第42話「小さな白銀」
「会長! しっかりしてください!」
「うぅー、気持ち悪い……吐きそう……うっ!」
「ほら、魔力回復薬を持ってきましたから、飲んで下さい」
「分かった、分かったから揺らさないで……」
赤竜のブレスを止める為とはいえ、魔力を込めた宝石を半分以上使った錬金魔法で会長の魔力量は急激に減った。
にしても、会長は魔力切れ寸前なのに対し、赤竜はあの二人と戦闘を行う程に体力が有り余っているところを見ると改めて成熟した
「ぷはぁっ! あぁ、マッズい……ゲロまず……」
余程苦かったのか目を瞑り、渋い顔をしながら飲み干すと「うへぇ」と舌を小さく出した。
「我慢してください。それと、口が汚いです」
「しょうがないでしょうよ、こんなマッズイの飲んだんだから」
「ワザとやってます? ……はぁ、なんでもありません」
「? あぁ、そうだ。学園長にはもう連絡した?」
「終わってます。あと二日以内には援軍を寄越してくれるそうです。しかし、良かったのですか? 一度は軍に援軍の要請を断られたと聞いていますが」
「どうせ、上のくだらない面子の為でしょ。それに、大佐と学園長からも要請されたんじゃ動かざるを得ないって。ただでさえ学園に噂を流して学生の口から各貴族の耳に届かせるようにしたんだから」
口を片手で拭い、舌にまだ独特の強烈な苦味が残っていたのだろう。
何度か、小さく唾を吐くような仕草をした。
「レオノール公爵の娘の耳に入ったのが大きかったのもありますね。それに、各大物貴族も事を大きく捉えているようです。学園から屋敷に戻らせる貴族もいるぐらいですから」
「どう? あの人、笑ってた?」
「えぇ。それは悪戯が成功した小坊のように」
「小坊というよりは若年増のババアだけど」
「また怒られますよ?」
「ふん! あの悪魔にはそれぐらいが丁度良い!」
よくもまぁ、学園長の前では逃げるか捕まって反省文を書かされているくせに、彼女が居ない今で無いと決して言えない事を言うものだと半ば呆れていると、ハーピーのけたたましい声が耳を貫いた。
瞬間的に耳を両手で塞ぎ、元凶の方を見る。
それは赤竜の発する声にも似ていたがどこか違う。
赤竜の声よりも低く、聞いたことのない不気味な声。
すると、横から溢れた小さな声。
「アーキス。すぐに移動するよ」
ユリアは真っ直ぐに外壁に目をやっており、此方を向くことは無い。
けれど、その言葉には疑問や否定を言わせなど有無を言わせない圧力があった。
疑問を頭の隅に追いやりつつ、戦闘の衝撃でパラパラと古びた粉が舞い落ちる中、階段を駆け足で降りて行く。
ユリアは魔力回復薬を飲んだとはいえ、やはり身体が重いのか、ふらふらと傾いては度々転びそうになるのを何とか支える。
「やはり、会長はここで休んでいてください」
「それは駄目」
「何故です? ……先程の声が原因ですね?」
「アーキス。よく聞いて」
どこかいつも
だからこそ、先程の声が余程のものだったのだと理解する。
「今からフィーリン大佐の元まで全力で走って。あのハーピーが出した叫び声は
「しかし、それだけではないのでしょう?」
「……あの声は雌のドラゴンのもの。それは合ってる。でも、私の感が正しければ。あれは、古竜種『
「古竜種ですって!? 何故です!? ここから龍の
「いや、その古竜は竜の塒にはいないんだ。ここ、ガルス砦から少し離れた所に巨大な森林地帯と山岳地帯が混在しているのは知ってるよね? その竜はそこにいる。冒険者組合からも特級禁止区画として指定された森だよ。この距離だと聞こえるかは五分五分。でも、万が一聞こえてしまっていたら——————」
思考が急激に脳内を駆け巡り、けれど答えの出ない中、残酷にも口は開く。
「このままだと私達は確実に、死ぬ」
*
「くそッ! 数が多すぎる!」
「倒しても倒してもキリが無いぞ!!」
ガルス砦外壁。
自分達は防衛の為に身動きが出来ず、されど魔物は上空から四方八方に襲い来るその場所でファーリン大佐は全軍の指示を取っていた。
フィーリンが素早く振るった長剣はコウモリ型の魔物の胴体を真っ二つに斬り、返す刃でハーピーの首を刈り取る。
通常の兵達の周辺よりも大佐の周りの方が魔物の死体が多く、それだけ大佐が魔物を刈り取っている証拠でもあった。
その為、大佐が来る前と来た後では格段に兵士達の士気が違う。
「いいか! 必ず四人一組のパーティーを組め! そして死角を埋めろ! 決して自分一人でどうこうしようと思うなよ!!」
『はっ!!』
バリスタや巨砲を除いても、鎧を着た兵士二人通れるかという細い石造りの道は魔物と人の血から始まり、数多の魔物達の死骸で埋め尽くされていく。
「大佐ッ!?」
フィーリンは眼下に広がる部下や生徒達の戦闘に視線を向けていた事で気付くのが遅れた。
直ぐ側で戦っていた兵士の言葉で初めてその存在に気付いたのだ。
突如として吹き荒れた、風をも斬る強靭な竜の翼と太く。そして長い丸太の如き尾。
灼熱のブレスを吐き出す為の太い首に全身を覆う鈍色の鱗。
竜種の劣等種でありながら、数多の人間を餌とする冒険者や兵士にとってこの上なく最悪な魔物—————ワイバーン。
肉を噛みちぎる為に発達した鋭い牙から見える熱に思わず嫌な汗が頬を伝う。
「伏せてください!!」
耳に響いた声にフィーリンはその声に直ぐに従った。
直後に轟く魔法の本流と背筋が凍ったような凍てつく冷気。
氷が爆破によって粉々に壊れる音と共に上を見ると、外壁上空に滞空していたワイバーンが身体を凍らせられ、外壁に当たると同時に砕け散った音だった。
「皆さん、大丈夫ですか!」
「なは〜、流石だね〜」
「会長は来なくても良いと言ったでしょう!? なんで付いてくるんです!!」
「そう言わないでよ。私の直感だともうそろそろなんだよ」
「はぁ?」
「うわ、こわッ!」
階段から走ってきたのか、汗を僅かに滲ませて姿を見せたのは、総務会の副会長であるアーキス・ボスカンと会長であるユリア・フォードロヴァナ。
何やら言い合っているようだが、何にせよ実に頼もしい!
