第4話「未熟な窮鼠達は傲慢な猫を噛む」


 急いで駆けた脚が地面に一直線の跡と砂埃を立てる。


「あのクソ女! 何処に行ったッ!!」


 チッ! 完全に女を見失った。


 俺が後ろから来ていている事を知った上で、タイミングを見計らったように出した風魔法によって、巻き上げられた地面の砂が俺の目に入ったのだ。


 すぐに初級風魔法『ウィンド』を放って、周囲の砂を吹き飛ばしたとはいえ、瞼を開ける事すらままならない異物感と痛みは今も瞳をジクジクと刺している。


 まさか、直接攻撃をして来るわけでも無く、環境を利用してくるとは、生意気なッ!


 この俺があんなガキ一人に手こずるなど、あっていい筈がない。


 しかし、裏手には深い森が広がっている。


 あのガキが森に入ったとして、土地勘の無いアイツは何処に行くかも分からない。


 そして、それは俺にも言える。


 ここの森は想像に比べてずっと広い。


 加えて、闇の暗さが森を更に不気味にさせている。


 そんな森に入られたら、自分でさえ元の場所に戻って来られるかどうか。


「もしかして、誰かを呼びに行ったか? ……いや、それは無いな。あの女がそんな事をすれば、もう一人を見捨てる事になる。まぁ、そんな事をしなくても相手は魔族だ。確実にあの女は殺されているだろうがな」


 むしろ、今頃、あの二人に泣き叫びながら許しを乞うているところか?


 そう考えると笑みが込み上げて来るが、まずはあのクソ女だ。


 そう。


 生意気にも俺に反抗して攻撃を喰らわせて来やがったあの桃髪のデカパイ女ッ!


 完全に戦意を喪失させて従順にさせれば、二人のうちどちらかを俺の下僕として使ってやっても良かったものをッ!


「どいつもこいつも、何処までも俺の手を煩わせやがってッ」


 それにしても、一体何処に隠れ……いや、待て。


「ッフフ、あははははッ!!」


 そうだ。


 なんで、この俺があの女一人を探さなくちゃいけない。


 隠れているのなら、隠れられない状況にしちまえば良いじゃねえか。


 此処に来た時、アイツらはこの屋敷の前にいた。


 魔法学園の中に建てられる屋敷の建物はオリジンだけが得られるモノ。


 だが、あの二人のうち、一人は教師だし、もう一人はオリジンって実力があるようには見えない。


 なにしろ、銀髪の女には何処か薄気味悪い魔力を感じたが、あの桃髪の女にはオリジンを前にした時のあの張り詰めた強者の雰囲気がまるで無かった。


 だったら、此処はアイツらの仲間がオリジンである可能性が高い。


 何故か今は屋敷にいねぇみたいだが、どのみち、アイツらのうちの一人を人質にでも取ればオリジンの魔力をも手に入るだろう。


 一石二鳥ってか?


 だとしたら、もう一人は俺が魔力を得るとして、アイツはこのまま殺すわけにはいかねぇな。


「おい! いい加減、出て来たらどうだ? じゃ無いと、この屋敷がどうなっても知らねぇぞ?」


 手のひらに展開した魔法陣を屋敷へ向け、


「ここはお前達が得た屋敷じゃ無いはずだ! 良いのか?」


 ワザと威圧的な大声を出してやる。


 まだあの女の態度じゃ、本格的な戦闘なんてやった事ない筈だ。


 俺を見て、直ぐに逃げ出した事から考えて、自分に自信が無く、魔法も未熟。


 ここで、大声を出して脅してやれば確実に自責と不安でアイツの精神は崩れ始めるだろう。


 そうすれば、必然と何もかも自分で解決しようと幼稚な行動を取るに決まってる。


「お前の所為で、この屋敷の主人が悲しむ事になるんだぞ? 分かったならさっさと出てこいッ!!」


 さぁ、本番だ。


 何処から出て来る!?


 既に魔力は溜めてあり、出てきた瞬間に魔法も直ぐに打てるように準備してある。


 出て来れば、一瞬で命を奪ってやる!


 何処だ。


 何処にいるッ!!


 夜の闇を月明かりが照らす景色に集中して目を配り、物音一つ聴き逃さないように全神経を集中させた。


 その時——————、ガサッと俺の背後から草が揺れる音が聞こえた。


「そこかァッツ!!」


 屋敷に向けていた中級風魔法『嵐の砲弾ストームバレット』をすぐに草生い茂る森へと向け、一気に解き放つ。


 溜めに溜めた魔力を解放したからか、俺の風魔法は嵐の中で打ち付ける暴雨の如く、地面を抉り、木々を吹き飛ばした。


 轟音が耳鳴りを起こさせるが、そんな事はどうでも良い。


 今の俺にはそれよりも、この草むらの奥で倒れ込むあの桃髪の姿が―――――、


「は? なんだ? スラ……イム?」

 

 だが、目の前に居たのは、石ころの如く小さな黒いスライム。


 それも、何故、俺の魔法を受けて消滅しないッ!


