第7話「姉を怒らせると怖い」


「私はあの子より甘くないですよ」


 そう女が口にした瞬間、純白の矢が自分の横を飛んでいくのが分かった。


 魔族としての危機察知能力が教えてくれたのか、それとも微かに頬に感じた異物を感じ取ったのか。


 それは分からず仕舞いだが、俺は咄嗟にアミルとかいう女へ毒を喰らわせたルーフェスの前へ腕を出していた。


 完全にこの矢を止める事は出来ないだろう。


 何故なら、その前に俺の腕が消し飛ぶから。


 だったら、少しなら勢いを殺し、時間を稼ぐ事は出来るかもしれない。


 だが、それをやろうと出した腕は矢が当たる寸前の風圧で腕の骨が折れていく感覚を覚えている。


 しかし、だったらここに魔力を全力で込め、ほんの僅かでも時間を稼ぐ事が出来たのなら。


 その僅かな時間は、決して無駄では無くなる筈だ。


「にげろォッ!!」


 俺は魔力で強化した自分の腕が、たった一本の矢によって引きちぎられていく強烈な痛みに耐えながら目の前の死に固まるルーフェスへ大声を出していた。


「ッ!!」


 流石は、魔族の中でも名が知られている実力者という事か。


 すぐに恐怖から立ち直ると、闇魔法『闇矢』を連射し、矢同士が衝突し合う爆風を利用して一気にエルフ女の側を駆け抜けた。


 爆発の煙を裂いて走って行く姿に思わず安堵しそうになる心を痛みが現実に引き戻してくれる。


 不思議と、女はルーフェスを追わなかった。


 何か、策があるのか。


 それとも、単なる余裕からか。


 どちらにしろ、


「事態が最悪なのには変わりないか」


 女がルーフェスの跡を追うように後方を向こうとするが、そこには刀を両手で握り締め、型と呼ばれる和国の武術の一つを魔族の癖して人間味の臭い男が一人構えている。


「おいおい、何処に行こうってんだよ」


 俺の腕は矢によって吹き飛ばされたが、それでもじわじわと元に戻ってきている。


 魔族はそう簡単には死にはしない。


 だが、逆を言えばどれだけ死にたい状況に陥っても必ず身体が生きようとしてしまうとも言える。


 それが幸か不幸かは、今の現状だと、幸かもな。


「最初は貴方達が相手ですか」

「なんだい? 不満ってか。俺達はそんなやわじゃ―――――」

「柔? なら、何故、腹を射貫かれて穴を開いている事にも気付いていないのですか?」

「―――――は?」


 女がほんの僅かに視線を下へ向ける。


 直後、内から迫り上がってきた何かが俺の口元から溢れ出し、マスクの内側を押し出す。


 ぼたぼたと流れる赤い何かを俺はただ、まじまじと自分ごとじゃないかの様に眺めていた。


 なんだ、これは。


 何故、俺が血を吐いている。


 そうだ、腹を。


 俺の腹は————————、


 そうして見た瞬間、俺の思考は完全に止まった。


 ぽっかりと胸から腹に渡るまで、空いた巨大な穴には、臓物が見え隠れしており、俺の背後にある地面すら見えている。


「こんなの、アリかよ……」


 身体に力が抜け、ふっと倒れ込む最中に見たのは、エルフの女に向かって刀を振る仲間の姿。


 だが、それも振り下ろしたが、女の形をした偽者の身体を切り裂いただけだ。


「にげ、ろ……」

 