「すまない、助かった」
「いえ、礼を言われる程ではありません。それよりも、フィーリン大佐」
真っ直ぐに見つめる鋭い視線。
その真剣な表情に思わずごくりと息を飲んだ。
心に不穏な種が渦巻いていくように、爆発音響く中、アーキスが口を開いた。
「まずい事になりました」
その時、地面の石が僅かに揺れた。
*
それは一定の間隔を持ちながら更に揺れる。
誰もが地平線の先へ視線を向ける。
「ぁ……あぁ……!」
「な、なんだ……あれ……!?」
他の魔物が石ころの如く小さく見える程の圧倒的な山が一歩。また一歩と確実に前へ進んでいた。
闇より現れし、木々を揺らし、人族から神と称される一体の古の竜。
『——————————————ッ!!!!』
赤竜とは比べ物にならない山のような巨大な体躯が目に入ると同時に、空気を割るような重く低い咆哮が津波となって押し寄せた。
「ッ!!」
「うぁぁぁああああ!! 耳がぁ!!」
「俺達……、あんなのと戦うのか……? 嘘だろ?」
あまりの巨体故に動きは遅い。
けれど、その身体を支える赤竜さえ凌ぐ圧倒的な魔力と巌の如き強固な鱗。
背中に生え揃った樹木の一部の如き密林。
その中でも一際目を引くのが、中心に生えた一本の大樹だろう。
注意深く見ていたからこそ、気付けた些細な変化。
「ッ!! 全員、伏せなさいッ!!」
声を張り上げてから刹那に走った悍ましい程の魔力の波動。
何千年もの年月を過ごした巨木のような太い前脚を僅かに上げる。
「次の攻撃が来るぞッ!! 魔法師は防御魔法の展開だ! 兵士はその後ろに避難! 出来るだけ身を固めろ!! 時は一刻を争うぞッ!!」
『はッ!!』
その間にも魔力は跳ね上がり続け、弱い魔物は尾を引くように上空や地上共々に逃げ出し、一定以上の力を持つ魔物は好機とばかりに戦闘を続行する。
地上で戦っていた兵士も各々、砦へと走って逃げていく。
でなければ、待つのは確実な死だ。
伊達に一定の人々が神と呼び、崇める訳がない。
私達の魔法を急ぐ詠唱と共にフィーリン大佐から他の兵士達に指示が津波の如く飛ぶ中、酷くゆったりと持ち上げられた片脚が私の瞳に映っていた。
和国に長く続く伝統武芸の一つには、脚を空に向かって上げ、大地を踏む—————「地踏み」というものがある。
「地踏み」とは、大地を踏み締める事で地中に住む邪を祓うという意味合いがある。
和国では伝統武芸として存在するが、魔物がそれをするなんて聞いたことがない。
私ですら、異世界の転生者が祖とされる和国に行って初めて知ったというのに。
それは人間が行うものであり、レベルの高い近接の冒険者ならともかく、一般の人間には味気ない音を出すに留まる。
しかし。
ゆっくりと持ち上げられたソレが一瞬の停止の後、地面に叩きつけられた直後に異変は起こった。
大地が自然の脅威を剥き出しにし、悲鳴を上げる。
大地が亀裂を裂き、ひび割れた。
まるで、コップを地面に落としたか如く軽々と。
間に合わなかった兵士や魔物が割れた地面に消えゆく中、ソレは止まらない。
大地の奥深くに眠る龍脈から漏れた膨大な魔力が空中に放出され、それを吸収。
この深い闇の中、柔らかくも温かな光が一つ灯る。
だが、それを指すのは幻想的な光景ではなく、残酷な現実だ。
全体から一つに収縮され、膨大な魔力が渦巻く中、見たのは口の奥で眩いばかりの光を放つ種森竜の姿。
何者をも滅する一筋の光。
いるだけ全員の魔法師全員が防御魔法を展開し、盾は一つから二つに。
最後には巨大な色とりどりの大盾となった。
横には回復したばかりの魔力を全て使い果たしても防御魔法に魔力を注ぐユリアが居て。
絶望的状況の中、ユリアは口を開いた。
声は聞こえなかった。
でも、不思議と脳内にユリアの声が聞こえ、解き放たれた光が目の前を覆い尽くす、絶望感苛まれる中。
私は——————光を斬り裂く小さな白銀を見たのだ。
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