 まさかッ!?


 頭上に差した黒い影に、すぐに頭を上げる。


 そこには、木の上から素早い速度で落下してきた真っ黒なスライムが、俺の顔面に直撃した。


 そして、すぐにスライムは粘性の身体を利用して、俺の顔面を包み込むようにして張り付き、視界、嗅覚、聴覚を奪おうと暴れる。


「クソ、離れろッ! この下級の魔物の分際でッ!!」


 しかし、いくらスライムの身体をむしり取ろうとしても手の平からするりと抜け、捕まえることが出来ない。


 加えて、自分の顔面に張り付いているからか、魔法を使う事も出来ず、何とか自力で剥がすしか選択肢が無い。


 すると、遠くから何かが走って来る足音と何かを叫ぶ声が聞こえて来る。


 まさか、アイツらが戻ってきたのか?


 いや、違うッ!


 これはッ!!


 俺はすぐに一瞬だけ音が聞こえた方向へ手のひらを向け、風魔法『ウィンドショット』を放つ。


 勝ったッ!


 微かに聞こえた何かに当たった音は俺に勝利の確信を持たさた。


 直後、どれだけやっても取れなかったスライムが呆気なく俺の顔から外れ、一気に視界が広がる。


 今度こそ、無様に倒れ伏す女の姿が——————だが、目を開けたその先には、破けた制服から僅かに覗く真っ白な桃が宙で二つ躍動しており、その頭上には、風を唸らせる穂の消えたほうきが俺の視界を覆い尽くしていた。



「てやぁーーッツ!!」


 私はマルスがスライムさんへ魔法を放った瞬間、小屋から走り出し、小屋の中にあった箒を両手で握りしめると、ありったけの魔力を風魔法として使い、マルスの頬を力の限りにぶん殴った。


 案の定、「バキッ!!」という鈍い音と同時に箒が折れてしまったが。


 けれど、功を奏したようで、顔面からモロに風魔法を付与した箒を受けた事で、マルスは想定よりも物凄い勢いで吹き飛び、地面に何度も打ちつけられて止まる頃には、小さく悲鳴を上げて気絶してしまった。


 見れば、マルスの頬には赤く腫れた痛々しいつかの跡が滲んでいる。


 とはいえ、この達成感は一入ひとしおだ。


「ふぅ……勝ちましたぁ!」


 元々、マルスは私しか見ていなかった為に、自分が相手をしているのは一人だと思っていた筈だ。


 無論、私一人では限界があるし、いつ負けていたかも分からないし、いつ切れてもおかしくない細い綱渡り状態だったのも事実。


 けれど、運が良かったのが、スライムさんを見つけた事だろう。


 これで、私達は二対一へと持ち越す事が出来、なおかつスライムさんはほんの少しの隙間さえあれば何処にでも移動が出来る。


 マルスの攻撃を受けて無事だったのはアレはスライムさんの本体では無く、身体の一部であり、例え身体の一部が無くなろうと核さえ無事なら何処までも修復出来たからだ。


 とはいえ、スライムさんがマルスの目の前を通って行った時は流石に心臓が止まるかと思いましたが、何はともあれ、ですぅっ!