 直後、巨大な二体の風の狼が男に襲い掛かった。


 鋭い爪は中で風の刃が生み出され続けているのか、男が振るった刀をいとも簡単に真っ二つに折ると、もう一体が男の肩に噛み付く。


「グ! ァァァァァァアアアアアア!!」


 頭を左右に揺らし、遠心力を付けて投げ飛ばされた男は地面に叩きつけられ、追撃するようにもう一体の風狼が男の身体を引き裂いていく。


 俺の目の前には、悲鳴を上げながら風狼に身体を引き裂かれ続け、四肢を損壊させた男が振るっていた刀の残骸が地面に突き刺さっていた。


 しかし、男が作ってくれた僅かなこの時間が俺にとってはありがたいもので、魔力をすぐに活性化させ、腹へと集中させる事で治癒能力を高める。


 それによってまだ完全では無いが、傷口を塞ぐ事は出来た。


 これだったら、少しは動けるだろう。


 俺は腰に差さった魔剣を抜くと、地面へ突き立てた。


 魔装の原理を追求し始めたのは一人の人間が最初だと聞く。


 魔族がそれを詳しく知ったのは、ある日、一つの村を滅ぼした時に出てきたのが、魔装に関する本だった事が始まりだ。


 質素な村の生活の中で、厳重に保管されていたその本の内容に、研究が好きな一部の魔族達は興味を掻き立てられた。


 何しろ、武器の中に何か別の生物がおり、それらは基本的に光の獅子や白の大蛇等の魔物の姿を取ると言うのだから。


 しかし、魔装は全て完成されて各地にばら撒かれているし、強大な力を持つ魔装を崩して活用出来れば良いが、最悪使い物にならなくなるのも困る。


 その力は絶大で、魔装が一本でも相手にあれば、それだけで状況が一変するとも呼ばれる程。


 そんな事を聞いた上の魔族達は人工的な魔装の製造に着手し始めた。


 人間達は暴れ回る何かに全滅したようだが、魔族ならば、力には力を持って叩きのめす。


 それによって、幾多の犠牲を出しながらも長い年月を経て、改造された魔剣は出来上がった。


 これはその内の一つ。


 自身が魔剣によって裂いた空間の亀裂から一度切り裂いた場所まで瞬間的に移動する事が出来ると言うものだ。


 しかし、その距離はそこまで長くはない。


 一度に遥か遠くまで行ける、と言うわけではないが、これは切り裂いた場所ならば壁に囲まれた中だろうが関係無く、移動する事が出来る。


 俺はこの魔剣に何度助けられてきたか分からない。


 そう、今もなァッ!


「はぁぁぁッ!!」


 俺は長剣を握り締めると、地面に突き立て、斬り下ろした。


 そうすると、地面に闇の亀裂が走り、それに気付いた風狼が俺に食らいつこうとする直前で身体を中に滑り込ませた。


 ガチッと歯が噛み合う音を最後に視界は闇の中へと潜り込む。


 追ってこれない所を見るに、どうやら、逃げられたようだ。


 後は、このまま逃げてしまえば、自分の勝ち。


 所詮は仲間だとなんだと言いながらも魔族なのだ。


 最後には、自分一人が生き残れば良い。


 それに、魔王の欠片の効果も確認出来た。


 暫くは魔法学園に手は出せないが、全てが終わった所でヴェルタの死体を持ち帰れば上々だろう。


 そうすれば、邪魔な者も消え、欠片は自分のモノになる。


「ッケケッ! 死人に口無しってか、言えてるぜ」


 俺は笑みを浮かべそうになる頬を制しながら、周囲を見渡して気付く。


「はっ!? どう言う事だ、なんで、他の出口が何処にもないッ?!」


 あるのは一つだけ。


 だが、それはこの屋敷に入る時に使った亀裂だ。


 そこが出口なら、またあの戦闘に戻らなくてはならなくなる。


 そ、それだけは嫌だッ!!


 だとしたら、ここにいれば、安全なんじゃないか?


