質な何か巨大な力を。
「ラウ様にも許可を貰いましたし、私も言いたかった事があるのです」
何故―――――、
「よくも。私の大事な妹に、よくも怪我をさせてくれましたね?」
目の前で女の魔力が解放され、風の魔力が辺りを吹き荒らす。
側には風で作ったのだろう左右二体の巨大な狼が構え、女より下にいる私達を向く瞳は、何処までも綺麗で、氷の如く冷たい。
そこには、一切の慈悲などなく。
少女のような甘さも何もない。
ただ、そこにあるのは怒りのみだ。
「私はあの子より甘くないですよ」
―――――彼女にも感じるのだろう。
直後、真っ白な矢が私の視界を覆い尽くしていた。
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