「勝ちましたよぉ!! スライムさん!」


 ぴょんぴょんと地面で跳ねるスライムさんに笑みでピースを向けると、スライムさんが同じように身体でピースを作ってくれた。


 あっ、そ、そういえば、箒を駄目にしてしまったのですが、これは怒られないでしょうか……。


 ミリアがラウちゃんに怒るみたいに静かに笑みを浮かべてたらと思うと身体の震えが止まらない。


「で、でも大丈夫ですよね。だって、悪者を倒す為に使ったという正当な理由がありますし……大丈夫。大丈夫……だと思いたいですぅ……」


 その前に、マルスを縛っておこう。


 急に意識を取り戻して暴れ出されても困るし。


「確か、ここにあった筈なんですがぁ……」


 駆け足で小屋へと戻り、ガサゴソと中を見て回っていると、しっかりとした太さの縄が放置されてあった。


 それを取ると、戻ってマルスの身体に巻き、解けないように蝶々結びをする。


「可愛く出来ましたぁ♪」


 するとそこには、縄で口、胴体と腕、そして脚の三カ所に大きな蝶々結びをされた男子生徒の姿。


 高等部でオリジンを名乗り、貴族として平民や他の貴族を従えてきた男子生徒としては、あまりに不憫な格好の物体が出来上がってしまった。


 とはいえ、この場所には彼を助ける者がいない為に、解きたくても、この格好はどうする事も出来ない。


「後はアミル先生が無事であれば……」


 マルスを縛り終え、ふと、そう口に出した時だった。


 耳をつんざくような爆発音が辺りに響き、驚いて視界を音の鳴った方向へ向けると、アミル先生と二人の魔族が居るであろう場所が赤く燃えていた。


 驚くのも束の間、木々が赤く燃える森の中から一つの影が飛び出し、私の目の前で地面に叩き付けられる。


 魔族だった事も考え、ゆっくりと近付くが、距離が近くなるにつれ、その姿がはっきりと瞳に映った。


「ア、アミル先生!!」


 呻き声を上げながらも真っ直ぐに視線を向け、立とうとしていたのはアミル先生だった。


 急いで駆け寄って、初めてその傷の多さに驚く。


 アミル先生の特徴的な美しい銀髪は土で僅かに汚れ、全身に所々入った生傷はあまりに痛々しい。


「アミル先生、その傷!? まさか、毒ですかッ?!」


 加えて、アミル先生が脇腹を強く握りしめている場所からは赤い血が止めどなく溢れ出てきており、顔色も非常に悪い。


 早く治療しないと最悪も考えられる。


 どうにか。


 私がどうにかしないと。


 マルスを倒した際の達成感などすぐに消え、奥底から焦りや不安、緊張が止めどなく湧き上がってくる。


 そんな感情がアミル先生に伝わってしまったのだろうか。


「げほげほっ……ッく。リィナ、これを」


 アミル先生のふらつく身体を支え、差し出された手を握る。


 そこには、アミル先生がさっきまで嬉しそうに持っていた指輪が握られていた。


「えっ、これは」

「それを使って、ラウ様を呼んで。ラウ様なら、何があっても必ず来てくれるから」

「もしかして、アミル先生はあの二人とまだ戦うつもりなんですか!?」

「ここは、ラウ様の帰る場所で。私達がいるべき場所だからね」


 アミル先生は辛そうな表情をしながらも、戦意はまるで失っていない瞳で燃え盛る森から歩いてきた女達へ視線を向け続ける。


「それじゃあ、後は頼んだよッ」

「アミル先生ッ!!」


 そして、アミル先生は私の制止を振り切ると、私の脚で追えない程の速度で飛び出した。


 このまま戦えば、間違いなくアミル先生は命を落としてしまう。


 しかし、目の前の魔族の二人は私とは比べ物にならない圧を放っていて。


 怖い。


 それが、心から出て来ると、自然と手がガタガタと震えていた。


 寒くは無い。


 涙も出ていない。


 でも、ただただアミル先生の元に行けば、死んでしまうのでは無いかという恐怖が私の心を冷たい鎖で縛り付ける。


 それに、私に何が出来るというのか。


 皆が強い精霊や魔物を相棒にしていたのに、私は何の使い魔を召喚する事が出来ず、ただ泣いてばかりだった私が。


 私が行って、もしアミル先生の脚を引っ張ってしまって、もし、命を落としてしまうような事があったら、私はどうやってラウちゃん達に顔を向ければ良いのか。


「わ、私は……」


 アミル先生が女達との戦闘に移り、激しい戦闘音を響かせる中で、私はアミル先生から託された血の付いた指輪をぎゅっと強く握りしめる。


 すると、真下を向いていた私の視界にぴょんっと何かが映り込んだ。


「スライム……さん」


 真っ黒な身体で私の手をぐいぐいと引っ張る姿はまるで、私に戦えと言っているのだろうか。


「でも、私は怖いんですぅっ。もし、何かあった時、私は去年と同じ事を繰り返してしまうんじゃないかって……」


 脳裏に静けさが蔓延した教練場で、私を睨み付ける複数の視線。


 そして、あの憎しみと絶望と、期待を裏切られたあの瞳が私の脚を止まらせてしまう。


「それが、ラウちゃん達から向けられたら、今度こそ、私は……!」


 すると、スライムさんの力が弱くなり、視線を上げると、スライムさんの姿は逞しい体格をした狼の姿に変わっていた。


 そして、私の頬を数度舐める。


「わっ、わっ! ちょっと、やめっ!」


 気が済んだのか、スライムさんが私から離れ、目の前に座ると一回だけ吠えた。


 まるで、『自分がいる』とでも言いたいかのように。


 そして、スライムさんは視線を私の後ろへ向ける。


 そこには、蝶々結びで雁字搦めにされたマルスの姿。


「そうだ……マルスは私だけじゃ倒せなかった。でも、スライムさんと一緒ならっ!」

「ヴァゥ!」


 今だけ、今だけは前を向こう。


 この後、どうなるかなんて誰にも分からない。


 それに、アミル先生があそこまで信じてるラウちゃんを呼べば、彼女は必ず私達を助けてくれるっ!


「お願いです! 私と戦ってくれませかッ!」

「ヴァゥッ!!」


 私は狼と化したスライムさんの背中に乗せてもらうと、気合いを入れる。


 使えるかどうかも分からないけど、折れた箒の柄を持ち、少ない魔力を全身に漲らせる。


 今もなお、激しい戦闘が続いている場所へ視線を向け、アミル先生から渡された指輪を指に嵌め、口元へ持って行く。


「ラウちゃん。お願いです。私達を、アミル先生を——————」


 そして、私はラウちゃんに届いて欲しいと強く願いながら、指輪に魔力を込め、スッと口を開いた。


「助けてくださいッ!!」

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