「いや、そうだ。ここで待ってれば、アイツらもいつかは諦め—————」


 そう考えていた直後、一つだけあった亀裂から本来あり得ない筈の光が漏れ出し、俺は引っ張られる様にして、投げ出された。


「グハッ!! 一体、何が——————ッ!?」


 そこには、一人の金髪のエルフが俺に向かって風魔法『嵐弾ストームショット』を向けていた。


「満足ですか?」


 空中には、数十もの魔法陣が展開され、自分に向いている。


「ッ、クソがァッ!」

「呪うなら自分の未熟さを呪う事です」


 刹那、風の雨が降り続き、口の中には苦い血の味が溜まっていった。



「はぁッ、はぁッ、はぁッ!」


 重い脚を前へと踏み出す度に洗い息が喉に迫り上がる。


 轟々と燃える木々の煙が喉に詰まる不快感と、ジリジリと肌が焼ける炎の熱気がその感情を更に引き起こすのだろう。


「あっ、ッ! グッ!!」


 私の意思に反して、思ったよりも高く上がらなかった脚が地面にその身を下ろす太い根に引っ掛かり、私は地べたへ転がって顔面を地面に付けた。


 ツンとした鈍い痛みが鼻先に走り、土の泥臭さが血と混じって鼻から抜けていく。


 けれど、私の後ろを振り返る事は出来ない。


 だって、それをすれば―――――、


「もっと走らないと撃ちますよ?」

「ッ!?」


 ふっと左耳から聞こえてきた声にすぐに距離を取る。


 そこには、気怠そうにジッとこっちを向く一人のエルフがいる。


 だが、おかしい。


 いくら何でも早すぎるッ!


「もしや、彼等のことを言っていますか?」


 そうして、目の前に投げられたのは、見知った、先程まで会話していた二人が肩身離さず持っていた刀と魔剣の二振りが金属音を鳴らし、地面に突き刺さる。


「まさか、自分の事ではなく彼等の事を気に掛けるとは。まさか、血も涙もない魔族にそんな仲間意識なんてものがあったとは。驚きです。それとも、囮としての彼等を気に掛けたのでしょうか?」

「わ、私をどうするつもりッ!」

「何故、貴女にそれを言う必要があるのか。とも言いたいですが、そうですね。一つだけ、あるとしたら、ラウ様が貴女達の捕縛を望んでいるから、でしょうか」

「捕縛? 馬鹿言わないで。そのラウとやらはあの少女の事でしょう? アイツはそんな生優しい考えを持つ瞳なんてしてなかったわよッ!!」


 むしろ、あの瞳は私の全てを見ようとする魔眼の類だ。


 考えていると、あの少女が私を見ている様な気がしてゾクリと身体を震わす。


「と、とにかく! あのアミルとかいう女に毒をやったのは悪かったわッ! だから、私だけでも見逃して頂戴! 何故此処に私達が来たのかも全て話すから!」


 此処で女の気を引かなくては、私はあの少女の元に連れて行かれてしまう。


 そうなれば、どうなるか。


「お願い! お願いよッ!」


 女が考え込む様にして、僅かに視線を上に向けた。


 それは単なる魔が差しただけなのかもしれないし、一度成功した物に偏って信じる私の癖なのかもしれない。


 この女はあの少女とは違う。


 だったら、あのアミルとかいう女と同様に私が勝てる可能性もゼロでは無いと言う事ッ!!


 だからこそ、この瞬間を待っていたのだッ!


「死ねぇッ!!」


 闇矢がエルフの女に向かって放出、ついでとばかりに懐から出した煙幕と爆発玉を投げつけると、大爆発を起こした。


 爆発が私の髪を靡かせ、燃える火花があちこちに飛び散って行く。


「ッハハ! ざまぁ、無いわ! お前の妹もこれで火傷を負ったってのに、まさか姉もとはね!」


 だが、直後、何かが私の頬を抵抗なく引き裂いた。


「ぇ?」


 煙が風魔法によって一気に晴れると、そこには、エルフの女が手に二刀の短剣を持ち、無傷でゴミを見るような無感情の瞳で私を見ている所だった。


「それが答えですか。どうやら、容赦は必要無いみたいですね」

「ち、違ッ!!」


 私は混乱する状況の中、慌てて走り出した。


 失敗した、失敗したッ!!


 でも、確かにあの爆発は当たった筈だ!


 あの距離で当たらない方が可笑しい!


 早く、一秒でも早く逃げなくては。


 あの場に居れば、間違いなく私は殺されるッ!!


「先程の不意打ちは中々に面白かったので、もう一度、見してくれませんか?」


 全く好感の持てない冷徹な声と共に、発せられた殺気に添いながら、女の横から二体の風狼がすり抜け、物凄い速度で此方に迫ってくる。


「なんなのよ、なんなのよアイツらッ! 化け物だらけじゃないッ!!」


 走っていた脚を地面に滑りながら止め、その間に闇矢を展開、放出し、風狼に当てるが、まるで効いていない。


「な、なんでッ?!」


 もしかして、私の魔法が風狼の魔法量よりも下回っているとでも言うのか?


 だとしたら、本格的にマズい事になる。


 更に展開した闇矢を木々へと向かって撃ち、木々が倒れ込む瞬間を狙って更に走る。


 そして、私は狼達が態勢を立て直すよりも前に岩裏へ滑り込んだ。


 荒い呼吸を吐いては整えながら、何か策は無いかと考える。


 時間が経っても襲ってこないのを見るに、取り敢えず、風狼はどうにか封じ込める事が出来たみたいだ。


「これじゃ、まるで狩りじゃない! アイツ、何を考えてるわけ!?」


 問題はあのエルフの女だ。


 エルフは基本的に森の中に住まう種族。


 だからこそ、木々の精霊と言葉を交わし、新緑溢れる森では精霊の加護を強化する事で更に強くなる。


 しかし、森は既に炎によって加護は弱くなっている筈。


 けれど、何かを見落としているような。


「そうよ、アイツ。なんで最初に私の場所が分かったの? 武器を持っていた事から見ても、あの二人を倒した後って事よ。でも、アイツは私のすぐ後ろにいた。それじゃあ、まるで私の場所が分かって―――――ッ!!?」


 私はすぐに岩裏から離れるように前へ飛び出した。


 直後に岩を小石へ変える程の威力を持った矢が無数に穴を開けていく。


「キャアァアッ!!」


 ずさッと地面に倒れ込みながらも、恐る恐る後ろへ振り返る。


 そこには、エルフの女が両隣に風狼を連れた状態で立っていた。


「な、なんで……」

「まだ分かりませんか?」


 しかし、女の言っている意味が分からず脳内で必死に先程感じた違和感を探そうとしていると、「ハァ」と溜息が聞こえてきた。


 すると、女は辺りを見渡し、「随分と怪我をしたアミルを追いかけ回したようですね?」と声を出す。


「どういう……ハッ!?」


 魔力を外に出し、感知する事で始めて分かった。


 そこら中に張り巡らされた魔力の糸。


 触れる事は出来ないが、まさか、あのアミルとかいうダークエルフはこれを森全体に張り巡らせながら私達と戦っていたのか!?


 自分では適わない事を察し、その後の事まで考えて。


「あの子を痛めつけた痛み。貴女にも返してあげます」

「ッ、それでもお前はアイツじゃないッ!!」


 あの不気味な少女と戦うよりも、アンタならッ!!


「喰らいなさいッ!!」


 闇魔法『闇矢』で空中からの攻撃を行い、地面からは『影縫い』で相手の脚を止める。


 しかし、エルフの女はそれが分かっていたのか、すぐに短剣を地面に落とすと、その瞬間には金色こんじきに輝く弓を持っていた。


 そして、本能が危機を叫ぶ。


「ダークウォールッ!!」


 常闇より深い闇の障壁を十数枚作り出し、衝撃に耐えようとしたが、パンッと弾ける音が耳に届き、障壁へ目をやると、一箇所が膨らんでいる事に目がいく。


「マズッ!」


 案の定、私の作った障壁は一瞬で砕かれ、目をやるとそこには既に女は居ない。


 すると、魔力感知が後ろから矢が近づいて来ている事を知らせる。


「ッ!」


 闇矢を複数展開して、合成。


 一本の矢よりも強力な一撃を食らわせる事が出来る矢を作り出しては放ち、その威力で矢を打ち砕いた。


 だが、安心した刹那、私の脚に激痛が走る。


 見れば、太腿に穴が空いており、触れると、硬い感触を得る。


「まさかッ!?」


 そうして、空を見上げた直後だった。


 空を覆い尽くす程の矢が私へと降ってきたのだ。


「キャァァァァッ!!」


 私の脚や腕に矢が突き刺さり、地面に縫い付けられる。


「ァ、ァァ……どう、ひて……」


 薄らと開けた上下が逆転した視線の先に女が姿を現し、「私達は、家族に一つでも傷を付けられたら許せないんですよ。貴女には理解出来ないかもしれませんが」と静かに声を出し、私の意識はそこで途絶えた。

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